14 続祇園会
町は賑やかだった。
祇園会の為の、練習の太鼓の音が響く、心躍る音だ。
若橘は志乃を伴って、宗右衛門を訪ねていた。
「おう、若橘殿、久し振りですな。姫様はお元気ですか?」
「はい、最近では殿とも仲が良くて、此方のほうが当てられっ放しです」
「それは良い事ですが……」
「……そう、良い事ばかりでも無いようですが……」
若橘は口ごもった。
「沢原市衛門、この前、刀を手入れに出して来ましたよ。あの刀は随分、人を斬っている、危険ですよ」
「良くご存知なのですね……」
「なぜですか?」と付け加えようとしたが、其の言葉を呑み込んだ。
宗右衛門に対しては愚問である、若橘は気付く。
心の中を見透かされているようで、若橘は宗右衛門が苦手だ。
「三日後の祇園会の頃には仕掛けてくるでしょう、沢原市衛門はかなりの使い手ですよ、貴女では防ぎきれない」
宗右衛門は刀の手入れをしながら、若橘をちらりと見た。
「今村様が屋敷には詰めておられますが……」
「ああ、あの昼行灯ですね、役には立たないでしょう、やる気はありません」
「……確かに、やる気は無さそうです」
「其れでは、志乃、隼人によく、頼んでおきなさい」
「……あっ、はっ、はい……」
「……?」
如何して志乃なのか? 若橘は宗右衛門を見た。
「お気づきではありませんか? 隼人と志乃は恋仲ですよ」
宗右衛門は「はっ、はっ」と声を上げて笑った。
何時も冷静なはずの志乃の顔が、燃えるように一気に赤くなる。
「……何時からお気づきでしたか?」
志乃はやっと声を出した。
「分かるよ。人の目を見れば、わたしは大体の事は見当が付く。特に恋の路はね。だから言うだろ? 人は目で物を言うのだよ」
宗右衛門が組頭であるのが、納得できるような気がした。
草は武ばかりでは成り立たない、如何に人の心に入るかが問題だ。
「翔太はまだ帰って来ないのですか?」
「もうじき、帰って来ます。そう、それより、沢村様はどうなさっておいでです?」
「……いえ、特別には……」
「はあ、困りましたね。隼人では貴女に甘い、翔太では危うい、詰る所、貴女がしっかりするより他無いという所でしょうか」
「……」
「宗右衛門殿、あまり若橘様をお責めにならないで下さい」
志乃が助け舟を出す。
だが、宗右衛門はにたりと笑った。
「志乃、隼人との事は早晩、仲間内には知れる、覚悟しておいた方が良い」
「……!!」
「宗右衛門殿! お待ち下さい、二人を如何するおつもりか?」
若橘の形相が一変する。
「仕事に支障の無いよう、離れて貰う。この仕事、皆の命が掛かっておる、色恋では済まされぬ!」
宗右衛門の厳しい表情に若橘は彼の本質を見たような気がした。
穏やかな人間ほど恐ろしいものは無い。
三日後の祇園会の当日、城から輿が差し向けられ、祇園舎へと紅梅姫は向かった。
当然、若橘も供をする。
そして殿の側近には沢村が居り、その他のご家来衆も大勢であった。
其の中にはやはり沢原市衛門が居た。
城下をはっぴに締め込み姿の男達が笹山を抱え練り歩き、祇園舎の前まで来ると笹山の競演が行われる。
其れはたしかに重郷が言うとおり、勇壮なものであった。
笹山はまるで喧嘩でも始めるかの如く、ぶつかり合い、その度、男達が声を上げ、迫力がある。
其れを重郷は楽しんで眺め、合間にちらりと紅梅姫を見る。
目が合うと、紅梅姫は重郷を労るような熱い視線を送る。
若橘は二人から、目を逸らした。
祭りは終焉を迎え、祇園舎に疫病退散と豊穣を願い、奉納された。
重郷は安心したように、引き上げの準備をさせる。
紅梅姫と共に屋敷へと戻ろうとした時、城より使者が現れ、何やら重郷に耳打ちが有る。
「姫、今宵はそなたの屋敷には行けぬ用が出来た。先に帰っていてくれ、また、明日、伺うことにする」
