27 桜花《さくらばな》
桜の蕾が膨らみ始める頃、はると弓は花の屋敷に別れを告げた。
筑前へ来た当初は警戒していた若橘も、二人の屈託の無い性格に心を許していた。其れは、志乃とて同じだった。
次に迎える侍女の事を考えると、若橘は気が重かった。
今村や背後の人間が何を企んでいるかは分からないが、きっと、はるや弓のような者は送ってこないだろう。
しかし此の頃、紅梅姫と重郷の間のわだかまりが消えたことが、若橘には嬉しかった。
やはり沢村が尽力してくれたおかげだった。
何時しか、前のような仲睦まじい二人に戻っていた。
沢村に「殿に何と申されたのですか」と聞いても、笑って誤魔化された。
ただ、「気をつけねばなりませんよ、此れに懲りるような人達ではない」と沢村は其れだけを繰り返す。
若橘は紅梅姫が笑顔を取り戻したことが何よりだった。
幾度試練がこようとも、其れを乗り越えられるような気がしていた。
「良かった、二人とも幸せになれると良いですね」
紅梅姫は心から喜んだ。
はると弓も紅梅姫からの祝いの品を大変喜び、庭の紅梅の横に白梅の木を植樹した。
まだ小さな梅の木ではあったが、何時しか美しい白梅を咲かせることだろう。
「早く見たいものです、白梅と紅梅が咲くところを……」
「姫様と殿のようです。仲良く睦まじく……」
「……本当にそう思いますか?」
思わぬ紅梅姫の言葉に若橘はぎょっとした。
「……!?」
「……あまり心配しなくても良いのですよ。沢村様にお願いしたのでしょう? 貴女が」
「はっ、はい……」
「戻るものと戻らぬものが有るものです。信頼とは如何謂うものでしょうか……」
「……何か……あったの……ですか?」
若橘は恐る恐る聞いてみる。
「……いえ、特別には無いのですよ。でも、一度崩れた殿のお気持ちは本当に元に戻られたのでしょうか……雨降って地固まると言いますが……如何なのでしょうか」
「ですが、わたくし共には仲睦まじく見えます」
「だから……性質が悪いのです。人の心は形には出来ないものですから、きっと此れはわたくしにしか分からないのかもしれません」
他には理解出来ない、二人にしか分からない微妙な駆け引きが有るのかもしれない。
「ところで姫様にお目通りしたいと、新しい侍女が控えて居りますので、呼んでも宜しいですか?」
「……ええ」
新しい二人の侍女は満と弥生といった。二人とも重郷の家臣の娘達だった。
若い二人だが、行儀も教えられているらしく丁寧に挨拶をして、奥へと戻っていった。
「でも、志乃が残ったので良かったですね。志乃に辞められると貴女が困るでしょ? 若橘」
「えっ、まあ」
「如何したのですか? 歯切れが悪い、貴女らしく有りませんよ」
「……志乃であれば、姫様を任せられます」
「まあ、わたくしは扱い辛い姫ですか?」
「いっ、いえ、その様な事を申し上げている訳ではありませんが……」
「出来るだけ、我儘は申しません」
紅梅姫はおどけるように言った。
「姫様、もう少し我儘を言って下さい。かえって、わたくしは辛うございます」
「本当ですか? 我儘を言っても良いのですか……」
「……?」
若橘は紅梅姫が幼い頃悪戯をする時にしていた、あのきらきらした目をしていることに気付く。
若橘も紅梅姫の目をじっと見る。
「……では、沢村様と夫婦になりなさい!」
「……!?」
「わぁ、言ってしまいました。ついに言いました」
紅梅姫は顔を真っ赤にして笑った。
「姫様、悪戯が過ぎます。其の様な事を軽々しく、お口に出してはなりません」
「まあ、若橘まで橘のような事を言うのね。我儘を言って良いと言ったのは貴女ですよ」
