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4  続 京の大内屋敷にて

 紅梅姫の白く細い指が美しい仮名文字を綴る。

 細い筆に墨を含ませ、筆先は音曲でも奏でるかのように時には静かにそして激しく、あたかも彼女の感情を表現するように動く。

 其れを横目で見ながら、若橘は静かに切り継ぎの紙を作っていた。

 

 筆はその速度を次第に失速させ、筆置きに収まる。

 すると紅梅姫は庭に目をやった。

 今日は温かい春の日差しが庭を包み込んでいた。


 紅梅姫は感傷的な目をしている、やはり、この様な時の彼女は言葉に表せないほど、美しい。

 その紅梅姫の口がゆっくり開く。


「……若橘、わたくしは母君を知りません……でも母君は父君と恋に堕ち、わたくを生んだと聞いております。わたくしは重郷様に恋をした時、母君を感じました。会ったことも無い母君を……」

「はい、わたくしも婆様から聞いております。宮中の方々も語るほどの熱烈な恋であったと」

「……ええ、わたくしの母君は身分が低いので、父君の家には受け入れられず、それでも母君はわたくしを産みました……でも、わたくしをお産みになると直ぐに他界されました……だから、わたくしは本当に生まれて良かったのかと何時も心の中で自分に問うのです」

「姫様、だからこそ生きて行かねばなりません、姫様は御母君の情熱を受け継いで居られるのですから」 

 

 若橘は橘の婆様に、紅梅姫の生母の話は幾度も聞いている。

 それはそれは美しいお方で有ったと。今の紅梅姫は御母君の生き写しだとも聞いている。身分が低く他の方々からは疎まれはしたものの、紅梅姫の父君からは人が羨むほど愛され、お幸せであったと。しかし産後、夏の暑さを超えられず亡くなられたのだと婆様は言っていた。


「父君はわたくしの輿入れには反対もせず、何もおっしゃいませんでした。あなたの思うようになさい、私はあなたを応援しているよ、と。」

「姫様、御父君のおっっしゃる通り、殿を思うがままに愛されませ」

「そう若橘が言うのなら安心だけれども、本当に重郷様はわたくしを愛してくださるでしょうか……それとも……」

 紅梅姫は最後の言葉を濁した。


 早くに亡くなられた母君に代わり、御正室がその養育をした。

 やはり風当たりは強く、何時も沈んだ目をされていた。苦しい事がある度、二人で馬に乗った事を思い出す。馬に乗り風を切るときの爽快感は、嫌なことを全て拭い去ってくれるようだった。

 

「また以前のように馬に乗りたいですね……」

「姫様、今度はわたくしではなく、殿と馬に乗られると宜しゅうございます」

「……ええ」


 気付かぬうちに御苦労されていたのだろう、相手に気遣いを怠る事の無い優しい姫であった。

 若橘への気配りも有り、まるで自分の姉妹のように接してくれる。其れは互いが妹であり姉であった。

 

 若橘には、純粋に恋に生きようとする紅梅姫が意地らしかった。

 紅梅姫にすれば大内家も麻生家も無い、重郷殿に愛されたいという情熱だけだった。


「この古今和歌集の仕上がりが楽しみですこと……」

「しかし姫様、あまり根を詰めますと、お顔が皺くちゃに成りますよ……」

「……え!? まさか、橘の様にですか?」

「はいっ……」

「その様な事を言っては駄目ですよ……橘は耳が良いから直ぐに聞こえてしまいます……」

「確かに、婆様は良い耳を致しておりました……」

 と二人で笑ったのだが、何となく寂しい気持ちになったのであろう、其の後口を噤んでしまい、二人とも自分の作業の続きをする。


 やはり若い二人には生まれ育った屋敷や人々が恋しかった。

 此のまま帰ることは無いであろう京の空気を少しでも長く感じていたいと若橘は思った。

 本来なら嫁に行く娘を送り出す父母が居るのであろうが、彼女達は何となく虚しい時間を過ごさねば成らなかったのである。


 

 そして、この日も翔太が裏口に紙を売りに来た。


――若橘、出立の日取りが決まったようだ、ここ二、三日内には知らせがあろう、

   姫様は楽しみにしておられようなあ


――ああ、重郷様にお会いになるのを心待ちになさっておられる


「これ、此の紙に金箔を散らしては如何か?」

 他の女達が入って来たので若橘は、声を張り上げる。すると後ろの侍女が珍しそうにやって来た。


「若橘殿、此の紙の色は良いですね……」

 その女は若橘に張り付いて来る。

 いや、若橘が目的では無く、言葉とは裏腹に翔太の顔をジッと見て、意味有りげに笑った。

 翔太も軽く頷く。


 暫く見詰め合っていたが、其の女は紙を置くと立ち去って行った。


――如何謂うことだ、翔太!


――子供みたいな事、聞くんじゃねえの! 女抱くのも俺の仕事、情報掴むには女を抱くのが一番……


 と其の時、パシッと乾いた音がした。

 若橘は翔太の頬を叩いた、それも満身の力を込めて。


――何すんだよ! お前も男には気を付けろよ、お姫様のお守りばっかで世間知らずだろ? 

   心配なんだよ……


――世の中、お前みたいな男ばかりでは無い!


――そうかな? 男なんて皆同じだぜ……

   俺はお前の事心配して言って……本当は……


「もう来なくて良い!! 二度と見たくないわ、その面!」

 若橘は翔太を罵った。


 若橘も草の者の端くれである、分かってはいるものの、翔太が其れを当たり前のように語るのは許せなかった。女を何だと思っているのか、しかも自分にまであのような下劣な言い方をするなど、考えられ無かった。


 翔太は赤くなった頬を擦りながら、「若橘、本当に気をつけろよ、誰が近付いて来るか知れたものではないぞ」と低い声で忠告すると、荷物を纏め出て行った。


 若橘は翔太の顔を睨み付け、今にも泣きそうだった。

 それは翔太に幼い頃の若橘を思わせた。意地悪をした時、何時も涙を流す事無く、じっと堪えて隼人の処へ行くのだった。其の後「子供の時から女を泣かせて如何する」と言って隼人に笑われたものだった。


 桜が散り、そろそろ五月が見頃を迎える時期であった。


 

 


 



 

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