13 姉の話の余韻、そして、「条件が揃う」ことについて。
さて、再び夏休み中の山盛高校、野球部員が自転車で帰って行ったのを窓から見送った、二階の東端にひっそり佇む委員会室。
そろそろ、いや大分前から手がしびれてきた。
食券に判子捺し中である。
「良い話だね」
一連の姉の話をしてやった後、若干うるうるする俊也。
一笑して、私はぽんと判を捺す。
「姉もまだ若いし、これから何があるか解からないけどね」
幸せに暮らし続けることを祈ろう。
きっと、俊也の空想の中に入れたら、姉は町娘の一人でしかない。しかし、自分のやるべき仕事を一生懸命やりつつ、こぢんまりと幸せに生きる一人の女性なのである。それは素晴らしい人生のひとつなのだ。
ひそかに頼む。俊也よ、空想の中に姉を出したら、君の頭の中ではずっと姉を幸せにしておいてくれ。
「というか、お姉さんのことをそんなに思ってる森園さんがすごい・・・です」
手を止めて俊也の方を見ると、俊也は目を合わせようとしない。気恥ずかしそうな様子である。
ふむ、と私は思案する。なるほど。
「今の話で、お姉さんのこと、すごく考えてたんだなってすげぇ解かったよ」
「私は姉に世話を掛けて育ったからね。いつまでも姉にぴーぴーとくっついているのさ」
「やっぱり、騎士の役持って行かれて、お姉さんの恋人のこと、嫌だったろうなって思ったよ」
「そりゃ嫌だったな。私が全然知らない姉になったようだった」
姉が結婚して寂しかったさ。もうそこまで私が姉を助ける必要はなさそうだ、と拗ねた考え方もした。姉はいたく私を可愛がって、私も姉を慕って、生きてきたのだから。
姉の騎士と自負していたのに、私より強力な騎士として登場し奪っていった姉の夫に良い感情ばかり持つわけがない。
だから「リンリン」と自転車の鈴が鳴るようなあだ名で呼んでからかってやってるのだ。まあ私なりの愛だがね。
「しかしね、姉はきっと私がいなかったら今はないだろうし、幸せじゃあないと思うよ」
「すげー自信ですね」
「私は姉が生きるための条件のひとつなんでね」
「生きるための条件?」
俊也が訝しげな表情をしてこちらを見る。それって人間味がない、とか思うのだろう。
私はぽん、と食券に判を捺す。やはり適確な判の位置だ。
「この判は私が捺せば私の素晴らしく正確な感覚によってずれなく美しい位置に捺されるね。
条件は私が捺すこと。
私が素晴らしく正確な感覚を持っているということ。
その前に、私が夏休みに登校していること、委員であること、この学校に入ったこと、私が存在すること。
どれが欠けてもこの適確な位置に捺された判は成立しない。
それ以外にも、思いもよらない条件が重なっているかもね」
俊也はぽかんとしている。私は俊也ににやりとして見せた。
「姉には私がいなくてはならない。何かひとつ条件が足りなかったら、とあるひとつの出来事は成立し得ないから」
*
母曰く、私が生まれた理由は「条件が揃ったから」である。
当時小学校二年生だった私は、ぽかんとして母を見上げた。「身近な人に自分の生まれたときのエピソードを聞いて、みんなに紹介しよう」という国語の授業の課題があり、私は母にインタビューしに行ったのである。私は母が、私自身が生まれるときの話をしてくれるものだと思っていた。
ところが「君が生まれた理由は条件が揃ったからだよ」と前置きして、母は意地悪げににやりとして、こう言ったのだった。
「お母さんとお父さんの話をしてあげよう」
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