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40 続山時鳥の鳴く

 沢村は若橘を部屋に連れて行き、初に後の事を頼んだ。

 そして急いで帰っていった。

 沢村はあくまで、後日の事を念頭に置いているようだった。此のまま引き下がる訳にはいかない、沢村とて重郷の立場をおおもんばかってのことだった。

 女の悋気を利用して、自分の立場を有利にするやからに政が出来よう筈も無い。 

 沢村は先を案じていた、それ故、彼の怒りは治まることは無かった。

 


 初は良く働いた。

 若橘と紅梅姫の二人の世話をしながら、掃除や洗濯、厨の仕事までこなした。

 初の世話の甲斐あってか、橘は翌日の午後には漸く自分で歩けるようになった。

 

 歩けるようになると、直ぐに紅梅姫の部屋へと向かった。

 

 廊下は初によってきちんと掃除され、今までと何の変わりも無かった。

 

 若橘は紅梅姫の部屋の前に座ると、静かに障子を開けた。


 部屋を見渡せば、棚には梅雨を待ちきれずに咲いた紫陽花の花が、一輪生けられていた。

 

 紅梅姫は寝衣ではなく小袖に内掛けを掛けて、庭を眺めながら座っていた。

 姫にしては何時も地味なものを好み、華やかな物は殿がお見えになるとき以外は身につけなかった。

 

 元々華奢な姫ではあったが、一層小さくなったよう見える。そのせいか部屋が余計、広く見える。

 顔色は白を通り越して、透明にさえ感じる。生気が薄れていた。

 当然だろう、殿から信じて貰えず、侍女や今村まで暇を出されてしまったのだ。

 重郷はもう二度と来ないかもしれない。

 しかし泣いてはいなかった。


「姫様、申し訳ございません……殿にお会いできませんでした」

 若橘は手を突き、額を床に擦りつける様に頭を下げた。


「若橘、もう良いのです。わたくしが悪かったのです……殿に信じて頂けるよう、行動すべきでした」


 其の疲れ切った声は、此のように話をするまでの苦労を若橘に感じさせた。

 だが生気は薄れているものの、奥底に秘めた紅梅姫の凛とした気が伝わってくる。

 若橘は自分の愚かさを悟る。紅梅姫のほうがどれほど苦しいか、察するにあまりある。

 

 果たして自分であったなら、姫のような精神状態で居れるか如何か。紅梅姫の気持ちは根本からは揺らぐ事無く、重郷を捕えていた。

 ただ、重郷がそれに応えることが出来なかっただけである。

 

 紅梅姫が重郷を責めることは無かろう。

 

 だが、若橘は重郷が恨めしかった。そして其の感情はともすると、重郷への憎しみに変わりそうだった。

 其れだけは思ってはいけない。紅梅姫は人を恨むような事は断じて無いのだから、侍女である自分が恨んではいけないと、己に言い聞かせる。


「其れより、初さんが来てくれたので、元気になれたのです。沢村様にお礼申し上げねばなりませんね」

 思ったより紅梅姫は明るい声だった。


「はい」

「……如何したのですか? 元気が無いですよ。もう大丈夫ですから……」

「姫様、わたくしの前で無理をなさるのはお止めください……」


 若橘は紅梅姫に責めて欲しかった。そうすれば、幾らか……

 そう思った時、それが自分の勝手である事に気付く。

 そうなのだ、自分が楽になろうとしているのだ。まるで紅梅姫を思い遣るような振りをして、責めて貰うことにより、楽になろうとしていた。

 思わず、もう一度頭を下げた。


「姫様、わたくしの我儘なのですね……」

「……もう良いのです。貴女がどれだけわたくしの事を心配したか、良く分かっているつもりです。もう、わたくしには貴女しか居ないのですから……そう思い詰める必要は無いのですよ」

「……姫様……此れからの事は、沢村様に相談しながら致します。ご安心下さい……何とかなります……」

 

