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62 続月の影

「私はあのように強情な女人を見た事が無い。姫様はずっと待つと申された。たとえ殿が戻らずとも、何時までも待つと……だから申し上げた。殿を信じて待つというのは、其れは其れで、殿を苦しめ追い詰めるようなものだと……」

 

 紅梅姫のぶれない心を利用し、今村は紅梅姫を追い込んでいったのだ。


「暫く考えた姫様だったが、意を決したように、ならば、わたくしを殺しなさいとおっしゃった……だが、流石の私もそれだけは躊躇った……」


「……嘘を言え! 姫様を殺すつもりで会いに行ったお前が、其の時、殺そうと思わなかったと言って、誰が信じる!!」


「……本当だ! 姫様は動かぬ私を見て、懐剣を取り出された……そして、ご自分の首に当てられた。此のまま、殿を愛したまま、わたくしは死ぬのだと……現実こそが幻であり、わたくしの思いこそが永遠なのだと、姫様は申された……わたしは、人の気持ちなど、不確かな物だと思っていた。だが、現実が幻だと謂われればそうかもしれぬと……段々、自分が愚かに思えてきた。私は、常に現実のみを追いかけ、周りを欺いてきた人間だ!」


 次第に、今村の顔が悲痛なものとなっていき、少しずつ正気を失っていくようだった。紅梅姫の言葉は卑怯な生き方をしてきた今村の心を揺すり、其れは心の奥底に沈殿していた汚れた物を彼に思い起させたのだろう。


「だから、実のところ、姫様が懐剣を取り出した後のことは、あまり覚えていない。頭の中が真っ白になった……姫様と揉み合った事は覚えているが、詳細が分からないのだ……気付いたら、姫様が血まみれで倒れられ、苦しがっておられた。だから、介錯をさせて頂いた……」


「……たとえ、今のお前の話が本当であっても、姫様を殺したのは、お前ではないか……姫様が待つ事が、殿を苦しめるなど、何と愚かな事を言ったのだ!! 殿を苦しめたのは、お前達の欲ではないか!! 殿がどれほど姫様を好いておられたことか……あの手紙を見て、どれほど落胆したことか!! 自分の主人をお前達はどれほど愚弄したか、本当に分かっているのか!!」


 沢村は刀を漸く、構えた。彼の怒りは頂点に達しようとしていた。

 今村の記憶の中にしか、紅梅姫の最期は無い。だから、此れが真実かと問われれば、全てではないだろう。だが、紅梅姫の思いが分かりさえすれば、姫の言うように、現実はもう必要なかった。


「今村、自害しろ!! 此れは私の慈悲だ!!」


 だが、今村は涙を流し、首を横に振った。


「いや、そなたと剣を交えよう。そして最期くらいは侍らしく、この幻を終えよう……」


 今村も刀を構える。その姿は凛々しい若侍のようだった。

 自分の中の汚れた物を吐き出し、死を覚悟した人間とはこうも美しいものだろうか……

 月影に映し出された今村の姿は既に幻のようだった。

 

 ゆっくりと繰り出される今村の剣は、確かなもので、気合が漲り、今まで昼行灯と呼ばれた男のものとは、到底思えなかった。


 沢村は今村の剣を受けた時、やはり今村の顔に死の覚悟を見た。

 今村は沢村に斬られることを望んで、剣を交えている。沢村の剣が空を斬った。


「沢村!! 気を抜くな!! 其れでは私は斬れんぞ……そなたは恐れておるのではないか、逃げようとしておるのではないのか? 何とか生き残れば良いなどと、中途半端な生き方をして、逃れようとしておるのだ!!」


 今村の剣に気迫が乗り、受けた沢村は思わず押され、体勢を崩す。


 確かに逃げていたのかもしれない……向き合っていなかったのは今村では無く、自分であったのかもしれない。


「沢村! いくぞ!!」

 

 次の一太刀で今村は決めてくる! 沢村の体が自然に動いた、今村から受けた太刀をぐっと返し、切っ先が今村の太刀から離れた瞬間、沢村は今村の胸の辺りを斬った。


 今村ががくりと膝を突き、其のまま前にばさりと倒れた。


 沢村は大きな呼吸をした……今村を斬れば、己が満足するだろうと思っていた。だが、結果は虚しいものであった。相手を倒したにも関わらず、沢村の心は満たされず、空虚であった。


 今村は既に死んでいたが、其の顔には笑みが浮かんでいた。そんな今村の顔は一度も見たことが無かった。今村は今村なりに精一杯生きていたのだと、たとえ其れが卑怯な生き方であっても……だが、其れを許しては、何事も成り立たぬのが人の世でもある。


 沢村は鈍い光を放つ月を見上げた。








 門の裏では屋敷へ帰ることを躊躇い、仲間が出て来るのを待っている、尼とその従者の姿があった。

 

 茂二は何度も屋敷へ帰るよう促したが、若橘は其れを拒み、此処で待つと言って聞かなかった。


 漸く、屋敷の中が静かになり、最初に出て来たのは翔太だった。

 翔太は若橘の顔を見て、にこりと笑った。


「……翔太」

「……漸く、吹っ切れたぜ。もう、此れでお前を沢村に渡せる……」

 涙の滲んだ目で若橘を見ると、彼女の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「……時期、沢村も出て来る……奴のほうが、俺より辛い思いをしている筈だ。もう少し待っててやれ」

「……翔太」


 若橘は翔太の名を呼ぶことしか出来なかった。あの陽気な翔太をこんなにしたのは自分かと思うと、悲しくなる。


「お前が悲しむ事じゃない。正直に生きるんだ……沢村について行け。沢村はどんな事があってもお前を守る事の出来る男だ……若橘、最後に一度だけ……」


 翔太はしっかりと若橘を抱き締めた。そして翔太は小さく呟いた。「俺はもう二度と恋はしないだろう」と。


 若橘の目から大粒の涙が零れ落ちる。若橘は翔太が強がっていると分かっているくせに、如何しても翔太には恋が出来なかった。翔太が思ってくれているのが分かれば分かるほど、恋が出来なくなっていた。


 思わず、若橘の口から「ごめん」と零れ落ちる。

 

「謝るな、そんな言葉は要らない」

 

 最後まで、強がる大馬鹿野郎だ!!


 何時の間にか、隼人が出てきて、二人の様子を見ていた。


「そろそろ行こう、翔太」

 力の無い声で隼人は翔太を促した。


「隼人……」

 やはり若橘は名しか呼べない。

「大丈夫だ、今から志乃に仇を討った報告をしてくる」


「そうか……私も明日、志乃に報告に行くよ」

 

 若橘が言うと、隼人は首を横に振った。

「いや、お前は柏井の方を葬るまで行かなくていい……暫く、志乃と二人で居たい……」

 

 隼人は一人で歩き出した。其の姿を見て、翔太は若橘の頭をもう一度くしゃくしゃと撫でて、隼人の横に並んだ。


 若橘は二人の後ろ姿を見送った。

 其れからまた暫くして、漸く、沢村が出て来た。

 沢村の顔には疲労と悲哀が滲み出ていた。そして、若橘の顔を見ると無言で息が止まるほど強く、彼女を抱き締めたのだった。








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