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53 夕暮れ

 凧は軽々と揚がった。

 宗右衛門は重量を心配していた。予定の大きさより、一回り大きなものが出来た為だった。翔太が骨組みの大きさを間違えたのと、本来ならもう少し、細く竹を削るつもりであったのだが、計画より大きく削ってしまった結果だった。

 しかし、竹の太さに関しては、少しがっちりして、良かった。あまり細いと、今日のように風が強い日は、ばらばらになってしまう。

 若橘から貰った薬も功を奏し、薄ぼんやりと月明かりに照らされ、町の人々の目に触れた。

 そして、近くの木に括りつけた鈴は、縄を引くとしゃんしゃんと鳴るようにしていた。

 若橘が鈴を鳴らす、聞き慣れた紅梅姫の鈴の音だった。

 沢村は、宗右衛門たち三人と共に、凧を揚げていた。


 若橘は思わず、手を合わせ、空を仰ぎ見た。

 そして、涙を流しながら、「紅梅姫様……」とあるじの名を久し振りに呼んだ。


 若橘の庵では、初が灯りを灯し、人影に見えるよう置いた夜具と共に、留守番をしていた。




 翌日には、町の衆の間に噂が一気に広がった。子供の歌と共に、皆に紅梅姫が現れるという噂を信じ込ませた。

 

 此れに柏井の方が驚いたのは言うまでも無い事だった。

 夜は眠りが浅く、花姫までも眠れぬ夜が続き、二人して顔色が悪い。医者を呼び、見立てて貰っても、さして病状が治まる訳でもなく、日に日に衰弱していくようであった。

 其れに加え、今回の紅梅姫の騒動である。


 月夜に紅梅姫が月毛の馬に乗り、鈴を鳴らし駆けるという。町の子供たちは歌まで歌っていた。

 

 紅梅姫を重郷から引き離し、疎んぜられるよう、謀ったという、自分の罪を思い起す。

 良心は誰にでも有るものだ。其処の心理を突き、包囲網を狭めていこうというのが、宗右衛門の計画だった。


 ほぼ、嵌りつつあった。仕上げは、翔太の幽霊だ。

 其の日、翔太は一回目の幽霊の用意をしていた。何度か幽霊に扮し、頃合をみて、花姫が発狂して柏井の方に襲い掛かるように見せかける予定だ。

 

「隼人、人魂を作って来たぞ……此れに火をつけたら、青白い人魂に見える。棒も付けてぶら下げられるようにして来た」

 裏木戸から、若橘が風呂敷包みを持って現れる。


「丁度、良いところに来た……」

 家の中から、隼人が手招きをした。若橘は隼人の困った顔を見て、家の中に入っていく。

 其処には紅梅姫に扮した翔太が居た。紅梅姫の遺品の内掛けを着ている。

 

「……隼人! 呼ぶんじゃねえよ!! 格好悪いだろ?」

 

 若橘はくすりと笑った。妙に可愛らしい、だが、立ち姿は男のままだ。


「ほら、若橘が笑ってるだろ?」

「いや、笑ってないが……化粧は私がしても良いか?」

「……!?」

 