 若橘は涙を流さないと心に決めていたにも関わらず、不甲斐なく、涙を零した。


「大丈夫ですか? 若橘、しっかりして下さいよ」


 此れでは逆だ、何時もと変わらない。紅梅姫はまるで姉のように優しく、若橘を思い遣ってくれるのだ。



「ひ、ひめ、さま……」


 泣きじゃくる若橘の背中を紅梅姫が撫でる。

 幼い頃を思い出す、鳥の雛を巣に戻そうとして木から落ちた時もそうだった。

 泣き止むまで紅梅姫が背中を擦ってくれた。


「如何したんだね、本当に、姫様に背中なんか擦って貰って、此れじゃあ、侍女失格だあ」


 ふいに背後から、初の大きな声が聞こえてきた。

 

 紅梅姫から笑みが零れた。

 若橘は其れを見て、益々涙が止まらない。


 侍女も草も失格だ……

 

 若橘の中で熱いものが込上げてくる。

 

 漸く落ち着くと、初が葛湯を運んで来た。

 其れを紅梅姫と共に庭を眺めながら啜る。何となく幸せな気分が広がる。

 あんなにも泣いて、状況は何にも変わらない。だが、初の葛湯にはまじないでも掛けたのかと疑うほど、幸せが詰まっていた。


「ねえ、やっぱり初さんが居てくれると幸せです」


 微笑む紅梅姫が眩しかった。今まで以上に美しく光って見える。



 

 夜になり、姫も眠りに着いた頃、漸く若橘は自分の部屋へ戻る。


 部屋の燭台に灯りを入れると、其処には翔太が待っていた。

 気付いても無言の若橘に、翔太が怪訝な顔をした。


「如何だ?」

「ああ……気分は最悪だ……」

「だろうな、俺もだ。結局、俺達の考えは甘かったという事だな。まんまと奴らに遣られた」

「……そうだ」


 若橘はその場に座った。

 まだ気力が戻らない、自分でも如何したら良いのか分からない。

 翔太は相変わらず、柱にもたれて怠惰な格好だ。


「今日、城を覗いて来たが、沢村もあれじゃあ大変だ。完全に飯合に牛耳られてる。殿には柏井の方がべったり張り付いてるしな……」

「……ああ」

「……此の屋敷から、姫様を追い出そうとしてるぜ、柏井の方は。自分の娘の花姫様を、此の屋敷に住まわせるんだと」

 翔太は呆れたように言った。

 そしてもたれていた柱から、自分の体を起こした。


「如何する? 沢村が其の儀ばかりはご容赦願いたいと言っているが、柏井の方は曲げないね。あの様子じゃあ、此処から追い出されるぜ」

「……此処から追い出されたら、本当に殿が来なくなってしまうではないか……そんな侮辱、許す訳にはいかん……」

「里に知らせて、大内の殿に手を回して貰うか?」

「事が事なだけに、まず、密通の疑いから解かねば、言い出せないだろう……」


 此処は慎重に運ばねばならなかった。

 変な疑いを掛けられたままでは、誰にも相談すら出来ない。


「大体、わかんねえのかね?」

「何が?」


 若橘はそう問うた後で、しまった! と思った。

 案の定、翔太はにたりと笑った。


「何がって、自分の女が浮気してるか如何かくらい、しょっちゅう抱いててよ……」

「待て!! 翔太、それ以上言うな!」


 若橘は両手を広げて翔太の前で振った。


「何だよ、恥ずかしがる事かよ、沢村と何時もいちゃいちゃしてる癖に」

「……してない……」

「嘘言え! 城でもしてただろ? あれでしてないって謂うんだったら、俺がしても良いんだな?」

 

 翔太は座っている若橘に近付いて、顔を寄せてくる。若橘は怯えたように、後ずさりした。


「……冗談だよ、沢村と遣りあうのはごめんだぜ……もう諦めてるよ」


 翔太はふっと笑った。其の顔にはほんの一瞬だったが、憂いが有ったように見えた。

 

 そして翔太は真顔に戻り、腕を組む。


「如何したものか、結局は沢村頼みという事か?」


 此処は仕方無いかもしれない。

 裏工作なら出来るが、表に出る訳にはいかない。

 少し落ち着くまで、屋敷変えの話はのらりくらりと、はぐらかしながらいくしか無さそうだった。






 

 

 

 




 

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