1 恋の予感
この小説は紅梅姫の伝説をベースとしたフィクションです。
全て史実ではありません。
それをご了承の上、お読み戴ければ幸いです。
もう春であるというのに、まだ肌寒い日であった。
紅梅姫は漆黒の潤んだ瞳で庭の花々を愛でていた。
大垂髪に結い上げた髪は黒く豊かで陶器のような白い肌を引き立て、化粧は薄化粧で初々しさを残している。そして、ぷっくりとした唇からは小鳥が囀るかのごとく弾んだ声が零れる。
京では紅梅姫の美しさは評判で、その名のごとく可燐で気高く、気品溢れる姫であった。
公家の育ちで容姿端麗、和歌や物語も良く学び、琴など音曲にも精通し乗馬までこなすという、所謂、才色兼備であった。
「姫様、本日は大内家にお招き頂いておりますので、暫く致しましたらお支度を……若橘に申しつけてございますので」
老年の侍女頭らしき女は、紅梅姫の横に付き添う若い女中に目配せをする。
紅梅姫の家は元来藤原の流れではあるが其の支流であり、宮中での発言権などは有していない、飾りのようなものである。其の為、山内家との繋がりを大切にし、その後ろ盾を利用していた。それがこの乱世を生き抜く手段であった。
「若橘、手抜かりの無きよう、分かりましたね」
若橘と呼ばれたまだ年若いその侍女は「はい」と静かに返事をした。
「今日は若橘が供をしてくれるのですか?」
「はい、そのように仰せつかっております」
紅梅姫は相変わらず庭をゆっくりと眺めている。
若橘は紅梅姫の着物の裾を汚さぬよう気を配りながら、辺りを見回す。
紅梅姫は緋色の袴に、名の如く紅梅の重ねを合わせ、華やかな中に伝統を感じさせる衣装を身につけていた。
時はまだ応仁の乱の前ではあるが、既に幕府の権力は弱体化し地方では様々な小競り合いが絶えず、守護大名や豪族はその勢力を伸ばそうと躍起になっていた。
その中でも大内家といえば西を司る重鎮で、明との交易を博多の商人を通して行い莫大な財を得、公家にも多くの繋がりを持っていた。
武士が政治の表舞台に立つと公家達はその勢力に押され、帝との取り次ぎ役に留まり、公家はその力に屈していく。しかし、武士であってもまだ此の時代は帝の許しが無ければ明とも自由に交易が出来ず、大内家のように独占的に明との交易を許され、財力を身につけた者が公家を利用し官位を得、権力を誇示していた。大内家に翳りが見え始めるのは、もう暫く後の事である。
今日はその配下である麻生弘家が筑前国花尾城を重郷に継がせた事を報告し挨拶する為、はるばる京に上っていた。重郷にとっては初めての上洛であり、その祝いの歌会に紅梅姫も呼ばれていた。
しかし紅梅姫のほうは、着物の汚れを心配する若橘を他所に庭を散策し、池の辺で歩みを止めた。
そして大きな溜息を一つ、いかにもこの年頃に有りがちな憂鬱そうな顔である。
「若橘、恋とは如何謂うものでしょうか? わたくしはまだ、恋というものをした事が無い、あの源氏の君のような殿方が、わたくしにも何時しか現れるのでしょうか?」
おっとりとした口調で、頬をほんのり赤らめる。まだ、女の色香というほど熟してはおらず、あどけなさが残ってはいるものの、その優美な顔立ちは恋に堕ちた時の華麗さを想像させるには十分であった。
若橘は其の時、恋に憧れを抱く紅梅姫に危険なものを感じた。
紅梅姫を幼い頃より見てきた若橘は、彼女の優しさの中に秘めた頑固なまでの意志の強さを熟知していたからである。
若橘の母は彼女を出産すると直ぐに紅梅姫の乳母として仕えた。ところが、その母は若橘が五歳の時、突然の病に倒れ亡くなったのである。其の為、元々奉公していた若橘の祖母に当たる橘(先程の侍女頭の老婆)が引き取り、紅梅姫の遊び相手として育てられたのが、若橘であった。
幼き頃より全てを紅梅姫と共に学び、姫の性格も承知している。二人の間には秘密は無かった、というより紅梅姫は若橘に秘事は無かった。つまり、若橘は紅梅姫に秘事が有るという事になる。
それは、若橘の実家は甲賀の里の土豪の流れである。この里の者達は薬等の行商を行い、様々な情報を有していた。彼らはその連携も強く、後世には忍びの者としてその地位を確立して行く。しかし、この時代ではまだその存在すら周知では無い。一部の豪族や守護大名が使っていたにすぎなかった。
甲賀の者達は本来は武士であり、六角氏の流れを組む。その神出鬼没の手法に薬の知識を加え、忍術と呼ばせた。
何時しか若橘も橘の婆様と共に京の様子や噂話などの情報を、里の甲賀へ知らせる役割を担っていた。
「姫様、そろそろお支度を致しませんと、遅れては大内の殿様に失礼です」
若橘は紅梅姫を屋敷へ引き上げるよう、強く促す。
紅梅姫の恋の話には、同じく恋の経験の無い若橘は答えようが無かった。
ただ、若橘も同じ年の娘として興味はあったのだが。
若橘の心の動きなど知る由も無く、紅梅姫は言われるまま「ええ」と返事をして、来た道を戻る。
やはり公家育ちであるだけに、その動きには優雅なものがあった。