41 姿見の池
其の日は梅雨の合間の晴れ間が広がり、夏の日差しがじりじりと照りつけた。
午前、沢村は宗右衛門の元を訪れていた。
訪れた沢村を宗右衛門は冷ややかな目で見ていた。其れはきっと宗右衛門が沢村が信頼出来る人物であるのか、品定めをしてたに違いなかった。
翔太は素知らぬ振りで、刀の手入れをやっている。
宗右衛門は沢村を家の奥へと通した。
部屋の中は薄暗く、焼け付くように暑い。
「まだ隼人は帰って来ないのですか?」
「……ああ、あいつを此処へ戻すのは躊躇われる」
宗右衛門は湯呑みに注いだ水を、ごくりと飲んだ。
水を飲むにも、隙が無い。敵に回せば恐ろしい相手だろう。
だが、沢村は端から敵に回す心算は無い。
「如何してです? 隼人は腕が立つし、判断力にも優れている……」
「私情で動くのは危険だ、もう少し頭を冷やしたほうが良い」
「……まあ、致し方無い。志乃の事は残念であったが……」
沢村の言葉に宗右衛門は眉を顰めた。
「若橘まで殺らせる訳には参らん……」
其れはぼそりとした声だったが、確実に殺気に満ちている。
そして続けた。
「貴方に若橘を渡す心算は無い。私達の場合、抜けるという事は死を意味する」
沢村は宗右衛門の謂う事は予想していた。簡単に若橘を手放す筈は無い、しかし此れで引き下がる心算もない。
「宗右衛門殿、今日は若橘の話をしに来た訳ではない。殿と紅梅姫様の事について、お頼みしたい儀が有り、まかり越した次第」
沢村は此の暑さにも関わらず、汗をかいていない。
宗右衛門はまたごくりと湯呑みの水を飲む。
そして発した一言は
「聞くに及ばず」
と素っ気無いものだった。
「そうも言って居られません、此のままでは紅梅姫様が屋敷を追われましょう」
「其れは如何かな? 京へ私から書状を書きました。今回の事を詳しく……大内の殿にも同様に」
「……そうで有りましたか、其れはかたじけない」
沢村は形式とばかりに、軽く頭を下げた。
沢村の其の姿を見て、宗右衛門は首を捻り彼を挑発するようににやりと笑った
「……だが、大内は如何思うておるかの? 此の件、口出しするようには思えん。重郷殿を切り捨てるお積もりやもしれん、私の書状など無いに等しい」
だが、
「事がはしたない上に、柏井の方様の事もあり面倒です。私も正直なところ、困り果てております」
と沢村も怯む様子は無く、
「其処で相談ですが、飯合を闇に葬る訳にはいきますまいか?」
とんでもない事を口にした。
そして二人して顔を見合わせ、大声で笑う。
「良いぞ、良いぞ、沢村殿! 其れが本心であろうの?」
宗右衛門は膝を叩いて笑った。
「宗右衛門殿、本気でございます」
其の時沢村は真顔になっていた。其れを見て宗右衛門も真顔となる。
宗右衛門がそんな馬鹿げた依頼を受けるとは、思っていなかった。腹を探ってみたかった
「いや、此れは失礼致した。しかし、私共のような武器の手入れしか出来ない輩には、人殺しは無理でございますな。他所を当たられよ」
「……しかし、如何考えても、其れしか思い付かなんだ」
宗右衛門は今度は湯呑みの水を最後まで飲み干す。
「私共の今の主は大内殿じゃ、麻生殿でも紅梅姫様でも無い。しかるに、何方が如何なろうとも、大内の殿が損をせねば良い、ただ、其れだけじゃ……」
そう言い終えると、仕事場の翔太に聞こえるよう、大声で叫んだ。
「翔太、沢村様がお帰りだ!!」
やはり宗右衛門とは、なかなか喰わせぬ男だ。
沢村は最初から了承するとは思ってはいなかったが、宗右衛門の腹を探りたかった。
宗右衛門を探れば、大内も探れると思ったのだった。
まあ其れなりの収穫は有った。つまり、大内は此の件に関してはまだ様子見であるということだ。
直ぐに圧力を掛けてさえこなければ、其のうちに対応出来るというものだ。
