28 続桜花《さくらばな》
花見に訪れた重郷はご機嫌だった。
紅梅姫は以前にも増して美しく、六分咲きの桜に見劣る事は無かった。
重郷にとって紅梅姫は自慢だった。若く美しく教養も有り、重郷に尽くす。申し分の無い姫の筈なのだが、逆に重郷には其れが意に副わないようだ。
紅梅姫は花を見ながら重郷の盃が空になると、静かに酒を注ぐ。少し寒かろうと、自ら重郷の肩に羽織を掛ける。
細く伸びた美しい指が、全て其れらを成していく。
庭に炊かれた松明の火に照らされ、重郷の目には紅梅姫が神秘的に写る。
すると重郷の悪い癖で、全てを破壊したくなる。彼が最も破壊したいのは、紅梅姫だった。
姫から着物をむしり取り、白い肌を露にしたところで姫が泣き叫ぶほど、弄したい衝動に駆られる。
「殿、如何なされました?」
此の一年くらいの間に紅梅姫は驚くほど妖艶になった。
筑前へ来た頃はまだ幼さが残る少女のようだったが、今では眩いほど其の色香が漂う。
「いや、少し酒を飲みすぎたようじゃ……」
重郷は紅梅姫に心の中を見透かされたようで、口篭った。
「……お疲れでしたら、奥で休まれますか?」
心配して重郷の顔を覗き込む紅梅姫の白い手首を、力一杯握り締める。
紅梅姫は痛みを堪えるように瞬きをするが、平然を装う。
重郷は其の手にもう少し力を入れる。
「……姫様!」
間に入ろうとした若橘を紅梅姫は、もう片方の手で制した。
「殿、わたくしも奥へご一緒に参りますので……」
其れを聞いて重郷は紅梅姫の手を漸く放した。手首に残った赤い痣が痛々しい。
「志乃、用意は出来ていますか?」
若橘は志乃に確認する。
「はい、ご寝所の用意は出来ております」
「わかった、案内なさい」
若橘の指示に従い、志乃が紅梅姫に付き添い案内する。
家臣達はまだ酒宴を続けるだろうから、侍女達はその対応に追われていた。
若橘は手酌で酒を飲んでいる沢村に近付いた。
「沢村様、殿の姫様に対する態度はわたくしには理解出来ません!」
若橘は怒りに満ちた表情で沢村に迫る。
沢村は其れを見ても相変わらず落ち着いたふうで、飲んでいた盃を置いた。
「……殿は私にも分からん。だが、間違いなく紅梅姫様を心から愛しておられる。今の殿には紅梅姫様だけが心が安らぐ場所なのだと思うが」
「あのように酷い事をされましては、ご寝所が心配で……」
余りにも真剣に語る若橘を見て、沢村は笑い出した。
「よくもまあ恥ずかしげも無く言えますね。貴女が心配する事ではありませんよ……貴女は相変わらず、心配性だ。ああ見えて殿は嫉妬深い、姫様の視線の先までご自分が独占なさりたいように、私には見える。愛されておられるのよ、あれでも」
「沢村様は変です。ならば如何して……」
酔っているのか、沢村は若橘の話を遮るように顔を寄せてくる。
「どうやって人を愛するのを止めるのですか? 其れは出来ませんね……」
沢村は益々顔を近付けてくる。
若橘は横を向いた。
すると若橘の耳元で小さく囁いた。
「わたしも同じだ、止められない……」
沢村の熱い息が耳に掛かる。
若橘は自分の身体が熱くなるのを感じた。
其れも束の間、
驚いて見る若橘を余所に、沢村は若橘の膝を枕に気持ち良さそうにその場に寝てしまった。
「若橘様、如何なされました?」
其処には怪訝な顔をした今村が、何時の間にか立っていた。
そして、
「貴女様にしっかりなさって頂かなければ、侍女たちに示しがつきません。あまり、変な噂が立たぬようお気を付け下さい」
と付け加えた。
本当に酔っているのか否か、膝の沢村の顔を眺めたが起きそうにもない。
若橘はそおっと沢村の頭を膝から下ろそうとした。
すると目を閉じたまま、沢村は囁く。「もう少し、此のままで……」と。
若橘は自分の顔が火照るのが分かる。だが、少し離れた所で今村がじっと見ている。
「今村様が見ておられます」
困り果てて、小声で囁く若橘に沢村は相変わらず目を開けずに、
「構うものか! 今日は無礼講だ」
と口を歪め軽く笑った。
翌日、家臣を連れ重郷は城へと戻っていった。
漸く、片付けを終えたのは夕刻であった。
「志乃、今日から宿下がりではありませんか。早くお帰りなさい、もうじき日が暮れます」
若橘は心配して志乃を帰そうとした。
其処へ丁度、
「志乃様、此れは何処へ直しましょう」
まだ慣れない侍女の満が志乃に指示を仰ぐ。
「其れは……」
「志乃、後はわたくしが……」
若橘は見かねて引き継ごうとしたが、二人で片付け始める。
「若橘様には無理です。もう少し片付けてから帰ります」
志乃にそう言われ、仕方なく若橘は物置部屋から出ていった。
志乃が居てくれるので全てが上手くいくのである。
だが先日、酒屋からの帰りに付けられた件を志乃から聞いていたので、若橘は心配だった。
沢村からも気を付けるよう、念を押されていた。
志乃が帰る頃には日が暮れていた。
若橘は供を付けようとしたが、志乃は断った。
「隼人が迎えに来ると言っておりましたから、大丈夫です」
志乃は心から嬉しそうだった。
そう言われれば、二人の邪魔をするほど若橘も無粋ではない。
それなら、と若橘は志乃を裏木戸から里に帰す。
志乃の里は京菓子屋という事になっている。
筑前から京菓子の修行に来ていた此処の主が甲賀の里の女と夫婦になり、京菓子の店をしていた。そこで京菓子屋の女将の遠縁の娘ということで、紅梅姫の屋敷の奉公に出ていた。
宗右衛門は刀磨ぎの工房を、その京菓子屋の隣に構えていた。隼人と翔太は宗右衛門の弟子という触れ込みである。
裏木戸を出てからやはり、ずっと付けられているようだった。
志乃が立ち止まれば、背後の人物も止まる。歩き出せば同じ歩調で歩く。
間違えなく、付けられている。
志乃は警戒を強めた。
其れは隼人ではない。
隼人には迎えに来るよう言ってあったが、夫婦でもない二人が大っぴらに歩く訳もいかない。まして侍女である志乃に妙な噂がたてば、今村から辞めさせられてしまう。
志乃は迎えに来ても離れて歩くよう頼んでいた。
だが、やはり隼人ではない。
暫く歩いた時、その人物は背後から志乃を呼んだ。
丁度その頃、
少し離れた所で隼人は目の前の頭巾を被った男に手を焼いていた。
志乃を迎えに行こうと黒装束で潜んでいるところを、此の男に見つかった。
男は隼人が此処に居ることを知っていたようだった。待ち伏せされたと隼人は確信していた。
だが、先日志乃を付けていた男ではないようだ。
不気味なくらいに男の殺気が伝わる。
隼人は静かに刀を抜いた。
宗右衛門は隼人には目を掛けていた。彼の腕は若い配下の中でも優れていた。
頭巾の男は隼人の動きに動じる事無く刀を抜き、低い姿勢でゆっくりと刀を構えた。
頭巾の奥の目がまるで獲物を捕らえたかの如く、きらりと光った。




