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58 決着

 綾と沢原が亡くなった翌日、初は秋晴れを喜び、沢村の屋敷で洗濯を始めた。

 若橘は茂二が庵から運んで来た自分の身の回りの物を、片付けていた。秋の日差しが心地良く、庭の片隅に咲いた女郎花おみなえしの花が、風に揺れている。

 茂二は庵の片付けをするからと、若橘の庵に残っていた。

 

 本当に沢村の屋敷に住んで良いのだろうか。世間の目というものが気になる、本当は一緒には住めないのだが……それから、まずは還俗げんぞくしなければ、御仏に申し訳がない。今度の事が片付いてから、還俗を申し出ようと思っていた。


 井戸で洗濯をしながら鼻歌を歌っていた初の声が途切れた。

 洗濯はもう終えたのだろうと思ったとき、若橘がいる部屋へ、初は放り込まれ転げた。

 見上げた若橘の目の前に、三人の侍が立っていた。若い侍が二人、そして後ろに今村が立っている。若い侍の一人が初の襟ぐりを掴み、若橘へ放り投げたのだ。


 若橘は突然の事に、一瞬、息を呑んだ。

 若い侍は二人とも、これ見よがしに既に刀を抜いていた。


「……一体、此れは如何いう事ですか!!」

 若橘が声を荒げた時、初が立ち上がり若橘を守るように手を広げた。

「……奥様には指一本触れさせません……」

 言い終わるか終わらないうちに一人が、初の顔を平手で殴った。初が吹き飛ぶ。

 若橘は初に駆け寄るが、顔が腫れあがり口から血が流れ出す。若橘は睨みつけるように、その侍を見上げた。だが、当然のことだが相手は平然としている。


「若橘殿、来て頂きたい。そう申し上げようとしているのに、この婆さんが煩くて仕方がない」

 今村は声を荒げるでもなく、冷静だった。女相手に若い侍を二人も連れていれば、気持ちが大きくなるというものだ、何時もの怯えた様子は無い。

 初が呻き声を上げて、起き上がろうとする。


「その婆さん、殺しても良いかい?」

 初を殴った侍がにやりとしてそう言う。それが脅しだと分かってはいても、もしやと思うものだ。

 

 若橘は初をそのままに立ち上がった。

「宜しいでしょう、わたくしが行けば良いのですね」


「物分りが良いじゃないか、やはり、尼は違うねえ……おい婆さん、此の家は尼が奥様なのかい? 御仏に見放されるぜ……」

 若い侍はそう言うと刀を納め、若橘を縄で縛る。其の時、若橘の胸に挿した懐剣に気付いたらしく、侍が取り上げようとしたところ、若橘は自ら初に渡した。若橘を縛った侍は縄の端を引き、若橘の肩を押した。


「行きましょうか」

 今村は用意が出来たのを見て、そう言った。


 裏に小さな飾りの無い輿が、用意されていた。

 そういえば、以前にも今村に連れて行かれたことを思い出す。綾と沢原を死んだのを、逆恨みしているに違いなかった。大人しく付いてさえ行けば、初が宗右衛門の所へ連絡する筈だ。

 直ぐに殺される心配は無いと思っていた。最初から監禁するのが目的だということは、誰かを誘い出す為にやっていることになる。


 連れて行かれたところが、此の前のところか如何かは分からなかったが、以前のように部屋へ通されること無く、物置き部屋のような所に押し込まれた。


「暫く、大人しくしていてくれ……」

 若い侍は戸を閉め、外から錠前を掛けたようだった。かちゃりと金属音がして、そのまま人の気配が消えた。

 やはり、誰かをおびき出す心算のようだった。

 

 若橘は草(忍び)としては身軽ではなく、走るのも早いとはいえない。剣の腕もまあまあだ。ただ、薬草や薬に関する知識を多く有していたのと、もう一つ、特技があった。様々なことを習得する上で、此れだけは上手かった。それが、縄抜けだった。他の者に比べ、手首や指の関節が柔らかく、要領が良かった。

