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13 祇園会

 新枕を交わした日より、重郷は堂々と頻繁に紅梅姫の屋敷を訪ねるようになった。

 重郷の荒々しさは日を追うごとに削ぎ落とされ、優しさへと変わった。

 そして紅梅姫は重郷の心を癒すかの如く、穏やかに側にいた。

「姫は優しい、そして素直じゃ」と重郷は何度も紅梅姫に繰り返した。



 もう幾日かで長月を迎えるという蒸し暑い或る日、何時ものように重郷は障子を開け放ち、庭を眺める。

 庭の紫陽花がその別れを惜しむように満開を迎え、中には枯れているものもあった。


「もうじき、祇園会が有るぞ、姫。其れは京のようにのんびりとした祇園ではないぞ! 此の筑前の祇園会は勇壮な祭りだからな、腰を抜かすぞ!」

 子供が悪戯をする時のように、重郷の目が輝く。


「そうなのですか?」

「ああ、町の衆が各々の地域に分かれて笹山を担ぐ、だが、其れが喧嘩山笠と謂うて、ぶつかり合うのよ。隣の地区の女房なんぞは祭りの間は離縁じゃ!」

「……!?」

「そんなに驚く事は無い、祭りが終われば復縁する」

「……まあ、そうなのですか? 復縁なさるのならば良いのですが……」

「姫には特別席を用意しよう……沢村、今年は姫の席を設けてやってくれ」

 後ろの沢村に指示をする。


 しかし、紅梅姫の顔が俄かに曇る。

「……ですが殿、柏井の方様が見物においでではありませんか?」

「いや、柏井は下品だと言って嫌うておる。心配には及ばぬ、柏井の事はもう口にするな!」


 重郷の機嫌が悪くなる。

 紅梅姫は俯いた、紅梅姫の口から柏井の方の名が出るのを重郷は嫌った。紅梅姫には柏井の方への遠慮が有る。だが、重郷は其れを最も嫌ったのである。


「……殿、楽しみに致しております」

 と紅梅姫は重郷を団扇で扇ぎながら答えた。

 

 もう直ぐ、長月である。じめじめとした梅雨が明ける。

 祇園会は疫病退散と豊穣を祈願して、麻生氏が祇園舎を建立し、祭儀を執り行っていた祭である。


 重郷は満足したように、「ああ」と言った。

 そして、紅梅姫を抱き寄せた。


「殿、まだ日が高こうございます、皆も見ております……」

 姫は恥ずかしそうに、顔を赤く染める。


「まだ恥ずかしいのか? 姫は何時になったら、平気になるかのう?」

 

 重郷は恥ずかしがる姫をからかっては、楽しむ。

 そして、もっと力強く抱きしめる。


「……と……の?」

 紅梅姫の声が上ずる。


 若橘と沢村は障子を閉め、部屋から出る。

 重郷は周りの者にも気遣う事無く、自分の気分の赴くままであったが、紅梅姫は其れをとても恥ずかしがった。

 



 若橘は沢村を控えの間へと案内する。

 

 若橘のほうから沢村に話かける事は無い。

 だが、沢村はあの夜以降も、前と変わらずに話かけてきた。

 なので其れを無視する訳もいかず、沢村の真意を考えあぐねていた。


「殿は紅梅姫様にぞっこんですね、もう片時もお離しになりません……あのように仲が宜しければ、姫様のご懐妊も、もう間近かもしませんね」

「はい……だといいのですが……」

「此方にとっても待ち遠しいのですよ、御正室様には御嫡子がおりませんので」

「……ですが、柏井の方様は心安らかではありませんでしょう?」

「でしょうね、おのこが生まれれば、その地位を脅かされかねません」

「……」

「そう、若橘殿、刺客にはご注意なさい、先日、少々、気成る人物を柏井の方様の周辺でお見かけ致しましたので」

「其れは、何方ですか?」

「沢原市衛門殿ですよ」

「……何処かで其のお名前、お聞きしたような……あっ!」

「そうですよ、飛幡の浦に迎えに来られたのが、沢原殿です。わたしと良く間違えられるのですよ、名前が似ているので」


 沢村は静かに笑った。

 隼人が言うように、沢村は若橘に対して敵意は無い様だった。


「祇園会の頃は、町も賑やかに成る、其れに乗じてという事もあるから……」

「……分かりました」


 と、此処で沢村は声を出して笑い出した。

 若橘は沢村を不思議そうに見る。


「……?」

「……ああ、悪い、貴女が素直だったので、つい……」

「……だからって、笑う必要はないでしょ?」


 若橘は拗ねた。


「いや、姫様の事になると真剣というか……」

「当たり前です、貴方のようにいい加減ではありません!」

「……何処もいい加減では有りませんよ、殿はあのようなご気性です、人に意見されるのを極端に嫌われる……結構、難しいのですよ」

「申し訳ありません、少し言いすぎました」

「……ああ、やはり可笑しい、今日の若橘殿は可笑しい」

 

 そう言って、もう一度、沢村は笑った。


 若橘は、沢村に気を許してはならないという自分が、少しずつ小さくなっていくのを感じていた。


「実を言って、わたしは大内でも大友でもどちらでも良いのですよ」

「其のような事を言って大丈夫なのですか?」

「貴女はわたしを裏切るような事は無いと思っていますから。でも、殿は違いますよ、殿が誰を信じるかは、わたしには分かりません。今の処、紅梅姫様は信じていらっしゃるようだが……」


「……其れは如何いうことですか?」

「……人を信じるのは難しいという事ですよ、今は信じていても、何かの拍子に其れは直ぐに猜疑心へと変わるかもしれない。永遠というものは無いということですよ」

「では……信じることは恋と同じですね」

「だが、例え其れが永遠であろうと無かろうと、今の此の気持ちが大切なのですよ、きっと……わたしはそう思いたい……今の恋が本当ならば、もう其れで良いのだと思いたい」


 沢村は其の端整な顔に、薄っすらと笑みを浮かべた。


 城下では祇園会の為に練習する太鼓の音が、響き渡っていた。 



 


 


信じること、というのは今回のテーマでもあります。

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