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2 曲水の宴

 今を時めく大内家の京屋敷の庭は大きく手入れが行き届き、それは美しいものだった。

 その庭の中央に紅い毛氈を敷き傘を広げ、水の流れに盃を浮かべそれが流れてくるまでに次の歌を歌う。所謂、曲水の宴である。

 春の午後の柔らかな日差しを浴び盃に注がれた酒がまるで玉のように光輝く。

 しかし今日の紅梅姫に敵うものは無い。緋色の袴に紅梅の重ねは、まだ幼さが残るその顔を大人びて見せ、艶やかに引き立てていた。

 

 そして大内の殿様の右隣には現在の城主麻生弘家、左隣には今度城主となる麻生重郷が座していた。

 紅梅姫はその重郷の斜め前に座り、伏し目がちに短冊を見つめている。たまに顔を上げた時、重郷と紅梅姫の眼が合う。紅梅姫は春の陽気に頬を紅く染め、美しい恋の歌を歌う。

 麻生重郷は京へ上りまだ幾日も経ってはいなかったが、その凛々しさは既に都中に知れ渡っていた。

 恋に憧れる紅梅姫には打って付けの人物だった。


 しかし、この重郷には正室が居り、姫ではあるが間には子も居る。もし嫁ぐとすれば、側室ということになる。幕府の威信が薄れたこの時代、地方の守護大名や豪族の間では小競り合いが多く、其れを治める為、政略結婚を繰り返していた。官位の低い公家の姫は必要は無かったのである。

 時勢には逆らえない。若橘は西へ落ちるも致し方無いような気がしていた。


 しかし恋に堕ちた紅梅姫には時勢など考える余裕は無かった。

 重郷を見る紅梅姫の眼は輝きを増し、次第に二人の視線は絡み合うように互いに纏わり付く。

 側で若橘は恋の恐ろしさを感じていた。


 この日を境に紅梅姫は激変した。

 食事も喉を通らず、水を飲むのも苦しそうだった。

 幼さが残る顔には憂いが漂い遠くを見つめ、溜息ばりで何も出来なくなっていた。



「若橘、先日の歌会の首尾は如何であった?」

 橘の婆様は夜更けに人目の付かぬ庭の奥に、若橘を呼び出した。

「婆様先日の歌会……あれは大内の殿様の術中に嵌ったのでは有りますまいか?」

「ああ間違いない、あの歌会は偶然等ではないわ、あの大内の狸が……」

 有らぬことか、若橘は思わず狸の絵を想像する。

「……? 狸にしてはちと太りすぎかと……狐では如何でしょう?」

「まあな、騙されたという意味では狐じゃな、何れにせよ狐狸じゃ」

「……くっ、くっ、くっ」

 若橘は彼の顔を思い出して、笑いを堪えるのに目に涙を溜め、顔は真っ赤だ。

 

 しかし橘の婆様の方は対照的に厳しい表情だった。

「笑い事では無いぞ、若橘。近い内に此の縁談、纏まるぞ、最初から其の積りよ、あの狸爺め! わたし共の姫様を田舎の城主の側室に売りよったわ!!」

 橘の婆様は口惜しそうに拳を握り締めた。

「上洛して幾日も経たぬ内に噂になる程の美男が、自分の美しさを知らぬ筈が無い。美男とはやはり美女を好むもの。しかも姫様は御歳十六、何も恐れず疑う事も知られぬ。相手は妻も子も居る殿方、女人の扱いには慣れておられよう、年若い姫様が噂の美男を見せられて恋に堕ちぬ訳が無い」

「それでは、やはり此れは大内の殿様の策略だと……」

「当たり前じゃ…………それより、其処に隠れておらんで、出て来なされ、隼人」


 婆様の呼びかけに茂みから一人の男が現れた。

 黒装束ではあるが頭巾で顔を隠す事無く、二人に頭を垂れた。

 顔を上げると凛々しい顔立ちではあるが目立つ事は無く、キッと結んだ口は其の意志の強さを物語って居る。歳は若橘より二、三上のようである。

「お久し振りです橘の婆様……そして若橘殿」

 隼人と呼ばれたその男は意味有りげに笑った。

「分からぬか? お前が五歳まで育った家の近くの幼馴染の隼人だ」

「……あっ、あの隼人? 何となく何時も苛められてたような……」

「それは向かいの翔太だ、間違えるな! 翔太に泣かされて敵討ちをしてくれと、何時も頼みに来ていたではないか!」

 隼人は呆れて言った。

「……ごめん、確かに隼人だ、翔太は悪戯で悪い顔をしていた! 思い出した……」

「こんな悪い顔か?」

 と、茂みの中からもう一人出て来る。

「翔太も一緒だ」

 もう救え無いと、隼人は頭を振った。

「……ええ!? 嘘でしょ? 如何して……」

「婆様、こ奴で姫様のお供が務まるんですか?」

 翔太は若橘の頭を突く。

「仕方が無い、本来なら乳母めのとが付き添って興し入れするのが常だが、亡くなっておる今、致し方有るまい。わたしの様な年寄りでは、直ぐに骨になって帰って来てしまうわ……隼人、それで大内の方は如何なっておる?」

「はっ、大内の殿様は紅梅姫様を御時分の養女として嫁がせる御心算おつもりのようです」

「やはり、その御心算か、大内の殿様は重郷殿の舅殿に成ると謂う訳じゃな。麻生としても大内の後ろ盾とは心強かろう」

「では、姫様様の興し入れのお話は進んでいるのですね、姫様を見ていると御可愛そうで……」

「何を暢気な事を言っておる! 姫様のお供はお前一人じゃ、しっかりして貰わねばならん。恋だの何だのと甘い事は言っておられぬぞ!」

「……」

 若橘は言葉を呑んだ。

 紅梅姫に付き添って筑前国に行ったならば、其の地で骨を埋めることになろう。しかも姫を守るのは自分一人である。

「これからは此処に居る隼人と翔太が繋ぎをやってくれる。それから宗右衛門殿は如何しておられる?」

「はい、もう既に筑前国花尾城下に此方の手の者を住まわせ、宗右衛門殿も様子を見て御出立するとの事です」

 隼人は婆様の問いに素早く答える。宗右衛門とは彼らの仲間で男衆の組頭だ。

「そうか、準備は進んでおるようじゃの。紅梅姫様が御養女に成られるということは、まず武家の行儀見習いから始めなくてはならんな。姫様の筑前へのご出立には今暫く時間がかかろう」


 若橘は戸惑っていた。自分の知らない処でこれほど話が進んでいるとは、今からの事を考えると気が重かった。此の調子で筑前へ行き紅梅姫を守ることができるものだろうかと、己の思慮の無さを恥じた。


「大丈夫だ、俺達が付いておる。宗右衛門殿も西の情報を集める為、暫くは筑前に居るから安心して行くが良い」

 隼人は若橘の肩に優しく手を置いた。






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