3 京の大内屋敷にて
暫くして正式に紅梅姫の輿入れの話は決まり、養女となる大内の京屋敷へと移ることになった。
大内の屋敷に入った当初は、指南役の侍女からまずは着物を変えるように言われた。
着物は袴ではなく、小袖に内掛けを羽織り、髪は垂髪に直された。しかし、其れがまた紅梅姫の美しさを引き立てる。
元々公家の姫であるので、一通り武家の作法を教えられれば非の打ち所は無く、輿入れの準備が出来るのを待つだけとなった。
しかも、大内の屋敷では客の様な扱いで何かと気遣いはしてくれるが、其れが返って紅梅姫に考える時間を与える。
大内の養女としての輿入れであるので、道具の用意などは大内の家臣が揃えるよう殿様から命じられ、直接口出しは出来ない。
紅梅姫は此の頃になると、だいぶ落ち着きを取り戻していた。
しかし逸る心は隠しようが無く、紅梅姫は待つだけの己の身を持て余していた。
そこで若橘は
「姫様、お時間が有りますので古今和歌集など、写されては如何でしょう?」
と提案した。
「……それは良いお思い付きですね、写本ですか……丁度、藤原行成筆と伝わる物の写本を持っています、其れを写してみましょう……それでは適当な紙を見繕っておいておくれ」
「はい、早速、近江屋に届けさせましょう」
紅梅姫は和歌も好きだが、書も美しかった。
此のところ輿入れの話や重郷様の事ばかりで他の事には興味を示せなかった紅梅姫であったが、此の若橘の提案には素直に乗ってきた。輿入れが決まり大内屋敷に入ってからは、やはり少し余裕が出て来たようだ。
それに若橘にはある目論見があった。
其れは夜に忍び込ませて繋ぎを取るのも良いが、定期的に出入りさせたほうが好ましかったのだ。
寝所を抜け出したりすれば、疑われ易い。
ただ、頻繁に小間物や着物などを持ち込ませては、華美で浪費する印象を与えかねない。
つまり写本の紙や筆が好都合だったのである。たぶん写本を作るとなると筑前国へ行ってからも紙は必要だろう。当分、繋ぎの理由には事欠かない。
早速、翌日の午後には近江屋の手代に扮した翔太がやって来た。
「春歌からお写しに成られるので、明るい紙が宜しいのですが……」
「それでは切り継ぎなど、作られてはいかがでしょう?」
翔太はゆっくり自分が抱えてきた葛篭の中から、紙を取り出す。
――宗右衛門殿が城下に刀砥師として入られた、正妻の名は柏井の方、十三になられる姫が居られる、
キツイ方のようだぞ、宗右衛門殿が心配して居られた。
――だが、大内の養女としてお興し入れされるのだ、その様な心配は有るまい
――甘いぞ! この先、命を狙われる事になるやもしれん、重郷殿は前城主の子では無い、繋ぎの
ようなものだ、大内は重郷殿が失脚したところで、痛くも痒くも無いわ!
「……それでは切り継ぎの糊を……」
――おう、判った、ついでに解毒剤を持って来ておこう
翔太は若橘の意を直ぐに解した。
この時代、毒殺は当たり前である。ただ、そう表立った事をするのかと若橘は考える。
毒殺は直ぐに判る。時間が経過すれば遺体が変色する。しかし、如何なる事にも対処すべく用意をするのも勤めである。
――それにしても小袖が良く似合うぞ、若橘、袴も良いが小袖のほうが大人びて見える
――しょ、しょうた! 何時もその様な事を言って女を騙しているのでは有るまいな!
赤くなった若橘の顔を見て、翔太は意味有りげに笑った。
――馬鹿、誰にでも言うものか
「それでは、この萌黄色の紙をお試し下さい、また明日、切り継ぎに適した紙をお持ち致します」
――毎日来るでない、明日はよい!
「それでは、また明日!!」
翔太は元気良く帰って行った。
子供の頃の翔太は若橘を苛めてばかりだった。何時も年が上の隼人に勝てず、若橘に優位を保つことで自分の強さを誇示していたように思う。
しかし今の彼の顔は青年期を迎え、逆にその悪ぶった所が魅力になっていた。
若橘は今日は隼人が来るものだとばかり思っていたのだが、当てが外れた。
それにしても、全ては筑前へお輿入れしてからだと、若橘は腹を括った。
平安時代の姫様たちは紙を切って、継いだ物を作ることがありました。そして其の紙に、和歌などを書の上手な人に書いて貰っていたといいます。現在でも、関戸古今集など、古今集を書いた有名な物が書のお手本として利用されています。