 若橘は鏡の前に、翔太を無理矢理座らせると、白粉おしろいを手にする。


「若橘……翔太は頼んだぞ……俺はまだ、宗右衛門殿の仕事が残っているんだ」

 そう言って、隼人は早々に引き上げてしまった。


「……仕方がないな、翔太、じっとしてろ!!」

「嫌だ、自分でやる……」


 暴れる翔太を若橘は押さえつける。

「此れじゃあ、紅梅姫様では無くて、妖怪に見える……」

「いや、それは、妖怪に失礼だ!!」


 何時もの翔太だった。此の前会った時には、不機嫌で、人を射抜くような目をしていたが、今日は何時もの翔太に戻っていた。若橘はほっとする。


「だから、じっとしててくれ……」


 翔太は真顔で、化粧をしようとした若橘の手を掴んだ。

「……本当に此れが終わったら、一緒に里へ帰るのか?」


 若橘は答えるのに少し間が開く。

「……そうだ、抜けるというのは、死を意味するからな……」

「沢村から離れられるのか?」

「……それは……聞かないでくれ」


 歯切れの悪い返事をし、若橘は目に涙を浮かべる。毎日一緒に過ごし、夜寝るときには衝立ついたてで仕切りはするものの、他は夫婦めおとの生活と変わらない。


「だが、いくら里に連れて帰っても、もう、以前のお前には戻れないだろ?」


 若橘の頬を流れる涙を翔太は指で拭いた、慈しむように優しく……

 

「……優しくしないでくれ、翔太……」


 掴んだ手を引っ張り、若橘の身体を手繰り寄せようとした時、沢村が入って来た。

 

 入り口で若橘が奥に居ると聞いたのだろう。

 部屋の中を見たとき、二人の只ならぬ様子に、沢村は少しだけ身を硬くした。


 翔太から掴まれた手を引き抜き、若橘は直ぐに離れた。


 沢村は其れには触れず、若橘の手を引いた。

「帰るんだ、さあ……」


 気まずい空気が流れる。沢村の無表情は若橘を威圧した。たまに沢村が何を考えているのか、分からなくなる時がある。

 

 沢村は前を歩き、其の後ろを若橘は無言で歩く。庵の近くへ来た時、沢村は土手のところで座った。

 若橘も少し離れて座る。


「今日は、元の紅梅姫様の屋敷に忍び込むのだな……翔太は。幽霊として……」

「……ええ」

「如何した? 何時もの元気が無いな……」

「……」


「……若橘、私は自分の屋敷へ戻ることにする……」

「沢村様?」


 若橘は理由を聞くのが怖かった。やはり、綾の元へと戻るのだろうか……


「翔太はそなたを好いている……仲間と共に里へ帰ったほうが良いのなら、そうしなさい……」


 山へ薬草を採りに行った時、勝手に決めてはならぬと言ったのは沢村だったのに……

 未来は変わるかもしれない、と言ったのは沢村だった……

 さっきの事を、気にしているのだろうか……


 いろいろ考えているうちに、さっき乾いた涙がまた、はらはらと流れ落ちる。

 しかし、沢村は翔太のように、優しく触れてはくれなかった。最近、何処かで気持ちが空回りしているようで、若橘はもどかしかった。沢村は自分の感情を翔太のように、表してはくれない。若橘は沢村を見失いそうで、着物の袂を掴んで離したくなかった。

 

 其の時、若橘は本当に此のような状態で、沢村から離れられるのだろうかと、ふと思った。

 此れほど、沢村の言葉に一喜一憂する自分が、本当に沢村から離れられるのかと。

 もし、離れるくらいなら、掟を破って死んでも構わないのではないのかと。


 そう考えるうちに、沢村は黙って立ち上がり、一人、自分の屋敷へと向かう。

 そして、若橘から離れていった。

 若橘は見えなくなるまで、沢村の後姿を見送った。


 そして其処に残り、小川を眺める。

 夕暮れの小川を、色づいた木の葉が時折流れていく。もう、沢村とは駄目かもしれないと思うと、胸が締め付けられるように苦しい。最初はあれほど、警戒していた沢村が、今、どれほど大きな存在になっていたのか、思い知る。

 もう、沢村無しでは、生きていく意味すらないような気がしていた。


 そして、紅梅姫の強さを改めて感じる。あれほど苦しい思いを抱きながらも、紅梅姫は何時も重郷を見つめていた。若橘はもう一度、紅梅姫に会いたいと小川をぼんやりと見つめるのだった。





 




 



 

伝説では、月夜に紅梅姫が月毛の馬に乗って駆ける姿を見た人が、いたそうです。

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