45 続々岩清水の落つ
自害の場面があります。苦手な方はご遠慮下さい。
今村は怖気てはいたが、しっかりとした口調で、紅梅姫の最期を語り始めた。
今日、今村は声も掛けずに、静かに屋敷に入り紅梅姫の部屋を訪ねたという。
大体、其の事自体が腑に落ちない。何故、勝手に上がり込んだのだ?
「わたくしが居ない事を、今村様はご存知だった筈です」
若橘は沢村の屋敷に向かう途中、通りで今村に会っている。
今村は一瞬、若橘のほうを見たが、そのまま話を続けた。
部屋で古今集の写しを書いていた紅梅姫に声を掛けると、姫は最初こそ驚いたが、誰も呼ぶ事は無かった。それどころか障子越しに尋ねる初に対し、「誰も来なかった」と自ら言ったという。初が尋ねに来た時には既に今村は部屋の中に居たのだ。
確かに最初、殿の書状を読んだ紅梅姫は動揺したが、直ぐに落ち着いた。
何時か、こうなると覚悟をしていたようであった。騒ぐこともなく、泣くこともなかった。
そして、今村に明日にでも立ち退く準備を始めると約束したそうだ。
「……嘘です、姫様は殿を何時までもお待ちすると申されておりました。そして、もう大丈夫だからとおっしゃいました……そんな……」
若橘は涙を流しながら、今村に訴えた。
「い、いや……此れは本当の話だ。私は嘘は云わん!!」
今村は顔を真っ赤にして、反論した。嘘では無い事を信じて欲しいのだろう。
今村を睨みつけている沢村は顎を杓ったような仕草をし、続きを要求した。
今村は其れに応じ、話を続ける。
殿には『何時までもお待ち申し上げております』とお伝え下さい。
と云われ、姫様は話を続けられた。
『わたくしの肉体はこの世から無くなりますが、魂は何時までも殿を信じ、お慕い申し上げております。わたくしの此の気持ちは京の都で初めてお会い致しましたときから、何ら変わりはありません。此処で終わりではありません。此の思いを手放す事の無きよう、わたくしは此のまま参ります』
と……
紅梅姫様は落ち着いてお話しになられると、懐から懐剣を取り出された。
私は慌てた。だが其れと同時に、本当に死のうとしておられるのか? という疑問が浮かんだ。
だから……一呼吸、遅れたのだ。
まさか、直ぐにその場で喉を突かれるとは思いもしなかった。
今考えると、立ち退く事を強制されるお覚悟が出来ていたのだから、其の後の事もお考えだったのだと思う。
侍女や女中に暇を出され、屋敷まで取り上げられるという事は、殿から捨てられたということだからな……
「今村殿、貴方という人は……何処まで、紅梅姫様を苦しめたら良いのだ!」
沢村は刀を抜こうとした。だが、今村は後ずさりしながら、「待ってくれ!!」と言って片手を上げた。「兎に角、最後まで聞いてくれ」と。
喉を突かれた姫様だったが、傷が浅かった……苦しいお顔をされ、「今村……介錯を……」と喘ぎながら申されたので、私は首を切って介錯致した……
今まで生きてきて、一番辛い介錯だった、
と今村は振り返った。
後は、皆が存じておる通りだ、と怯えながら言った。
「何が辛い介錯ですか!! 貴方が紅梅姫様を殺したのではありませんか? 傷が浅かったのなら、もしかして助かったかもしれないのに……」
若橘はまた泣き崩れた。何とか今村の話を聞こうと、目に涙を浮かべ必死になって堪えていたのだ。初が若橘の肩を抱き、落ち着くよう促す。
「……それは違う、助かったかもしれないが、姫様は助けて欲しいなんて思われない……ただ、姫様のご自害を止めなかったのが、今村殿、貴方の狡さだ!!」
沢村もついに刀を抜いた。とうとう今村に対する感情は、沢村の我慢の限界を超えた。
沢村の体は怒りで小刻みに震え、今村を睨みつける。
「や、止めてくれ!! 本当の事を言ったぞ……嘘は無い……」