紅梅姫の華やいだ顔が、翳る。
「そう悲しそうな顔をするな、柏井が花姫の様子が変だと言っておる、見に行かねばならぬ」
「……其れでは致し方ございません、早く、行って差し上げて下さい」
「ああ、そうしよう」
重郷は紅梅姫を残し、早々、引き上げた。
祇園舎から姫屋敷までは、陣山の丘を越えて下って行かねばならない。
輿は夕暮れの中、ゆっくりと抱え上げられた。
供は今村を始め、三名ほど。
祭りの終わりと共に、祇園舎の周りからは人が消えていた。
昼間は心地良い陣山の丘であるが、夕暮れともなれば、木々がより鬱そうと茂っているように感じる。
若橘は警戒を強めた。
丘を上り詰め、急な坂を下ろうとした時、やはり頭巾を被った侍が一人現れた。
刺客は刀を抜いた。
一人で現れるとは、余程、腕に自信があるのだろう。
だが其れは直ぐに、証明された。
供の侍の一人があっと言う間に斬られる。
今村は輿を庇うようにじりじりと退いた。
だが、輿を抱えていた男達は形勢が不利とみるや、輿を置き逃げ出してしまった。
今村も逃げ腰で、ただ見ているだけだ。
若橘は胸に挿した懐剣を抜き、構える。
もう一人の護衛の侍も腕を切られ、刀を落とし気を失っていた。
今村は姫の輿から離れようとせず、刺客に立ち向かう意思はなかった。
やはり、腰抜けのようだ。成すすべも無く、じっとしているばかりである。
若橘に刺客の刀は向けられた。
振り下ろされた刀を懐剣で受ける。金属音が響き、若橘は身を翻し体制を整た。
直ぐにまた一太刀あびせられるが、今度は上手くかわし、相手を見る。
次々に太刀が若橘を襲うが、何とか凌ぐ程度で、此のままでは刺客の刃が何時、若橘を捕えても不思議ではないほど、形勢は不利だった。
「はっ」と声を上げ、そろそろ限界に近付いた時、鎖の付いた分銅が刺客の刀に巻きついた。
其の主は黒装束の男。
其れは顔は頭巾で隠れてはいるが、紛れも無く翔太だった。
翔太は鎖を手繰り寄せていく。だが、相手もなかなかの腕である、一筋縄ではいく相手ではない。鎖を引きながら、抵抗する隙を見出そうとしている。
だが翔太は鎖を強く引いていた手を緩めた。相手はその反動で均衡を崩す。
そして、尻もちをついたその刹那、翔太は手にした鎌で相手の利き腕に斬りつけた。
刺客の腕から血がしたたり落ちる。
刺客は刀を拾うと、傷ついた腕を抱え、這ったように逃げ出していった。
翔太は其れを見送る。無駄な深追いは禁物である事を良く知っていた。
若橘は輿の姫の下に居た。
既に今村は逃げ出し、その姿は無かった。
どれほどやる気が無いのだ、とうとう今村が刀を抜くことは無かった。
振り返ると、翔太の目が頭巾の下で笑っていた。
「もう大丈夫だ、姫様、気を失っているぜ」
「助かった……」
若橘はその場に座り込む。まだ震えが止まらない。
恐怖というより、戦った余韻が残っていた。稽古はしていたものの、実際に戦う事は今までほとんど無かった。
「もう今の奴に襲われることは無い、二度とあの腕は刀を握られないからな、しっかり筋を切ってやった……どうした?」
若橘は無言で涙を流した。
翔太は実戦を積み重ねていた、若橘の剣など遊びのようなものだ。
「相変わらず、涙腺が弱いなァ、小せえ頃からびーびー泣いてたよな」
そう言うと翔太は若橘を抱きしめた。
もう言葉も出ない。
だが翔太に抱きしめられると、次第に震えが止まっていく。
暫くそうした後、翔太は視線の先に向かって静かに言った。
「なあ、其処のお侍さん、少し遅かったようだぜ、奴はあんたの所の沢原市衛門だろ? 若橘は簡単にはおまえに渡せねえからな……」
其処には息を切らした、沢村が立っていた。




