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20 続々秋雨

 

 せっかく沢村が作った物を無下にも出来ず、若橘は少しだけ椀の汁を飲んだ。

 沢村は干飯を食べ終えると椀を片付ける。

 無言の沢村と同じ空間に居ると胸が苦しく、若橘には自分の不がい無さが身に沁みる。結局、足が腫れて動くことが出来ず、沢村を見ているしかなかった。


 会話が途切れて何となく気まずい空気が流れる。


 沢村に恋をしている? のだろうか、だが其れを認めても今の自分の立場では、此れ以上進展させることは出来ない。自分が苦しいだけだ。例え沢村が家を捨てると言っても、其れを鵜呑みにして信じきれない。姫を捨てるわけにもいかず、仲間を捨てることも出来ない、自分の気持ちに正直になるには障害が多すぎるのだ。


「そんなに何を考えているのですか? 苦しそうな顔をしている」

 何時の間にか側に来ていた沢村は、手を若橘の頬に当てる。沢村の手の温もりが伝わる。

 沢村はこんなに近くに居て、今だって手が届く。なのに如何しても其の胸に飛び込めない。

 そう考えるとやはり頬を涙が流れる。沢村は整った顔に悲しそうな表情を浮かべ、若橘の涙に自分の唇を当てた。


「……私が貴女を泣かせているのか?」

 

 若橘は首を横に振った。声を出せば全てが壊れていくようだった。沢村の優しい声は若橘の迷う心を揺する、決して踏み出してはならない方向へと。


 沢村は若橘の後ろへと回り、さっきのように後ろから手を回し抱きしめる。


「貴女の苦しそうな顔は、私には見ていることが出来ない。今宵は朝まで此のままでいたい……」

 

 沢村は回す腕にゆっくりと力を入れ、自分の身体を密着させる。さっきと同じように沢村の吐息が首筋に掛かる。其れはさっきまで以上に、若橘を締め付ける。

 筑前に来た日に翔太が同じようにしてくれたが、翔太には悪いが彼には抱けない気持ちだった。

 今日は胸が締め付けられるように苦しい。きっと此れでは一晩中眠れないだろう。

 やはり若橘の心がざわめき立つ。


「貴女は全てを手に入れようとしている、欲張りなのだ。姫様を捨てきれず、翔太や仲間も捨てきれず……当たり前といえば当たり前だが、私には其れが憎らしい。こんなにも私は貴女を見ているのに」


 沢村は顔を若橘の髪に埋める。


「申し訳ありません……でも、姫様とは姉妹のように育ちました。姫様を其のままにして、自分の思いを優先させるなど、わたくしには考えられません」

「……いや、貴女を責めている訳ではない。私もきっと、殿を捨てられない……貴女の気持ちが分かるだけに、もどかしい」


 緩やかに時は流れる、決して性急ではないが沢村の強い思いは若橘を其処に留める。『沢村様を恋しく思います』と言えればどれだけ楽だろうか、しかし其の言葉を口にした時には自分を抑えきれない。心で思うのは良いが言葉にすれば、其れは形となる。やはり苦しい。


「貴女は貴女が思うように生きれば良い、私は貴女をずっと見ている。今、貴女が姫様を守りたいのなら私は貴女に協力しよう」

「……本当ですか? 本当に其れで良いのですか?」

 沢村に対する気持ちは身体の芯から沸き上がり、若橘を突き動かそうとする。

 

 振り返ろうとしたとき、沢村は其れを制した。


「……此のままで、暫く此のままでいてくれ……」


 若橘の身体が小刻みに震え、涙が溢れ出す。

 沢村をこんなにも愛していたのかと。

 気付いてしまった心はもう元には戻せないだろう。


「若橘、紅梅姫様をお守りしよう。柏井の方は此のままで引き下がるお方では無い……ところで今日、屋敷を訪ねたとき今村殿を見かけなかったが、如何しておられるのだ?」

「よくお出かけになられます、今日もお出かけになられたままでございます」

「……そうか、あの人は気を付けたほうがいい。昼行灯で危険なことには手を出さない性質なのだが、有利な方へ寝返るようなお方だ。今の女中も今村様のご推挙で奉公しておる。志乃もそうだ」

「志乃もですか?」

「ああ……志乃は貴女たちの仲間か?」

「……ええ」

「此処へ来る前、志乃に貴女が木につけていく印を教えて貰った。あの様子から直ぐに分かった」


 戸惑う若橘の心を察するように沢村は続ける。

「大丈夫だ、他言はしない。だが、気をつけておいたほうが良い……それより、此のまま横になろう。此のままでは眠れぬぞ」

「……わたくしは今日は眠れません……」

「そう申すな、日が昇ったら山を降りるぞ。また私に貴女を負ぶわせるつもりか? けっこう重いのだぞ……」

「……まあ、なんと申されます……」


 思わず振り返った若橘の唇を沢村は自分の唇で塞ぐ。

 そして軽々と若橘を横にして、そのまま抱き締める。沢村の胸の中は暖かかった。囲炉裏の火よりも心地よく暖められ、ときめきながらも安らぎを覚える。

 

 そして、いつの間にか沢村の腕の中で寝てしまったようだった。


 


 気付くと沢村は起きて着物を着替え、小屋の戸を開けるところだった。

 沢村が戸を開けると、昨日の雨が嘘のようにすっかり晴れ、気持ちの良い朝日が小屋の中に差し込んでくる。


「……もう起きたか? どれ、足は如何かな?」


 沢村は若橘の足の腫れ具合を確認する。

 昨晩のことなど気にする事も無く、沢村は何時も通りに若橘に接する。


「ああ、此のくらいの腫れなら歩けそうだな……」

「ええ、冷やして頂いたのが良かったようです」

「よし、早く着替えなさい。山を降りるぞ、皆、心配しておろう。姫様にも早く薬湯を差し上げねば、ならんのだろ?」


「あっ、はい。そうでした、姫様に早く薬草を……」

 と言いかけ、ふいに上を向いた若橘の唇を沢村は自分の唇で塞ぐ。若橘は突然、唇を奪われぴくりとしたが、沢村は長い時間をかけゆっくりと押し入ってくる。それはまるで若橘の気持ちを確かめるようだった。短いが甘い時が流れる。


「さあ、行こう。馬を繋いでいるところまでは、此処からだと以外に近い」

 沢村は若橘の髪を撫でた。若橘は其れに頷き、ゆっくりと立ち上がった。


「後は、猟師達によく礼を言っておく。此処の猟師達とは知り合いだから、心配は無用だ」


 沢村の晴れやかな顔に若橘は微笑む。如何して今まで沢村を避けようとしていたのか、此れほど穏やかな気持ちになるとは思っていなかった。自分でも不思議だった。


 猟師小屋にあった棒を杖にし、もう一方を沢村に支えられ若橘は山道をゆっくりと歩く。何度も沢村は若橘の手を取り身体を支えながら、漸く馬を繋いでいた山の入り口へと辿り着いた。

 


 しかし、其処には恐ろしい形相をした翔太が立っていた。



 







 




 


  

 

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