今村は蛇に睨まれた蛙のようだった。足が竦み、その場から動くことが出来ない。
「姫様がご自害しないと高を括っていたというが、本来は其れを望んでいたのであろう? 様々な手を使い外堀を埋め、徐々に姫様を追い詰めていったのは、そなた達ではないか!! 最初から、止める気など無い筈だ!!」
沢村の怒りは頂点に達したようだった。
抜いた刀を今村の目の前に突きつけた。今村は目を閉じる。きっと腰が抜けて立ち上がれないのだ。殺される覚悟なんぞ、此の男にはありはしないだろう。有るとすれば、計算と狡さだけだ。
だが今村にその刀が振り下ろされることは無かった。
初の悲鳴によって、其れは掻き消された形となった。
初に皆の視線が集まるが、直ぐに其れが若橘が原因であると知る。
彼女は紅梅姫の亡骸の横に立ち、既に懐剣を抜き鞘を捨てていた。
其れは何時か翔太が持って来た、橘の婆様の懐剣だった。
「やめろ! 若橘! 止めるんだ! 早まってはいかん!!」
だが今の若橘に沢村の声は届かない……
「婆様……悪い、如何しても姫様をお守り出来なかった……わたしの責任だ……」
そう言い放ち、後ろで一つに纏めていた黒髪を掴み前に持ってくると、肩のところでぷつりと切ってしまった。
其れを見ていた沢村は自分の刀を腰に納め、若橘から懐剣を取り上げた。
あっという間の一瞬の出来事だった。
その場の皆が唖然とした。
しかし其の髪を握り締め、若橘は紅梅姫の亡骸にしがみ付き、号泣した。
今の彼女にとって、自害も殺害もありはしない。紅梅姫が死んだという事実のみが、重要なのだ。
紅梅姫の死は若橘の死でもあった。
「茂二、今村殿と城へ行き、紅梅姫様のご自害を報告しろ……そして、葬儀の手筈を整えるよう、伝えてくれ」
沢村は若橘の懐剣を鞘に納めながら、茂二に指示をした。
そして、今村に振り返り
「貴殿の仕事だ、紅梅姫様の葬儀を……」
そう言うと、号泣する若橘の小さな肩を抱いた。
「思う存分、泣くが良い……涙が枯れて、私が見えるようになるまで、思いっきり泣くが良い……」
その沢村の目にも、薄っすらと涙が浮かんでいた。
紅梅姫 八月十四日没 享年十八歳 であった
紅梅姫の葬儀は翌日に、ひっそりと行われた。
柏井の方の目も有り、沢村と今村以外には城から重臣と呼ばれる者の参列は無かった。
当の重郷さえも、自分の側室であるというのに、葬儀にも参列しなかったのである。
やはり、紅梅姫にはそれなりの覚悟があったのだろう。姿見の池近くに京の分室に当たる寺が有った。実家の供養をして貰っていたその寺に、紅梅姫は自らの没後の供養を依頼していた。麻生家への遠慮から、麻生家ゆかりの寺では無かったのである。
しかし、沢村は其れを許さなかった。重郷の責任を果たすべく、沢村は今村に麻生家ゆかりの寺の手配を命じた。
柏井の方からは白い目で見られたが、沢村にとってそんな事は如何でも良かった。
重郷は何も言わない、沢村が遣る事に、一切の口出しはしなかった。要するに、沢村が遣ったことは重郷が命じた事であるということが、成り立つ訳である。
葬儀は終わり、翌日には城からの使いが若橘に、屋敷を出るよう伝えに来た。
髪を下ろし、尼となった若橘が身を寄せるところなど、此の筑前には無かった。
若橘は躊躇ったが、宗右衛門のところへ行く事も出来ずに、仕方なく沢村の世話になった。
道具といっても、少しばかりの身の回りの品と、紅梅姫の遺品が少し有るだけだった。
茂二に台車を用意して貰い、初と沢村と共に小川が流れる陣山の丘の麓の小さな庵に荷物を運び込んだ。
すぐ近くに初の家も有り、其処ならば安心だと沢村が許可したのだった。
「だんな様も、物好きだよお。尼になった女を囲うなんて……」
初の相変わらずの強烈な言葉に、沢村と若橘は苦笑したのだった。




