52 続々秋のはつ風
翔太は工房の裏庭で、竹の葉を落とし、割っていた。
「……つっ、痛ってえ!!」
つい手が滑ったとみえ、指を切ったらしく左の親指を咥えた。
「……如何した?」
間が悪く、休憩にやって来た隼人がいぶかしそうに見る。
「何でもねえよ……」
「相変わらず、翔太は不器用だな……」
湯呑みに汲んだ水を飲みながら、隼人が笑った。翔太は其れが気に入らないらしい。口を尖らせ、何か言おうとするが、隼人が其れを制した。
「まっ、そんなに尖がるなよ。それより、小夜は上手くやってるようだ。花姫様が夜、眠れずにいるらしい……午後から凧作りは俺も手伝うよ。早く骨組みを作らないと、花姫様のほうが先に逝っちまう」
「……仕事が遅くて悪かったな!!」
隼人はふんと鼻で笑うと、突っ掛かってくる翔太には構わず、刀の手入れの仕事に戻っていった。
此処のところ、翔太は機嫌が悪い。その理由も良く分かっている。
隼人の心の奥底には、そんな翔太を羨む気持ちがある。
初から着替えを覗いたと疑われ、こっ酷く叱られ以来、何となく若橘のところへ行き難いらしい。
気にする事も無いのだろうが、其処が翔太の可愛いところかもしれない。
沢村は相変わらず、綾が居るので自分の家には戻らず、若橘の庵に住んでいる。いくら何も無いとはいえ、其れが余計、気になるのが人情というものだ。隼人にしてみれば、恋の出来る翔太が羨ましいというところなのだが。
翔太は黙々と竹を鉈で割っていく。図面は宗右衛門が書いている、其れに合うように組んでいかねばならない。
「……如何だ?」
背後から声を掛けられたが、翔太は振り返らなかった。
無言で汗を流しながら、やっている。
「やってるよ……あんたこそ、こんな時間に、如何した? お城は良いのかい?」
沢村は翔太の後ろ姿を見ながら、腕を組んで仕事ぶりを見ている。翔太の問いには答えなかった。
「城には居づれえよな……綾さんのところへ帰らねえのか?」
「お前も聞き辛いことを、よくもまあ、平気で聞くものだ……お前だったら、帰るのか?」
沢村はじっと立ったまま、翔太に聞く。
翔太は手を休める事無く、へっ、と笑った。
「帰らねえ……だが、沢原は俺が殺るぜ。だが、女は殺らねえからな、後はお前が始末つけろよ……あの女なら、沢原が殺られたとき、殺り返しに来る」
「ああ、分かってる……これ以上、お前達に迷惑は掛けられん」
「なら、良いが……」
「……」
「如何した? 若橘の事か?」
「……いや、止すとしよう」
「気持ちの悪い野郎だ。一緒に住んでんだろ? 自分で何とかしろ!」
やけに今日の翔太は機嫌が悪い。沢村は苦笑した。
「翔太、沢村様にそんな口の利きかたは無いだろ?」
宗右衛門が様子を見にきたようだった。其の後ろには、隼人の姿もあった。
翔太は、ちぇっと舌打ちをして、そのまま仕事を続ける。
宗右衛門はそんな翔太の態度を気にする事も無く、翔太が割った竹を吟味する。
「隼人、凧糸を墨で黒く塗ってくれ、其れから、手綱を縄で吊るすようにしておいてくれ」
宗右衛門は準備を着々と進めている。
隼人は「はい」と返事だけをした、言われた事だけをすれば良い。
凧糸は闇に紛れて見え辛いように、墨で黒く塗るのだろう。手綱は遠くから鈴が聞こえるよう、上のほうに吊るして、鳴らしたほうが、響きが良い。
其の時、裏木戸がじわりと開いた。
戸の隙間から、若橘が顔を覗かせる。
「……如何して、沢村様が?」
開口一番、出た言葉がそれだった。沢村は若橘の顔を見て、ばつが悪そうに笑った。
