16 薄野《すすきの》
秋となり、重郷は予告どおり薄を見に行こう、と誘った。
たしかに、薄野は美しかった。
金の穂が波を打つように風に揺られ、敷き詰められていた。
馬を休ませ、重郷と紅梅姫は大きな石の上に腰を掛ける。重郷は紅梅姫の黒く艶やかな髪を撫で、其の手を腰に回し引き寄せた。
紅梅姫も重郷の肩に頭をもたせかけ、秋の風を感じていた。
祇園会の帰りの襲撃以来、重郷と紅梅姫は今まで以上に愛し合うようになった。
其れは、柏井の方の目論見とは異なるもので、けっして此のままでは済まされないと誰もが思っている。
柏井の方が、何時どのような手を使ってくるのか、問題ではあったが、今のところ穏やかな日々を送っていた。
「殿と姫様が仲睦まじいのは、家臣にとっても嬉しいことですよ」
二人の様子を遠巻きに見ていた沢村は、眩しいのだろう、手をかざし午後の日差しを遮る。
沢村の仕草に若橘は男の色気を感じ、どきりとした。
此の頃になると重郷は、沢村一人だけを供にしていた。
「……ええ、でも仲が宜しいのを、柏井の方様は快くお思いでは有りませんでしょ?」
「勿論です、どう仕掛けてくるかですよ……」
「また刺客を向けられるでしょうか?」
「まさか、この前、失敗をして反対に絆を深められたのです。そう同じ失敗はしないでしょ」
「ところで、沢原様のお怪我は如何ですか?」
「さあ、右手が使い物にならないことを隠しておいでだが……貴女の正体は、ばれていると思いますよ。如何して、翔太はきちんと命を奪っておかなかったのか、わたしには分かりません」
「……」
「いや、口が過ぎました、翔太を非難するつもりはありません」
沢村は潔く謝る。
たしかに彼の言うとおり、殺してしまえば良かったのだろうが、刺客の任を果たせなかった沢原市衛門が、事の仔細を話すことは無いと翔太は踏んでいた。其れは沢村にも分かっていることだ。
家臣が自分の主君の側室を殺めるわけで、けっして表沙汰に出来る事では無い。
もし、沢原を殺してその嫌疑が若橘や他の者に掛かっては、と翔太が気を回したのだ。
「とにかく、何か不穏な動きがあれば、お知らせ致します。わたしは今まで、あのように女人を愛されている殿を見たことがございません。もし、姫様に何かあれば、ただ事では済まされません。殿のご気性を考えると、其の怒りは周りの者に向けられます。皆、迷惑です」
「迷惑だなんて……如何して、沢村様は其のような言い方しかなさらないのですか」
「おお、わたしを叱るのですか?」
「いえ、叱るだなんて……」
「やはり、わたしは貴女が愛おしい……」
そう言うと沢村は立ったまま、若橘を抱き寄せた。
何時もなら此処で沢村を突き放すのだが、何故か体に力が入らない。
「沢村様、お離し下さい……」
「うん? 離して欲しいのであれば、逃げれば良いではありませんか……わたしは、そんなに力は入れていませんよ……」
沢村はまるで若橘を試すように、抱く手に少しだけ力を入れる。
若橘はぴくりとしたが、自分の身体の力が次第に抜けていくのを感じた。
だが其れも束の間だった。
「……今しばらく、此のままで居たいのだが、殿がお呼びのようだ。行こう。」
沢村は若橘の手を取り、呼んでいる重郷と紅梅姫のもとへと向かう。
「若橘、沢村様と仲が良いのね」
紅梅姫は二人の繋がれた手を見る。
若橘は沢村の手から自分の手を引き抜く。自分の顔が熱をもち、赤くなるのが分かる。
「姫、其のようにからかうものでは無いぞ、ほれ、顔を赤くしておるではないか」
重郷は上機嫌に笑った。
「まあ殿、其のように言われましては、若橘が可哀相です、気付かない振りをするものです」
「そうであった、そうであった」
気難しい重郷が紅梅姫の言葉に笑う。
どれほど紅梅姫と重郷が溶け合っているかが分かる。
近頃では、余程の用が無い限り重郷は夜は城へは戻らず、紅梅姫の屋敷に泊まっていた。
つまり、沢村も毎日のように、屋敷に泊まるのである。
此れには、若橘も苦慮した。
たまに若橘の部屋へと入り込むのである。
如何にか事無きを得、いつも部屋から追い出す。
其れを繰り返していた。
「沢村様、また此処においでですか?」
灯りを持って若橘が現れる。
部屋にある燭台に火を灯そうとした時、沢村は自分の息で火を消した。
暗闇である。
若橘は持って来た燭台を置いた。
「沢村様、此れでは見えません」
「見えないほうが良い……」
沢村は若橘の胸に挿した懐剣を引き抜き、鞘ごと放り投げた。
「何をなさるのです! いくら沢村様でも怒りますよ」
「油断するからです、だが、怒った顔も良い……今日はまだ、翔太は来ていないようだ」
沢村は両手の指を若橘の指に絡ませ、若橘に口づけをする。
其れは何時かの夜のようでは無く、ゆっくりと深く、若橘の中に入り込むように。
若橘から苦しそうな息が漏れる。
逃れようと思えば逃れられるかもしれない、しかし、其れは若橘の意思に反するものだった。
昼間の重郷と紅梅姫の仲睦まじいところを見せ付けられ、沢村は我慢できないようだった。
其れは若橘も同じだった。
次第に押し倒され、沢村が帯を解く。
衣擦れの音が夜の静寂に響く。
其の時、障子越しに志乃の声がした。
「若橘様、姫様がお呼びでございます」と。
そう、一線を越えてはならないと、志乃が釘を刺しに来たのであった。
紅梅姫は今頃、重郷と睦んでいる筈である。
呼ぶ筈は無い。
二人とも着物を整え、若橘は一人で部屋を出た。




