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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
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「己を知らずに生きるもの」7

 咄嗟(とっさ)だった。

(――ベルナルドさんが危ない)

 ベルナルド目掛けて突き出される槍を見たとき、その穂先の前に飛び出したサラの頭にあったのは、ただその気持ちだけだった。

 槍の穂先がぎらりと光って見えた。サラの中で時間がゆっくり動く。この槍は自分に刺さる。それをサラは確信とともに理解した。


「――サラ!」


 兄の声。その悲痛な響きにサラの顔が歪む。槍が迫る。

(――ごめん、お兄ちゃん)

 その想いが突き破られる直前に、サラは赤く輝く文字列がサッと槍を掠めていくのを見た。

「えっ?」

 直後に槍の柄が湾曲して反り返り、木片を飛ばして爆ぜ折れた。唖然として敵の兵士が立ち止り、驚きにサラがその場に膝を突く。その二人の間に颯爽と現れた人影があった。陽射しに薫るように煌めく金色の髪が、サラの目の前で揺れる。


「大丈夫かな?」


 鈴鳴りのような声。見上げるサラにそう優しく訊ねた金色の髪の女性――アシュリーは、戸惑いに返事が出来ないでいるサラの頭をひと撫でした。

「安心するがいい。この私が守ってやるのだからな」

 そしてジャミルの方を見やって口もとを薄く綻ばせた。

「もうひとつの借りもこれで帳消しだ、ジャミルくん」

 悠然として力強く、神々しくありながら艶めかしい、美しくも傲慢な微笑み。

 その横顔を見つめるサラは、自分の手のひらに(おこ)った熱を知らぬ間に固く握りしめていた。






 圧倒的というものを体現したもの。それが“竜”という存在であると、ジャミルは再び認識するしかなかった。

 アシュリーが、伸ばした腕にまとうように演算の帯を展開させると、その腕で軽く前方の空中を払った。その瞬間に演算は強烈な爆風へと姿を変えて、槍を折られて茫然としていた目の前の敵兵を吹き飛ばし、さらにその後ろからこちらに迫っていた敵を薙ぎ払った。

 濛々たる土煙が舞い上がる中でアシュリーが動く。ベルナルドと剣を交えていた敵兵の懐に走り込むと、演算をまとった掌底でその腹を突き上げた。

「おお、よく飛んだな」

 十ムルーナ以上の高さを人が飛んでいく姿など、ジャミルは未だかつて見たことがなかった。

「ま、魔法使いだ!」

「怯むな! こちらにも術士はいる!」

 目の前で展開された演算とその派手な効果に、敵の兵士達が怯えを見せる。エーテル技術に通じていない多くの一般兵士にとって、演算は原理不明の魔法として畏れられている。その畏怖を払うように駆けつけてきた騎士が檄を飛ばす。騎士が演算を展開する。

「ほう、火の演算か? かわいい児戯よな」

 その術式をひと目に見抜いたアシュリーは、放たれた火球にむかい演算の帯を軽く投げると、火球は見る間に膨れ上がり、激しい閃光を放って爆発した。爆炎は軌跡を描いて四方に飛散し、周囲にいた兵士達が頭を抱えて逃げ惑う。

「大人の火遊びとはこういうものだよ」

 アシュリーはそう微笑みながら、何かの演算を敵と自分の間の地面に描いた。その演算が地面に染み込んでいく。

「皆殺しの方が簡単なのだが、うるさい奴がいるのでな。まあ、安心するがいい」

 そうアシュリーが言った直後に、地面がガタガタと揺れ始めた。

「な、なんだ!?」

「ひ、ひぃぃっ!」

 アシュリーやジャミル達が立っているところ以外の地面が揺れていた。細かい振動は徐々に強く激しくなり、立っていられないのか敵の騎士や兵士達は地面にうずくまってしまった。中には恐怖に悲鳴を上げながら頭を抱える者までいる。

「う、うわぁっ! じ、地面が!?」

「み、水が! ど、どうなっているんだ!?」

「に、逃げろぉっ!」

 そして揺れ続ける地面に変化が現れた。水が湧き始めたのだ。一か所ではない。揺れている地面のほぼすべてで、水が土と入れ替わるようにして溢れ出し、周囲は瞬く間に泥沼と呼んでよい状態と化した。敵の兵士達は完全に恐慌をきたし、この場から逃げ出そうとしたが、泥と振動に足を取られて動けず、四つん這いの姿勢で溺れるようにもがいている。その様子を眺めながらアシュリーが微笑する。

