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37 後の恋文

 沢村は急いでいた。

 

 自分が大内に行っている間に何か起こると想像はしていたものの、まさか紅梅姫の密通の事件が起ころうとは。


 夕刻に帰って来たところを待っていたように、同朋の男が先日の事件の事を知らせに来た。

 同朋の男は斉藤と謂い、志乃の事件の時、若橘が屋敷を抜ける手助けをしてくれた男だった。

 其の男は、若橘がもう三日三晩まともに食事も取らずに、城の門の前から動かない事も教えてくれた。

 

 旅支度を解く事無く、沢村は馬を走らせる。

 城までは近いのだが、若橘が心配だった。

 ああ見えても若橘は強情なところが有る。其れも紅梅姫の事となると、見境いがつかなくなる事もしばしばである。


 本来、登城するのは明日であったが、兎に角、若橘の無事を知りたかった。




 沢村が城へ行くと、確かに若橘は門の前に座り込んでいた。

 若橘を確認すると、沢村は急いで馬を降りた。


「若橘! 何をしているのだ、こんな所で」


 一度ははっとしたようだったが、前を向いて沢村の呼びかけには応じない。

 沢村が若橘の側へ行っても、若橘はぴくりとも動かず、前を見据えている。


「さあ、立ちなさい。こんな所で座っていても話は解決しない、さあ……」

 

 手を取ろうとした沢村を、若橘は振り払った。

 疲れ切った顔と、風に晒され乱れた髪が痛々しかった。気持ちだけで其処に座っているのが分かる。

 沢村は此のような若橘を初めて見た。姫の事となると形振り構わない若橘の意思の強さに何時も驚かされる。秋に山へ一人で薬草を採りに行った時もそうだった。

 胸に熱いものが込上げ、沢村は若橘を見つめた。


「わたくしは、此処を動きません。殿にお会いするまでは、決して動きません!!」

 若橘は強く叫ぶ。其処には、何時もの甘えた若橘の姿は無かった。


「……殿に会いたいのか? ならば、城へ入ろう……」

 

 沢村は若橘の両腕を、今度はゆっくりと掴み、顔を覗き込むように優しく言った。

 

 自分が説得せねば、殿に手打ちに会うか牢に入れられるまで、若橘は此処を動かないだろう。

 


「門番が入れてくれません、紅梅姫様の侍女は入れぬと申しました!!」

 涙声だが泣き崩れたりなどはなく怒りの為、両方の拳を握り締めていた。


「……わ、わかった。私が殿に取り成す故、立ってくれぬか。頼む……」

 そう言って沢村は門番を振り返り、

「良いな、私が此の方を連れて入る……其れで良いな!!」


 門番は「はっ!」と言って頭を下げた。


「ああ、其れから馬を厩に繋いでくれ、後は頼んだ」


 沢村は門番に頼むと、もう一度、俯く若橘の顔を覗き込む。

「此れで良いであろう……此れならば、立ってくれるな?」

 

 子供を諭すように沢村は若橘に言い聞かせた。沢村の目は赤い。

 若橘の苦境に我が胸も痛むと謂わんばかりに、若橘の頭を自分の胸に抱いた。


 そして直ぐに抱きかかえるように支え、城へと入って行く。

 若橘は自力では歩けなかった。

 長時間座ったままでの姿勢が堪えたらしく衰弱し、足が思うように動かなかった。


「こんなになるまで、如何して此のようなことを……」

 

 沢村の労るような言葉にも動じず、若橘は終始俯き無言だった。

 城の一室に若橘を入れると、障子を閉めた。


「兎に角、此の部屋にいなさい。事情は斉藤から聞いた、飯合殿と今村殿に嵌められたのだな」

 其れでも、若橘は無言だった。

 何時もなら自ら沢村に飛びついて来るのに、今日は視線が空を追い身体が震え続けている。


「殿の事は私に任せなさい……」

 沢村が立ち上がろうとしたとき、若橘は沢村の袂を掴み、かぶりを振った。


「……如何して居て下さらなかったのですか? 如何して……」

 やっと出た言葉は沢村を待っていたという、彼を責める言葉だった。

 どれほど待っていたのか、どれほど心細かったか……

 若橘の言葉にならない心の叫びが聞こえるようだった。


 若橘が愛おしい……

 言葉にならないほど、愛おしかった。

 本当に人を愛おしいと思うとき、人は言葉を口にしないのかもしれない……


 やっとの思いで、沢村は

「……若橘、辛かったであろう……」

 とだけを口にした。


 沢村は若橘を抱きしめた。旅から帰って来たばかりで、沢村からは泥と汗の匂いがする。

 だが今の二人にはそんな事は如何でも良い事だった。此の苦境はあまりにも若橘の心を弱くもろいものにしていた。

 強い心とは、時として其の脆さを露呈する。

 

