「翻弄される者たち」7
「があっ!」
エルナンの放った風刃に右腕を失ったジャックは体勢を崩し地面に倒れ込んだ。
「ジャック!」
「私に構わず、前を!」
腕からほとばしる鮮血を左手で押さえるジャックはエミリアを叱咤した。エミリアは激情をエルナンに向け、火炎の剣撃を打ち付けたが、またしても炎はエルナンの演算に打ち消され、白い煙になるだけだった。
そのときだった。紫のマントが舟に向かって走るのがエミリアの視界の端に映ったのは。
(あれはジャミル――)
そう思った瞬間エミリアの思考が冷静さを取り戻した。エミリアは思い至った。「あの男」が今一番エルナンにとって重要な「カード」であるということに。「あの男」がエルナンが兵を集める「名分」であったことに。
エミリアの命令が鋭く飛んだ。
「あの紫の奴を狙えっ!」
「しまった!」
白煙に視界を遮られ、エルナンの反応がわずかに、しかし致命的に遅れた。
エルナンが風刃を飛ばし、射手の弓弦を断ち切ったのは、すでに矢が放たれた後であった。
ジャミルの脇腹を鈍い衝撃が走った。
突然に身体の支えを失い、舟の縁にもたれたジャミルは、マントを貫き自分の脇腹から生える矢柄を見て、口に血の味が広がるのを覚えた。
(…なんだよ…これ…は…?)
口から漏れた血が顎を伝う。
(オレ…は…帰るんだ……こん…な…ところ…で…)
「やったか!」
エミリアは紫のマントに矢が突き立つのを見た。
そのときエルナンは完全に余裕を消した。エミリアとの間に立った剣士が一瞬の内に血潮を風に巻いて胴体を失った。舞い散る赤い霧に崩れる人影の向こうから、螺旋に回転する風の刃を巻き付けた双剣が迫ってきた。
エミリアは味方の肉片を頬に受けながらも、冷静さを失わなかった。
「遅いぞ、エルナン!」
エミリアはジャミルの傾いだ身体に向けて、とどめの火球を打ち放った。
「殿下!」
ジスモンドの呼び掛けに応える余裕もなく、血の脈々と流れ出る感覚に思考が朦朧としていく中、ジャミルは同じ言葉を繰り返し頭の中で回転させていた。
(こんな、こんな、こんな、こんな――)
そんな言葉の空転も、次に背中を襲った爆発の衝撃に一瞬で掻き消された。
爆炎が河に上がった。
舟の周囲に集まっていた騎士たちは全滅だろう。エルナンは舌打ちひとつすると、すぐに次の行動に移っていた。
「やったものだな!」
エルナンは駆ける勢いのままエミリアに一太刀浴びせ掛けた。エミリアがかろうじてその一撃を剣で弾き返すと、エルナンはそのままエミリアの横を走り抜けた。
「退くぞ、スナメル!」
「逃げるか!」
エミリアは走り去るその背に向けて火球を放った。直後、エルナンの背後に背丈程もある演算が開き、そこから猛風が巻き起こり――エルナンが飛んだ。
「エルナン!」
外れた火球が川面に上げた水煙を飛び越し、エルナンは河向こうに降り立ち、森の茂みに姿を消した。残されたスナメルも地面に拳を打ち付け砂塵を巻き上げ目くらましにすると、演算を足に展開して河に飛び込んだ。水飛沫が高く上がったが、足の演算が作用しているのだろう、スナメルは河に沈まず、いくつもの飛沫を上げながら川面を跳ね渡り、濛漠たる水煙を残して対岸へと消えていった。
負傷者のうめきと焼けた人間の臭気が漂う中、エミリアは力任せに剣を地面に突き立てた。