宗右衛門の気持ちは沢村には通じていた。本来なら書状を書いた話などする筈もないが、わざわざ足を運んだ沢村に聞かせてくれたのだ。紅梅姫様が如何でも良いというのは、少々、無理があるが。
だが、大内が紅梅姫を切り捨てたとき、麻生も同じ運命を辿る事になろう。そうすれば、必ず、重郷は城主の座を追われる。本家が出てくるに違いない。
沢村は此のまま紅梅姫が屋敷に残れるよう、城内で画策していた。そうして、如何にか重郷を説き伏せて、納得させようと企てていた。
翔太が首に巻いた手拭で汗を拭きながら、作業場から出て来る。
「如何だった?」
「無理だ、なかなか手強い」
「だろうな」
沢村は落胆した様子も無く答えた。翔太もさして驚く様子も無い。
「もう直ぐ、祇園会だ。紅梅姫様がお寂しいであろう。帰りに様子を見に行く」
沢村は翔太の肩をぽんと叩いた。
「ああ、そうしてやってくれ。夜は毎晩様子を見に行っているが、変わりは無い。姫様も随分と元気になられた、ついでに若橘もな」
翔太は首に巻いた手拭を取り、もう一度汗を拭く。
「……そうか、最近、あまり行ってないからな」
「だろうな、昼間は初さんが居るからな……」
翔太は汚れた顔で笑った。其れは夜には見ることが出来ない、素の翔太だった。
「……若橘も寂しがっているようだが」
「……」
「あんまり、放っておくと俺が貰っちまうぜ……」
だが、沢村は何時ものように強気では無かった。
翔太の肩に手を掛け、首を横に振りながら、
「いや、其れだけは止めてくれ……」
とぼそっと言った。
翔太は流石の沢村でも、今回の問題には悩んでいるのだと思った。
「……そうだ、今日は馬に乗って姿見の池を見に行くと言ってた」
「姿見の池? 少し遠いが、誰か共は連れておるのか?」
沢村の目がきらりと光る。
「いや、初さんの旦那の茂二を連れて行くと言ってた。俺が付いて行っても良かったが、昼間じゃあ目立つしな……大丈夫だと思うが……」
「……分かった、俺が行く。如何してこんな大事な事を初さんは知らせて来ないんだ」
沢村は珍しく、苛立った。
「あんたと若橘の仲の良いところを見せたくなかったんだろうよ、若橘も初さんも」
翔太はさらりと言って退けた。悪びれた様子も無い。
「……良いことを聞いた……翔太、恩にきる」
そう言って沢村は急ぎ、踵を返した。
最近、天気の良い日は気分が晴れるよう、馬に乗り二人でよく出かけていた。
今日も茂二の案内で、少し離れた神社へと出かけた。
神社の下に『姿見の池』と呼ばれる池が有るらしい。其れは昔、菅原道真公が京より下る際に立ち寄り、其の身を映し悲しんだとされる池だった。
紅梅姫は甚く其の池に興味を示し、雨が上がったときに行こうと約束をしていた。
今日は絶好の日和だった。
今まで、屋敷で重郷を待つ事が日課であり、なかなか出掛けられなかった。
紅梅姫の馬は重郷から送られた美しい手綱を着け、しゃんしゃんと鈴を鳴らす。
紅梅姫は、都を落ち延びていく菅原道真公に、自分の悲しい運命を重ね合わせていたのかも知れない。
若橘は紅梅姫の後を馬に乗り行きながら、そんな埒も無い事を考えていた。
姿見の池は大きな木の下に有る、小さな池だった。紅梅姫はそっと池を覗き込む。
するとその小さな薄暗い池の中で、何か黒い影が蠢いた。
紅梅姫は「きゃあ!」と小さな叫び声を上げ、若橘に抱きつく。
若橘が驚いて池を見ると、洗い物をする時の桶くらいの大きな亀が、池の中から出て来るところだった。
亀は大きな甲羅を引き摺るようにのんびりと動き、首を伸ばして此方を見る。
紅梅姫と若橘は顔を見合わせ、思わず噴き出して笑った。
其の時、若橘は紅梅姫の此の笑顔を見たかったのだと、そして此のとびっきりの美しい笑顔を重郷にも見せてやりたいと思ったのだった。
伝説では、重郷に疎まれた紅梅姫が泣きながら馬に乗って、山を走る姿がよく目撃されたという事になっています。