「ふふふ、思った通りだな。水分の多い川べりの土地は、少し揺らしただけで簡単に液状化する。泥遊びは楽しかろう?」

 アシュリーは悲鳴と混乱の泥沼をそう笑い捨てると、後ろに茫然と立ち尽くすベルナルドへと振り返った。

「その怪我は足手まといだな、ベルなんとか」

 そう言うとアシュリーはベルナルドの腹部に手を当てた。浮き上がった演算の文字列がベルナルドの身体に吸い込まれていく。

「……あ、え?」

「これで走るぐらいは簡単だろう」

 目を丸くするベルナルドが傷のあった腹のあたりを手で触って確認しているのをしり目にして、アシュリーはジャミルの方へ近づく。

「その爺さんの腰もだ」

 ジャミルの背中に負われていたロベルトの腰に手を当て、先ほどと同様に演算を使う。

「ほれ、どうだ」

「な、なんじゃ? 腰が一気に軽くなったぞ」

 ロベルトはジャミルの背中から下りると、腰の回転や曲げ伸ばしの運動をした。そして驚きの表情を浮かべる。

「痛くないぞ!」

 嬉々と叫ぶロベルト。その様子を見ながら、ジャミルは固い表情でアシュリーに訊いた。

「どういう風の吹きまわしだ?」

 疑問でしかなかった。アシュリーは先ほど「お前を守る義務はあるが、他を助ける義務はないぞ」と断言したばかりである。貸しはあったが、それはジャミルの策に協力することで返されることになっていた。だからこの場でサラを助け、さらにベルナルドやロベルトの身体を治療する理由などないはずなのである。

 このジャミルの困惑に満ちた問いに、アシュリーは愉快気に目を細めて言った。

「感謝したか?」

 若者の失敗をたしなめる大人のような得意気な微笑でそう訊くアシュリーに、ジャミルは悔しさを覚えながらも、うなずきを返すしかできなかった。

「なら、これでもうひとつの借りも返せたという訳だ」

「もうひとつの借り?」

「知らんでいい。それより早く逃げなくてよいのか?」

 サラとベルナルドもこちらに駆けつけていた。泥沼となった周囲では、地面の振動こそ収まったものの混乱が続いていて、こちらを追って来るような余裕は見られない。川の方を見やると、シムスがこちらに早く来いと催促するように手を振っている。

 ジャミルはうなずくと、再び走り出した。






「ジャミル殿、ご無事で!?」

「ローエンさん!」

 ジャミル達が川べりまで走り着いたのは、マルティンの一行が周囲の敵を蹴散らして、舟に乗り込もうとしている最中であった。こちらに気づいたローエンが手を上げる。

「こちらは無事です。そちらは?」

「全員無事です。混乱も首尾よく広がっているようです」

 ジャミルはローエンの答えにうなずくと、隣に浮いている(から)の舟を見て言った。

「では、ここでお別れです」

 それが事前の取り決めであった。このままフォルクネ市に偽王子であるジャミルが留まれば、それは王国に対する叛意を意味する。ユーカス・ランカーの本営への奇襲の手引きさえ果たした時点で、ジャミルの役割は終わりであるのだ。この奇襲によって生じた混乱でジャミルとその仲間は生死不明になったということにしてもらい、その後は乗ってきた舟の内の一艘をもらい受けて(この舟の底板の下には、ジャミル達の荷物が事前に隠し積んである)、好きに逃げるという手はずになっていた。

「ジャミル殿」

 舟の上から巨体の男――マルティンが、強いまなざしでジャミルに言った。

「本来は反逆者である君達を助けることはできないが――貴殿の無事は祈らせてもらう」

 その言葉に続くようにローエンがジャミルの手を取る。

「ご無事をお祈り致しております」

 さらに舟を出す準備をしていたモルガンがこちらに近づき、戦いを生業にする人間らしい短い言葉で告げた。

「ご武運を」

「ありがとうございます」

 彼らの言葉に目礼を返すジャミルに緊張感のない声が飛んだ。

「ほーれほれ、のんびりしていると、まーた追いつかれるぞー」

 シムスとさっさと舟に乗り込んだアシュリーが、足で舟べりをゴスゴスと蹴りながらそう催促していた。ジャミルは苦い顔をしながら、サラ、ロベルト、ベルナルドを連れて舟へと移動する。

「やれやれ、なんともとんでもないお嬢さんじゃな」

「でも、すごくかっこいい……」

 ロベルトの感慨にそう答えるサラの瞳には、憧れの色がきらきらと輝いていた。ジャミルはその輝きにうっすらとした嫌な予感を覚えながら舟へと飛び乗る。

「では、出発だ!」

 全員の乗船を確認すると、アシュリーが仕切るようにして号令した。櫂を手にしたジャミル、ロベルト、シムス、ベルナルドが一斉に舟を漕ぎ出す。

 マルティン達の舟も同時に漕ぎ出し、フォルクネの街へと向かう。ジャミル達の舟は河の流れに沿って下流へと舳先を向ける。

「さて……。これがこの仕事の仕上げかな」

 舳先に立つアシュリーが舟の向かう先を見据えながら言った。前方には両岸に立つ矢倉から張られた太い鉄の鎖が行く手を遮っていた。カラール河を封鎖している鉄鎖である。矢倉の上には弓や弩を構えた兵士達の姿が認められる。