「いや、城の帰りだ……」
だが、若橘は其れ以上、沢村には質問しなかった。此の前のように、沢村を傷つけることのない様、気遣った。
「それより、翔太、凧は上手くいってるか?」
若橘は次に翔太が目に入ったのだろう、話題を変え、裏木戸を閉めると中に入る。
「……尾行はされてなかったのか? 傷は如何なんだ?」
翔太は不機嫌な声で、若橘の質問には答えず、たて続けに若橘に聞いた。如何に翔太が若橘の事を気にかけていたのかが、よく分かる。
「途中で巻いてきた。下手な尾行だ、私にも巻ける。其れから、傷だが、翔太、お前嘘をついたな!!」
若橘は此処で言葉を切る。
「傷は浅いなどと、深かったではないか!!」
「……深いって言ったら、気が遠くなるだろう! 怪我した奴に傷が深いぞ、危ないぞ、という奴はおらん!!」
「……其れは、そうだが……」
其れを見て、隼人が笑った。
「此処のところ、初さんに叱られて翔太の奴、しょげてたんだ……」
「……隼人、余計な事を言うな!!」
益々、翔太はふて腐れた。
「それより、花姫様の具合が悪いと城ではもっぱらの噂さだが……」
沢村が情報を入れる。城では、夜眠れないという話になっているらしい。
「町の騒ぎと共に、屋敷にも幽霊騒ぎを作らねばならんな……」
宗右衛門は、隼人を見た。其れが、何を意味するのか、隼人には分かっている。なので、隼人はその役を上手く逃れる。
「……いや、俺じゃあ、背が高すぎる。若橘を使う訳にもいかんし……」
そう言って、隼人は翔太を見た。
「……え? また俺かよ……格好悪い役ばっかりだよ……」
沢村はまだ気付いていないようで、隼人を見た。
「ああ、紅梅姫様の幽霊役は、翔太に決まりだ。どうせ、薄暗いから、顔は見えねえしな。紅梅姫様の着物は、若橘、此の前の葛籠に入っていたよな?」
隼人は説明した。
「ああ、だが髪はどうするんだ?」
「鬘だ、鬘は有る。京から変装用に用意したものがあるから、翔太、あれを使え。少し髪を振り乱したくらいのほうが、良いと思うぜ」
隼人の言葉に翔太は浮かない顔をした。仕方が無い。
「鬘を使うなら、私でもいいが……」
若橘は翔太が少し哀れになったようだった。自分から、言ってみる。しかし、其れには誰も賛成しなかった。
翔太が漸く、作業の手を休め、若橘に笑ってみせた。
「いや、大丈夫だ……お前には人は殺せない。そんな仕事は俺がやる」
「如何いうことだ!?」
「……聞くな!! お前は知らなくて良いんだ!! こんな裏の仕事はするな……沢村、若橘を連れて帰ってくれないか……」
もう止せと言わんばかりに、沢村は若橘の肩を抱いた。
「……仲間ではないのか? 翔太、私は仲間ではないのか?」
しかし、翔太はその問いには答えない。隼人が口を挟む。
「若橘、頼みがある……人魂を幽霊の周りに吊るすから、その薬を調合しといてくれ……なあ、翔太」
だが、翔太は其れにも返事はしなかった。
結局、翔太とは気まずい雰囲気のままだった。
若橘はあのような翔太を見たことがなかった。翔太は何時も調子よく、若橘を元気にしてくれる。今日の翔太は何処か、荒んでいるようだった。若橘は其れが気になって仕方なかった。
「……機嫌が悪い翔太なんて見たくない……」
帰りにふと漏らした言葉に、沢村は苦笑いをした。
「……そなたは気付いておらんかもしれないが、翔太とそなたが楽しそうに話をするのは、私も辛い……」
ぼそりと言った沢村の言葉に、若橘はそっと沢村の袂を掴んだ。