 漸く若橘は沢村の胸で、忍ぶように声を上げて泣いた。

 

 此れが夢であったならどれ程良いだろう、しかし此れは現実だった。

 現実は余りにも重く辛く、紅梅姫と若橘を苦しめた。

 

 暫くそうしていたが若橘が落ち着くのを見て、沢村は一人、部屋を出て行った。


 重郷へ帰還の報告と紅梅姫の一件を聞く為である。

 




 謁見の間で待っていると漸く重郷が現れる。

 其の後ろには柏井の方が居た。

 

 今まで政の場に柏井の方が侍る事は無く、明らかに其の権勢を誇示していた。


 上座に座った二人に沢村は頭を下げた。

 

「おう、漸く帰って来たか。如何であった、大内殿はお元気であったか?」

 重郷の機嫌は良さそうだった。

 

「はい、殿に宜しくお伝え願いたいと申しておりました。弓や槍などの武器は有り難く使わせて頂く、と仰せでございました」

 

 沢村は形式通りの物言いで、その場を過ごそうと思った。

 柏井の方が居るのでは、紅梅姫の事は言えない。話が余計に拗れる。


「……紅梅姫の事は聞いてなかったか?」

 重郷は少し声の調子を落として、声を小さくした。


 此の場で振る話では無かろう。

 柏井の方の策に嵌ったことに気付いていないのだから、仕方無いが。

 

 沢村は「いえ」と短く答え、遣り過ごそうとした。

 

 紅梅姫は大内の養女として輿入れしている。もしも、此の縁談が難しい局面を迎えれば、大内からの援助も取り付け難いものとなる。

 本当に其処のところを考えているのだろうか。


 大内と大友の大勢力に挟まれ、小さな麻生など吹き飛んでしまう。

 東のほうでは各地で戦が勃発し、小さな勢力は飲み込まれているのだ。

 暢気に正室の悋気に関わっている場合ではない。此の地とて何時、攻めてこられるやもしれん、其の時、味方についてくれる大名の選択肢は多ければ多いほど、良いに決まっているのだ。


 沢村の心の内を知ってか知らずか、派手な打ち掛けを着た柏井の方が、笑みを浮かべた。

 まるで勝ち誇ったかのような笑みである。


「そういえば、門の前に紅梅姫様の侍女が座っているとか……殿、如何にかなりませんか?」


 柏井の方は、如何にも弱々しい声で甘えるように言った。

 絶対に甘える歳では無い、かえってぽってりと塗った厚化粧が不気味だ。きっと京の流行の物を取り寄せ、煌びやかに見えるよう塗っているのだ。

 大体が此の調子なのだ。

 京育ちだが控えめな紅梅姫とは対象的に、派手好きで浪費家だった。


「……そうだな……沢村、如何にかしろ、後はお前に任せる……」

 重郷は逃げ腰だ、完全に柏井の方の強い調子に負けている。


「……殿の仰せとあらば……ただ、一度、若橘と会っては頂けませんか?」


 沢村の言葉に柏井の方の目がきらりと光った。


「其れならば、私が会いましょう。側室の侍女如きに、殿の御手を煩わせる必要は有りません」


 沢村は

「其れではお話が解決致しません!」

 と言って退けた。


 だが、柏井の方の真っ赤な紅を塗った口は、意地悪く吊り上った。


「もう解決は致しております。側室ともあろうお方が密通していたとなれば、お手打ちものです。殿がお手打ちにならなかったのが、せめてもの救い。お慈悲と思うべきです。其の弁解など、有り得ません!!」

 

 ぴしゃりと言ってのけ、

「沢村、気に入らぬなら、其の侍女を手打ちにしても構いませんよ!! わたくしが手打ちに致します」

 と脅した。


 沢村は頭を下げた。

「いえ、ならば私が紅梅姫様の元へ連れて帰ります」


 すると満足そうに柏井の方は頷いた。


「良いでしょう、最初からそう言えば良いのです」


 沢村は頭を下げたまま、悔しい気持ちを押し殺した。





 

  





 

 

 


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