「言って良い事と悪い事がございます」
「二人を見ているとじれったくて……でも、本当に良いのですよ。貴女が幸せになるのでしたら」
「……姫様? わたくしは此のままで十分幸せでございます」
紅梅姫には答えは分かっている。若橘が此のまま沢村と夫婦になど、承諾する筈は無いのだ。だからこそ、心苦しかった。
暫く志乃に新しい二人の様子を見させたが、変わった事は無い様だった。
丁度、桜が咲き始めた頃、大友との国境の争いも何とか戦には成らずに治まり、今までのような平穏を取り戻そうとしていた。
若橘は花の屋敷での花見の用意に追われた。
如何にか、花見に重郷を招待したかった。其の旨は沢村にも伝えてある。
料理や敷物、夜桜を見物する為の松明など、諸々の用意が整い、漸く明日の花見を迎えることが出来そうだった。
「若橘様、少し酒が足りぬようです」
志乃が心配そうに言った。
「では、明日にでも酒屋に届けさせましょう」
「ですが、今日から注文を出しておきませんと、間に合わぬかもしれません」
こういう時の志乃は若橘にとって、一番頼りになった。兎に角、段取りが良い。
「でも、今からですか? もう直ぐ、日が暮れます。酒屋は此処からは少し遠い、明日になさい」
「……いえ、わたくしなら大丈夫です。花見の季節ですから、人通りが多いので、心配は無用です」
「でも……」
若橘が渋るのを見て、志乃は笑った。
「如何なされたのですか? 若橘様らしくもない」
「誰か、供を付けましょう」
「いえ、直ぐですから。明日の注文を待って、もしお酒が間に合わなかったら、姫様が恥をかかれます」
志乃は軽く会釈をすると、直ぐに屋敷を出た。
屋敷から酒屋まで、志乃にとっては短い距離だった。
草の者として育てられ、其の中でも全てにおいて秀でたほうだった。彼女にとっては苦では無い。
町とはいっても田舎町である。花見の季節なので人通りは多いのだが。
志乃は酒屋に追加の注文をすると、直ぐに屋敷への帰途に着いた。
桜が漸く咲き始めた頃である。屋敷を出たときには既に夕刻であったので、帰りには若橘が心配した通り日は暮れていた。
提灯は用意して来ていたので酒屋を出るときに火を点けて、下げていた。
人通りもまばらになっている。夜桜見物はもう少し先の丘が有名で、屋敷近くなると益々人は見なくなった。
志乃は身体に力を入れる。
酒屋を出てから、人に付けられている。
身が軽い、侍ではない……
志乃は早足で屋敷の裏木戸を叩こうとする。
しかし、付けてきた人間のほうが少し行動が素早かった。
後ろから短刀を突きつけられた。
「声を上げるな……」
「……!?」
「久し振りだな、志乃……」
男は短刀を手にしたまま、後ろから志乃を抱いた。
「隼人……!?」
志乃は声で直ぐに隼人だと分かった。
「隼人……会いたかった……でも、脅かさないで。心臓が潰れるかと思った」
「……悪い、会いたかったんだ。今度の宿下がりは何時だ?」
「明日の花見が終わって、明後日の片付けが終わったら帰るわ」
「分かった、待ってる……だが、お前……俺以外の男がずっと付けていたが、気付いていたか?」
「えっ? 嘘でしょ?」
「いや、本当だ。気をつけろよ……夜は危ないぞ。若橘にも知らせとけ。お前でも気付かないくらいだ、若橘では歯が立たん。奴の腕なら若橘を一発で仕留める。今日は、俺は帰る。近頃、此の屋敷の今村の目が厳しいからな」
「やはり隼人もそう思うのね、私もそう思う」
「気をつけたに越した事は無い」
隼人は志乃を離した。
志乃は名残惜しそうに裏木戸に消える。
其の頃、表には飯合が屋敷を訪ねていた。