 若い侍らしく、ぎゅうぎゅうに締めてはいるものの、結びは適当で、指と手首の間接を上手く使えば、何とかなりそうだった。ただ、此処で逃げ出しても、騒ぎが大きくなって追いつかれてしまい、後が面倒そうだ。沢村の屋敷には帰れないので、宗右衛門の所へ行こうと思っていたが、此処が何処なのか、検討がつかなかった。

 兎に角、何時でも縄を抜くことが出来るよう、準備だけはしておこうと思った。

 誘き出された人物の邪魔をせぬように。


 




 茂二が庵の片付けを終え、屋敷に戻ると初が気を失って倒れていた。

 初の顔を見て分かることは、誰かに屋敷が襲われたということだった。茂二は初の体を揺すり、起した。漸く目を開けた初は、事の次第を茂二に説明した。

 

 茂二は其のまま、宗右衛門の屋敷へと走った。年を寄っていても、山歩きをする猟師でもある、若い者には引けを取らない自信があった。

 本日、沢村は登城しており、其の時には宗右衛門のところへ走るよう、沢村自身から言いつけられていた。

 茂二が訪れたとき、生憎、宗右衛門は留守だった。隼人が留守を任されていたので、隼人に事の次第を告げる。


「とうとう動いたか、沢村様が裏で何か遣っていると思ったのだろう。其れに、俺達の事も気付いている。ただ、今回の幽霊騒ぎを何処まで知っているかだ……」


 奥から出て来た翔太が茂二を見て、何かあったのだと察し、

「茂二、何かあったんだろ?」

 と直ぐに聞いてくる。

 

 茂二は翔太にも正直に事の次第を語った。

 俄かに翔太の顔が険しいものとなる。

「面倒な奴らだな、如何して素直に心中だと信じないかね?」


「信じれる訳はないだろ? 沢原には斬られた跡があるんだ。心中の筈は無い」

 隼人が醒めたように言った。


「隼人、お前は誰の味方なんだ?」

「……お前のほうが面倒だよ。それより、如何するかな?」


「……すぐに若橘様を、お救いに行くのではないのですか?」

 息を切らして必死になって来た茂二は、二人の落ち着いた様子に、戸惑いを隠せない。

 

 そんな茂二を見て、隼人が笑みを浮かべた。

「初さんが無事で良かった。若橘はまだ、大丈夫ですよ。殺すなら、屋敷で殺されてる。あいつは俺達や沢村様を誘き出す餌だから……それが分かってるから、あいつも大人しく付いて行ったんだと思うよ。こういう場合、一番危なかったのが、初さんだから。若橘なら、大丈夫だ……」

「まあな……」

 相槌を打つ翔太に隼人の目がちょっと意地悪な光を帯びた。


「翔太、若橘の特技、知ってるか?」

「……!? 汚ったねえ、お前、俺の知らない事、知ってんのかよ!! 教えろよ……薬以外のことだよな」

「……ああ」

 隼人の間合いに、翔太は少し苛立った。隼人の胸ぐらを掴みそうな勢いだ。

「や、止めろよ。教えるから……実はな、あいつ、昔っから縄抜けが上手いんだ」

「あっ!! 道理で、何時も縄ほどいてお前のところへ行って泣いていたんだ」

「……そう、仇を討ってくれってね……」

「……敵討ちねえ……」


 翔太は隼人の言葉に、感慨深そうに下を向いた。

 俺達は今も昔もちっとも変わってないのだと……相手は変われど、若橘の敵討ちに付き合わされる。


「もう一度、昔に戻りてえなあ……」

 翔太は子供のように土間を蹴った。


「で、如何なさいますんで……」

 茂二はあまりに悠長な二人に、呆れたようだった。


「じき、沢村が帰ってくるだろ? 夜にしようぜ。昼間っから、人を斬るのは嫌だなあ」

 と翔太が言うと、隼人も、

「そうだな」

 と相変わらずで、茂二は屋敷に戻って沢村の帰りを待つ事にした。


 若橘が連れ去られた屋敷は分かっている。以前に連れて行かれた、飯合の妾の屋敷だろう。

 乗り込む前に、下見がてら忍び込んで調べるのが良策だと、二人とも分かっている。此れで、決着が着けば、柏井の方だけとなる。

 

 

 

 

 

 




 


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