49 続ひぐらしの声
沢村と若橘は夕暮れまでに如何にか、沢村の屋敷へと戻って来た。
やはり、午後から行った岩場に、探していた薬草はあった。
「初さん、初さん……足を漱ぐ桶を……」
玄関から何度か呼ぶが、初が出て来る気配が無い。
何時もなら、元気な初が小言を言いながら出てくるはずなのだが、奥から出て来た女を見て、沢村は絶句した。
「……綾? 如何してお前が?」
驚く沢村を尻目に、綾は平然としていた。
「お帰りなさいませ……」
「……ああ」
沢村は相槌を打つが、生返事だ。
「其のかたですか? 囲われた女の方は? 静馬様も変わってらっしゃること、わざわざ尼を囲わなくとも宜しいのに……」
綾は如何にも奥方らしく親しげに沢村を呼び、横目で若橘を品定めすよるように見た。
赤い紅が妙に浮いて見え、嫌らしかった。
「綾、お前には関係の無いことだ。出て行ったのはお前の方ではないか、しかも、沢原と出奔致したではないか!」
沢村が感情的になり始めたとき、綾が泣き始めた。
「酷い言いようでございます……女遊びに興じられたのは、静馬様のほうではございませんか?」
「……相変わらず、勝手がいい、お前という女は。子供は如何した? 沢原の子は?」
少し、沢村は落ち着きを取り戻した。綾の涙がかえって沢村を興ざめさせたらしい。綾の涙に絆されるほど、沢村は柔には出来ていなかった。
綾では人を謀れない。涙が如何にも空々しかった。
「……流行病で失いました……でも、沢原の子ではありません。あなたの子ですよ」
「よくも、白々しく、言えたものだ! 指一本触れずに、どうやって子が成せる? 出て行ってくれぬか?」
しかし、綾は簡単には引き下がらなかった。泣いたわりには、しっかりしている。
「出ては行きません。此処はわたくしの家でございますから」
綾は、きっぱりと言い放つ。
そして、初を呼んだ。初は不承不承、水を張った桶を抱えて奥から出て来た。
「初さん、悪かった。綾の相手をさせたようだ」
謝る沢村に、初は苦笑いをした。
「私は、若橘の庵に行く。綾、お前が居たいというなら、居るが良い。だが、わたしはお前が此処にいる間は帰らんぞ!! 今村殿にも、そう伝えよ!!」
沢村は驚く若橘を伴い、立ち去ろうとした。
其の時、綾の表情が変わった。
「……ならば、申します。わたくしは、子供を人質に捕られ、貴方を見張るよう謂われております。お許し下さい……だから、此処に居てください。で、なければ、子供が殺されます」
沢村は、口の端を上げて笑った。
「可笑しかろう、沢原に頼め! 頼む相手が違っておるわ!」
「……沢原は自害致しました」
綾は息を啜った。そして、
「侍として腕が使えず、死んだも同然でございました……それで、今村の父の元へと帰りましたが、飯合様に子供を取り上げられ、命じられました」
と、その場に泣き崩れた。
たとえ綾が泣き崩れようと、沢村は微動だにしない。
それどころか、其の様子に駆け寄ろうとする若橘を、沢村は制した。
「そなたが心配する事ではない、綾の事はわたしが始末をつける。其れより、飯合様はまだ、何か企んでおるのかな?」
「……」
綾は黙った。涙を零し、口を真一文字に括り、其れには答えない。
「……何をするつもりか? お前が見張るのは私だけではなかろう? 若橘も見張るのだな?」
だが、其れからは、けっして声を出さない。
頑なな態度に、沢村は業を煮やす。
「もう良い、初さん、綾の身の回りを頼む。わたしは、若橘の庵へ行く。綾に見張られるのは御免だ!」
