48 ひぐらしの声
沢村と共に山へ入って行く。
薬草は岩場のような所に生えており、めったに目にすることは無かった。しかも、沢村は薬草など全くの素人だ。
沢村は物見遊山にでも訪れたように、楽しそうだった。
「どのような形をしておるのだ? 此れか?」
「……其れは、子供でも知っております。どくだみ草ではありませんか? 臭いですよ、そんなに手で触られると……」
沢村は摘んだどくだみをその場に捨て、匂ってみる。
「たしかに臭いが、私は嫌いではないぞ……」
真面目なのか、不真面目なのか、子供のような其の仕草に……若橘は思わず噴出してしまった。
「ご存知なのでしょ? もう、真面目にやって下さい。白い花が咲くことも有りますが、今の時期ですと咲いていないと思います。葉の形を書いた物を、お渡し致しましたでしょ?」
呆れ顔の若橘を見て、沢村は笑う。
「漸く、笑顔が出るようになったな……」
若橘は黙りこくった。やはり、自分を気遣って沢村は楽しそうにしているのだと……
「……深い意味は無い、現実を述べたまでだ」
と言って、若橘の頬へ手を伸ばそうとした。
「……嫌でございます、どくだみを触れた臭い手で……もう……」
若橘はおどけたように言うと逃げるように、一人で山を登って行った。
すると、
「危ないぞ、また、猪に襲われるやもしれん……」
と言いながら、沢村は若橘を追いかけてくる。
沢村と共に、午前中捜して回ったが、なかなか見つからなかった。
「此処で、飯を食ったら、もう少し山の奥へ入ってみよう。そなたが言うような、岩場が有る」
日差しまだ強かったが、木の下に大きな石があった。其処へ沢村と並んで座った。木漏れ日が差し、山の上であるので、心地良い風が吹く。
時折、ひぐらしの物悲しい声が聞こえた。
沢村は若橘に初が作ってくれた握り飯を差し出した。
竹の皮を開くと、大きな握り飯が並んでいる。初らしかった、何の飾りも無い大きな握り飯。そして、沢村は其れを上手そうに頬張った。
「そなたも早く食べぬか……」
「……」
返事をせぬ若橘に、沢村は微笑み、握り飯を差し出した。
「……さあ」
「……こんな時に不謹慎では有りますが、幸せだと思ってしまいました……姫様を失いましたのに……」
若橘の目から涙が零れた。
「姫様は、そなたの幸せを望んでおられたのではないのか?」
「……」
若橘は無言で、頷きもしないのに、沢村は勝手に話を進める。
「……であろう? ならば、生きておる者は泣いたり笑ったりするものぞ。泣いてばかりでは、生きておる意味が無い」
「沢村様……それから……わたくしは今度の事が終わりましたら、京へ帰らねばなりません。仲間と共でなくては、わたくしは生きてゆけぬのです」
沢村は手にしていた握り飯を、膝に置き、長い息を吐いた。
「……そうか……しかし、先は分からぬ。時に未来とは、想像もつかぬ方向へと動くことがある。良いな、何でも勝手に決めるな。そして、もう泣くでない……」
「……その様に言われますと、子供のようです」
「何を言っておる? そなたの其の髪は、尼というよりは稚児のようだ……」
沢村は若橘を抱き寄せる。
「駄目でございます……にぎり飯が……落ちます」
若橘の心配を他所に、握り飯を横に置くと、若橘に唇を重ねる。
腕の中で抵抗する若橘を力ずくで押さえ込む。次第に諦めたように若橘から力が抜けていく。其れを確かめると、沢村は若橘を堪能する。
漸く、唇が離れたとき、若橘は俯いた。
「此れでも、尼でございます……」
小さな声で呟く。
「……大丈夫だ、此処には猪しか居らぬ。御仏もこのような山中にはおいでにならん……地獄に落ちるときは一緒だ……そうでなければ、私は経を知らぬのでな……」
そう言うと、俯く若橘の顔を指で上を向かせ、もう一度、口ずけをした。
翔太は噂を流すのに苦慮していた。
遊女に流すのが手っ取り早いが、あの場でああ言われて、本当に遊女を買ったのでは格好がつかない。
「若橘も遊女買いをしたからといって、お前を変な目で見ないであろう?」
宗右衛門は刀の手入れをしながら、苦笑する。
翔太は、宗右衛門殿にはわからないんだと、心の中で叫ぶ。しかも、今日は沢村と二人で山の中だ。
翔太にとっては、面白くない話だ。
「翔太、此の一件が片付いたら、京へ引き上げるぞ……若橘も一緒だ」
宗右衛門は刀の柄を外して片目を閉じ、刀の刃を吟味する。
「……本当に、若橘も連れて行くんですか?」
翔太より先に隼人が割って入った。
「ああ、橘の婆様との約束だからな。若橘は私が里へ連れて行く。何処か、公家の侍女として適当な所を探す……まあ、髪が伸びるまでは、仕方が無いが」
「では、沢村との事は……今日、許したのは?」
隼人は心配そうに聞いた。
「まあ、ごっこだな、恋愛ごっこだ。本来なら、紅梅様がご自害した後、直ぐに若橘を返さねばならなかったのだが、事情が事情だけに、此処に置いているだけだ。此の一件、片付いたら、直ぐにでも出立出来るよう、身軽にしておいてくれ」
宗右衛門は刀を研ぎ始めた。
刀を研ぎ始めた宗右衛門には声を掛けてはならない。そう言い付けられていた。
翔太は何か言おうとして口を開けたが、声を発することは無かった。
隼人が翔太の肩を叩く。
「翔太、自分の仕事だけをこなせ……」
隼人の声には憂いが混じっていた。
「初さん」
と呼ばれ、振り返り、其の姿を見て初は驚いた。
「……如何して、今頃、来られたので?」
手にしていた、器を取り落としそうになった。
だが、綺麗に化粧をした武家のその女は、初に、にこりとした。
「帰って参りました」
と井戸の近くで洗物をしていた初に、当たり前のように言った。
初は立ち上がった。今更、何を言うのだ。
大声で叫びたかたったが、紅で赤く染めた女の唇は、初を嗜める。
「初さん? 相変わらず、下品な物言いですね。だから、初は止めさせなさい、と旦那様に申しましたのに」
「だんな様はお出掛けです!」
初は女の体を押し返すように、はっきりと言った。
「そう、お城を休まれて、女のところですか?」
「……」
初は答えない。
「いいわ、待ちますから。今日から、このお屋敷に居りますので、食事もお願いね。ただ、あなたの食事は不味いから、しっかり頼むわよ」
そう皮肉をたっぷりと言って、奥へと入っていった。
初の顔から血の気が失せる。
とんでもない女が帰って来た。
初はどうも、綾とは馬が合わなかった。




