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7 皇后の岬

 重郷は二、三人の供だけを連れて屋敷を訪れた。

 若橘は重郷の訪問に胸を撫で下ろす。

 紅梅姫の表情が俄かに明るく成る。紅梅姫が重郷に会える此の瞬間をどれ程夢見たことか、若橘は目頭が熱くなるのを感じた。橘のばあさまなら涙するのも分かるが、若い自分が感傷的になり熱いものが込上げるのが不思議だった。


 姫の部屋へ通された重郷は満足した様子だった。

 部屋から見える庭が午前の透き通った空気に光輝き、木漏れ日が辺りを柔らかく包み込む。


「昨晩は良く眠れましたか?」

「はい」

「良かった、此処の庭は京から庭師を招いて造らせたが、気に入ってくれましたか?」

「はい、大変美しいお庭です、さっきから時鳥が鳴いております」

「此処は田舎ですが、静かで景色が良い、旅の疲れもじきに取れます」

 重郷は凛々しい顔を緩ませる。

 紅梅姫は小さな声で「はい」と答えた。


「今日は馬を持参した。姫、少し出かけてみませんか」

 紅梅姫は今度は少し大きな声で「はい」と答えた。

 重郷は満足した様子で、若橘に姫の用意をするよう命じる。


 程なく、紅梅姫、若橘も乗馬の用意を整え、門へと向かう。

 門には立派な月毛の馬が用意されていた。顔は小ぶりで毛並みが良く、筋肉も程よくついた立派な牝馬だった。

「まあ、何と美しい馬なのでしょう」

 若橘は思わず溜息混じりに漏らす。其れを聞いた重郷は益々満足したようだった。


 紅梅姫は頬を桃色に染め、無言で馬に乗った。若橘も重郷の供と共に馬に乗り後ろを付いて行く。案内の侍が馬に乗り、前を行く。一行は藤田の町を抜け、西へと向かった。

 其の先は草が生い茂る野原であったが、ふと視界が開ける。

 ……其処は海だった。丁度入り江となり、多くの小島が点在し、其の向こうに大きな島が二つ、薄っすらと霞んで見える。水墨画を思わせる素晴らしい眺めだった。

 思わず、紅梅姫と若橘は息を呑んだ。

 少し小高い丘で重郷は馬を止めた。


「まあ、何と素晴らしい景色でしょう」

 若橘は声を上げる。

「此処は其の昔、神功皇后が国見をなさる際、船で上がられた地と伝えられます。故に、昔から皇后の岬と呼ばれます」

 若橘の横にいた若い侍は静かに語った。よく見ると、重郷に劣らず美しい顔立ちであった。


 海からの風が紅梅姫の髪を乱しながら揺らす。海を背景にその美しさは輝いていた。


「其の先から、海へと降りて行くことが出来ます」

 岬の説明をした男は右側の細い道を指した。


「そうだな、姫、降りてみよう」

 そう言うと重郷は馬を降りた。姫に供の男が手を差し伸べるが、姫は戸惑ったようで此れに応じようとしない。

 其れを見た若橘は急いで馬を降り、紅梅姫の元へ行き、馬から下りるのを手伝う。


 その様子を見た重郷は

「若橘と沢村は此処で待機して居れ」

 と命じる。

 重郷は一瞬立ちすくむ紅梅姫を促したが、紅梅姫の顔は不安を隠しきれない。


「姫、如何された? 他の供もおる、若橘が此処に残るのは不安かな?」

「……いえ……」

「殿、姫さまのお供をさせてはいただけませんか」

 若橘は重郷の前に進み出た。

「いや、良い、此処に居れ!」


 重郷の語気は強く、若橘がそれ以上言上するのを許さない。若橘はその朴訥とした、簡単に人を寄せ付けない雰囲気に、足が竦んだ。


「若橘殿、此処で殿を待ちましょう」

 岬の説明をした男が沢村だったようだ。 

「……しかし……」

「殿、承知致しました」

 若橘の言葉を阻止し、彼は主人に従った。


 重郷は紅梅姫の手を掴んだ。その仕草は顔に似合わぬ粗野なものだった。

 紅梅姫は驚きを隠せない。其の表情に気付いたか気付かないのか、重郷は姫の手を引き細い道を下っていった。その後ろを二名の男達が付いて行く。

 若橘は重郷に逆らう事も出来ず、後姿を見送るしか無かった。

 

 姿が見えなくなって暫くした時、

「其処の石に座りましょう」

 沢村は近くにあった大きな石に座る。

「さあ、若橘殿も此方へ」


 若橘は仕方無く、沢村の横へと座る。 

「如何して止めたのですか、わたくしは姫の供です、わたくしは姫から離れるわけには参りません」

「……殿には逆らえません、あなたが本当に姫のことを思うなら、殿の機嫌を損ね無いようにすることだ、殿は一度、こうと決めたら決して曲げられぬ方です」

「……」

「……其れより、あなたは如何なのですか?」

「如何って、如何謂う事ですか?」

「あなたは、何方か思われるお方がおいでですか?」

「……!?」

 沢村の突然の問いに若橘は言葉を失った。この男の真意が掴めない。

「若橘殿はお美しい、あなたなら恋しいお方がおられるのでは?」

「……い、いえ、誰も……」

「其れなら、私が名乗りを上げても宜しいかな?」

「えっ!?……とんでもない、お許し下さい……」

 自分でも声が上ずっているのが分かる。何とも情けない話だが、此の手の男は苦手だ。結局、女を相手にする事に、手馴れているのだ。

 自分は美しいと自覚した男は女をぞんざいに扱う、と橘のばあさまが良く言っていた。

 沢村は石の上に置いた若橘の手に、自分の手を重ねる。思わず、若橘は自分の手を引っ込めた。

 すると、沢村は声を上げて笑い、立ち上がる。


「まあ、考えておいて下さい。何かと便利ですよ、私と通じていたほうが。殿の情報も、そして柏井の方の情報も手に入る。あなたが拒む理由など無い筈ですが……」

 唇を歪めた沢村の美しい顔が、冷たさを帯びる。


 若橘の海風に乱された髪を沢村は冷笑を浮かべ、自分の指に絡ませた。






 

現在の北九州市八幡西区に皇后崎という町があります。

現在は埋め立てられています。

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