沢村は物凄い剣幕で、若橘の手首を掴むと、玄関を出た。
其れを見て、泣き崩れた綾は立ち上がった。
「初、塩を撒きなさい!! あんな女に骨抜きにされて、静馬様、此のままでは済まされませんわよ!! きっと、その女の息の根、止めますからね」
綾の叫び声に、引き摺られるように歩いていた若橘が振り返る。背後の若橘が振り返ったのを感じて、沢村は、叱咤する。
「振り返るでない!! 此のままで許されないのは、飯合と今村のほうだ!!」
恐ろしい形相をした沢村は、若橘と共に自分の家を後にした。
夕暮れの町にひぐらしの声が哀愁を漂わせる。
一日の仕事を終え、隼人は片付けをする。暖簾を仕舞い、表に出した台などを片付けていた。
翔太は此のところ、裏の仕事に没頭しているようで、昼間は出掛けて居なかった。
夕陽を背に、子供達が手をつなぎ、歌を歌いながら家路へと急ぐ。
~紅梅姫様 お綺麗な姫様ぁ
馬の鈴鳴らして 天を駆け
殿様 恋しと泣いている
殿様 寂しと涙するう
いつまでも お待ちしています
「うん? あれは何だ?」
隼人は暖簾を仕舞いながら、首を傾げた。
「下手な歌だな……可哀相に、翔太に教えられたんじゃ、音痴になる訳だ……」
奥から宗右衛門が笑いながらやって来た。
「翔太って?」
「あれは、翔太が作った歌だ。上手い手を考えたもんだが、ちょっと、歌が下手すぎだ……はっ、はっ、はっ……」
宗右衛門は腹を抱えて笑う。
「悪かったすね、音痴で……」
何時の間にか、隼人の傍にふて腐れた翔太が立っていた。
「まあ、子供の歌だ、あのくらいで上等だ……」
宗右衛門は翔太を少しだけ、慰めた。
だが、隼人はそんな事はお構い無しに、面白そうに手を打った。
「それで、飴やせんべい持って、爺さんに変装してたのか?」
「そうだ、神社の境内なんかの子供が居そうなところへ行って、教えて来たんだが……」
「翔太にしては、知恵が回ったものだ。だが、子供というのが戴けんな、俺なら、今様の歌にして、白拍子に歌って貰うが……」
隼人がそういうと、翔太は鼻で笑った。
「俺もそう思ったが……京ならいいが、筑前の白拍子じゃあな……」
「……そうか? まだ、若橘の事を気にしてるんだろ?」
その問いには、直ぐに翔太は答えなかった。下を向いたまま、冴えない面持ちで上がり框に座った。
「……何で、一緒に住んでるんだ? なあ、隼人……」
「……さあな、だから、早く自分の女にしとけって言っただろう……」
と言って、隼人は宗右衛門が居ることに気付いて、口を結んだ。
そして、宗右衛門の様子を伺う。
宗右衛門は道具を片付けながら、聞こえない振りをしてくれたようだった。
翔太が若橘を好いているのは分かったことだし、若橘と沢村が一緒に住んでいることも承知している。
沢村は自ら事情を話し、けっして手は出さないと宗右衛門に許しを請いに来ていた。
其処は沢村に手抜かりは無い。
「……翔太、如何でもいいが、お前、歌の尾ひれが邪魔になるんだが……俺は、藤田辺りで紅梅姫様を見たという、噂が欲しいと言ったんだが……仕掛けを考えなきゃいかんな……紅梅姫様あ お綺麗な姫様あ……」
宗右衛門は翔太の歌を口ずさむ。
其れを聞いて、思わず、翔太と隼人は顔を見合わせて苦笑した。
「きたねえ!! 宗右衛門殿こそ、音痴だぜ……」
翔太はここぞとばかりに、宗右衛門の歌を貶した。
「何を謂うんだ、翔太が作った音痴のまま歌ったから、音痴なんだ」
三人は笑いながら、ひぐらしの声を伴奏に翔太の歌を歌った。
流行れば、面白い!




