10 結婚の儀
庭に篝火が焚かれ幻想的世界が出来上がる。
紅梅姫は婚礼衣装に身を包み、俯いている。
蝋燭の明かりに照らされ、透き通るような白い肌は一層、美しく輝いていた。
横には重郷がその凛々しい顔立ちを引き締め、貫禄さえ感じる。
盃に酒が注がれ、交互に盃に口をつける。
儀式が終わると家臣達に酒と料理が振舞われ、酒宴が始まった。
若橘は紅梅姫の背後に座り、様子を伺う。
重郷は家臣たちの喜び、踊る姿を楽しそうに眺めている。その横で、紅梅姫はそれを静かに眺めている。
其処へ一人の男が角樽を抱え、やって来る。
「御正室、柏井の方様よりのお祝いを持参致しました」
「……おう、そうか……若橘、皆に振舞うてやれ」
重郷はぎょっとしたようだった。
昨日のやりとりを考えれば、ぎょっとするのも無理は無い。
若橘は持参した男に角樽を抱えさせ、厨へと向かう。
「柏井の方様より、何かお言葉は無かったか?」
若橘は念の為、聞いてみる。
「いえ、特には」
「其処へ」
男は若橘に言われた通りに置く。
すると若橘は樽の蓋を取り、確認する。
若橘と共に樽の中を覗いた志乃が、『きゃあ!』と悲鳴を上げ、腰を抜かした。
「良い物を持参致したな、あの場で開けなくて良かった、おぬしの首が飛ぶところぞ、樽の中で蛙が水浴び、いや酒浴びとはな……」
若橘は平然と言ってのけた。
「……お、お許し下さい、このような事とは知らず……」
男は手を突いて謝罪した。
「誰が此れを持たせたのだ」
「……それは……」
男は口ごもった。
「殿のお耳に入れても良いが、どうせおまえに罪は擦りつけられる。他の誰も責任を取る者などおらんぞ」
「しかし……」
「この蛙、良く酒を飲んでおる、料理にして殿にお出しするか……志乃、此れを……」
若橘は酒樽の中に手を突っ込み、蛙を取り出して持ち上げた。
「わ、わかりました……其のお方は……柏井の方様のお側近くに居られます、飯合様でございます」
「そうか、良くわかった、その飯合に申しておけ、良く酒が浸み込んだ蛙を頂いたと」
其の男は逃げ出すように、帰って行った。
「志乃、その酒を処分して他の酒を樽に入れ、一緒に座敷へ参れ」
「……はい」
座敷に運ぶと、酒宴も酣であった。
「使いの者は如何した? 酒を振るもうてやったか?」
重郷はご機嫌だった。
「はい、ですが慌ててお帰りになりました」
「如何した? 何故慌てておった?」
「はい、水浴び、いえ、酒浴びをしておりましたので、慌てておりました」
「……?」
「此方に樽はお持ち致しました、新しい物と詰め替えておりますので」
重郷は承知したのだろう、緩んだ顔が一変した。
「……姫、今日は帰るとしよう、明日の夜、参る」
暫くして宴が終わるのを待つようにして、重郷は帰って行った。
「……如何して、殿は今日、此方にお泊りにならなかったのですか?」
「姫様、此れからが戦です、柏井の方様に負けてはなりません、殿は柏井の方様に遠慮されておられるのです、殿に此方のお屋敷に足を運んで頂くことです、そして、男子をお産み下さい、柏井の方様には花姫様しか居られませんから」
「そう上手くいくかしら? 昨日お会いしましたが、恐ろしい方のようです……」
「大丈夫です、わたくしにお任せ下さい、姫様は何時ものように笑っておられれば、大丈夫です、姫様の笑顔に殿のお心も癒されることでしょうから」
翌日、若橘は城下に出ていた。
志乃に案内させ、城下の刀砥ぎ師の宗右衛門に会いに行った。
志乃は宗右衛門の家に迷わず、連れて行く。
「おう志乃か……」
口ぶりからして、やはり志乃は宗右衛門が送り込んだ女だった。
そして後ろの若橘の姿を見て、宗右衛門は笑顔を見せた。
「……大きくなられたのう、此れでは橘の婆様が心配する筈じゃ」
「宗右衛門殿、お久し振りです、漸く会えました」
「……あなたの方からみえるとは、何かございましたか?」
「婆様からお聞きしておりましたので、一度ご挨拶にお伺いしようと思っておりました」
「だが、其れだけでは無いのでしょ?」
「ええ、柏井の方の事です……」
「ああ、もう火花が散っていますか……」
宗右衛門の顔が落胆したように、曇った。
「それと、少々、調べて頂きたい人物が、沢村という殿の配下の男ですが……」
「……ほう、其の男から誘われておられる?」
「……!?」
「あの沢村という男、なかなかの切れ者だが女癖が悪い、此処に来る侍が、女の噂は絶えんと言っておった。ところで、翔太は貴女の処へ行っていますか?」
「はい、でも昨日の夜は来ませんでした」
「仕方の無い奴だ……」
「……あのう、翔太さんは昨日、京へ行くと言っておられました」
志乃が申し訳無さそうに口を挟んだ。
「そうだった、隼人と入れ替わりだ……隼人のほうが安心だ、沢村はまずい……志乃、気を付けてくれ」
「はい」
「ところで、志乃、毒は無いか?」
「ええ、今のところ、厨のほうは大丈夫です」
志乃はてきぱきと答える。
若橘は守られているのだ、と痛感する。
「ただ、柏井の方が此のままにしておく筈が無い、昨日も城でいろいろと嫌みを言われたのだろ?」
「ええ、まあ……」
若橘は歯切れの悪い返事をする。
「城へ行く輿を見た者が沢山いる、城下では噂に成っておる、城へ行けば嫌みを言われるのは分かりきっている、あのご気性だからな……其れより、短刀は大丈夫か? 何時、刺客を差し向けられても不思議では無いぞ」
若橘は胸に挿した短刀に手を掛ける。
「今度、手入れをして頂きます、其れともう一人、飯合様と申されるかたをご存知ですか?」
「もう、飯合様が出て参られたか?」
「……いえ、少々、お名前をお伺い致しましたので」
「ほう? 飯合様は柏井の方様の肝いりですよ、大友とも通じる処がお有りだ」
宗右衛門は里の頃から、皆の武具の手入れをしていた。
若橘は、此れからの柏井の方との対処に、心強い味方を得た。