 アシュリーは河の風に髪を乱しながら、前へ向けて右腕を伸ばす。演算の術式がその腕に絡むようにして展開されて広がっていき、やがて舟全体を淡い七色の数字と記号の文字列で包み込む。

「すごいきれい……」

 夢見心地のようなサラの声。その夢を覚ますように水面を叩く音が聞こえた。敵の矢が飛んだのだ。矢は次々と放たれ、ジャミル達の舟に向かって間断なく飛来する。しかし。

「な、なんじゃこいつは……?」

「すごい……」

「さ、さすがアシュリー様です!」

 矢は舟を覆う演算の文字の帯に触れたと同時に、捻じれるような不自然な動きをして、あらぬ方向へと弾かれた。どれほどの矢が射込まれても結果は同じであった。ジャミルの目には演算を境にして、何か空気の断層のようなものが生じ、それが矢を弾いているように見えた。

「ふふん……。当然のことだ」

 アシュリーは感嘆の声を上げるロベルト達の反応に少し口元を緩ませ、まんざらでない表情である。ジャミルの胸中に不意に不安がよぎる。

「あまり調子に……」

「では、もっと素晴らしいものを見せてやろう!」

 ジャミルが諌止の言葉を言い切る前に、そう宣言したアシュリーが両腕を広げると、それぞれの手のひらに緑に光る球形の演算が生まれ、同時に両岸の矢倉へ向けて放たれた。

「う……わぁ」

 轟風が巻き上がった。耳を(つんざ)く轟音の竜巻が矢倉を瞬時に吹き飛ばし、人や矢倉の木材が嘘のようにくるくると飛んでいる。矢倉に繋がれていた鉄鎖も当然ちぎれ、舟の進路を遮るものはなくなった。しかし。

「う、うおぉっ!?」

「か、風が!?」

「あ、アシュリー様ぁぁっ!?」

 両岸に立ち上がった二本の竜巻は水面に大きなうねりを引き起こし、ジャミル達の舟は風浪に弄ばれて大きく揺れた。

「あ」

 そして不安定な舳先に立っていたアシュリーを河へと振り落とした。

「調子に乗るから!」

 怒りとも呆れともいえない声を上げて、ジャミルはアシュリーを助けるために河に飛び込んだ。






「また借りを……、また借りを作ってしまった……。油断……油断……うおぉぉぉ……」

 ジャミルの手で舟へと引き上げられたアシュリーが、サラに髪を拭かれながら悄然と膝を抱いて何事かをぶつぶつと呟いている。ジャミルはその様子にため息を漏らしながら、遠ざかっていくフォルクネの街を見た。

 右岸に見える街壁の外縁で煙が上がっている。作戦通りに包囲突破の戦闘が始まっているようだ。ランカー家の陣地では混乱が続いているのだろう、多くの人間が右に左に走り回っている姿が見て取れた。

 その様子を見ながら、ジャミルは心中にざわつく、言いようのない感情をもてあましていた。

「……で、どうだ?」

 そのジャミルの背中にアシュリーがそう訊いた。

「……なにが」

 振り返らずに答えるジャミルに、アシュリーが続ける。

「自分をいいように利用してきた人間どもを、手のひらで転がしてやった感想は」

 アシュリーのその皮肉のこもった言葉に、ジャミルはただ黙って戦いの続くフォルクネの街を見つめるだけだった。アシュリーが鼻で笑う。

「どうした? お前のやったことだぞ?」

 それが事実だった。ジャミルが計画し、実行に移して、半ば成功し、半ば失敗した結果。それが目の前の光景だった。

 数万の人間が、その結果に翻弄されている。そう――“理不尽”に。

「どうなるんだろうな……」

 この先は誰にも、この事態を引き起こしたジャミルにも、わからないことだった。だから彼のこの呟きはひどく無責任なものだった。恐らく数十、数百の死人も出しているだろう、この混乱に対して。それを自覚して残るものは、この自分の生み出した状況を前に、ただ為す術なく立ち尽くす、自らの圧倒的な理不尽さであった。

「“この世でもっとも幸福なるは、己を知らずに生きれるものだ”」

 アシュリーの手が肩に触れた。振り返るジャミルの顔に、アシュリーの濡れた金の髪が掠める。その上に薄い微笑みを湛えるアシュリーの顔。

「お前は己を知らずに生きれるほど馬鹿でもあるまいて」

 その微笑みには、自分の子供を慈しむようなあたたかさと、人の心を見透かすような底意地の悪さがあった。

「だからお前はおもしろい」

 励まされているとも馬鹿にされているともジャミルには感じられた。しかしここは素直に励まされたと思うことにする。悔しいので口には出さなかったが。

 舟は進む。

 そしてフォルクネの街は見えなくなった。

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