「己を知らずに生きるもの」6
天幕から飛び出たジャミルは、前を行くフォルクネの兵士が投石器を取り出し、火の点いた玉を空中へ投げ飛ばすのを見た。
玉は煙を引いて高く飛び、空中で白煙を上げて炸裂する。ユーカスの拘束に成功すれば赤い狼煙、失敗すれば白い狼煙を上げる。それが脱出時にフォルクネ市内の味方にむけて行うよう取り決めていた合図だった。そしてこの合図を上げると同時に兵士が大声で叫ぶ。
「ユーカス様、お討ち死に!」
他の兵士やマルティン、ローエン、モルガンなども走りながら同じ言葉を口々に叫ぶ。
「ユーカス様、お討ち死に! ユーカス様、お討ち死に!」
本陣の天幕から突如として飛び出してきたマルティン達とジャミル達の一団が、大声でそう叫びながら、丘の斜面を駆け下りていく。この一団が何者であるか一瞬に判断できなかった敵は、一様にこの言葉に動揺して動きを止めていた。その間隙をジャミル達は舟のある河岸にむかって駆け走る。
これも事前に取り決めていた行動だった。ユーカスの拘束に失敗した場合、敵よりも素早く天幕の外に出て、ユーカスが死んだとの虚報を流す。打ち上がった狼煙と合わせて本陣で異変が起きたことは誰の目にも明らかであり、この虚報に半信半疑にも耳を傾けてしまうのが人の心理であろう。その隙は狙い通りに生まれているようだった。
さらにこの合図に応じて、フォルクネ市内から対岸の敵陣にむけて攻撃が始まっているはずである。これも同じく本陣に狼煙の上がった異変と合わせて、ユーカス死亡の虚報を流しながら混乱を煽り、敵の包囲陣の防備の固まっていない箇所に狙いをつけて攻撃をする手筈になっていた。ユーカスの拘束に失敗した場合は、包囲陣地を破壊して外部との補給線を打通し、敵の戦争継続の意志を挫こうというのが、用意していた次善の策であった。
「さて、そう上手くいくかね?」
ジャミルの横に並んだアシュリーが皮肉げに言った。アシュリーを横目に睨もうとしたジャミルは、そこで後方で打ち上がる狼煙を見た。演算の帯を引いて空にひゅるると昇っていく、こちらが打ち上げた狼煙とは違う種類の狼煙である。
「なんの狼煙?」
ジャミルのその疑問に誰かが答える間もなく、後ろから大声が飛んだ。
「落ち着け、ユーカス様はご健在だ! そいつらはフォルクネの手の者だ! 嘘を言っているのだ!」
声の方向を見ると、騎士を先頭にこちらを追ってくる敵の一隊があった。本陣から出てきた追手であろう。ユーカス死亡の虚報に動きを止めていた周囲の味方にそう叫びながら、まっすぐにこちらへと迫ってくる。
「捕えろ! 殺しても構わん!」
その言葉に応じて動き出す敵兵が一人、二人と左右に現れ出す。
「お父さん! ベルナルドさんも!」
そこでサラの悲鳴交じりの声が上がった。ジャミルが二人を見ると、ロベルトが腰を押さえてうずくまり、それを庇うようにベルナルドが大きく息を切らしながら立っていた。
「こ、腰が……」
「この怪我でお供することは叶いません。それに私は本来あなた方を守るべき立場です。ロベルト殿を連れてここは構わず先に……!」
腰を痛めているロベルトと怪我が十分に直らないベルナルドに、河岸まで五百ムルーナの全力疾走は難しかった。ベルナルドが剣を抜く。戦ってわずかでも逃げる時間を稼ごうというのだ。立ち止るジャミルの前で、サラが二人の元に走り戻る。
「みんなで逃げなきゃ、意味ないよ!」
サラの悲痛な叫びの横から、アシュリーの冷たい声が届く。
「お前を守る義務はあるが、他を助ける義務はないぞ」
「なら、自分でやる!」
そう言い捨ててジャミルはサラを追って走った。
「サラ!」
「お兄ちゃんはお父さんを! ベルナルドさんもほら……!」
サラはベルナルドへと走り、ジャミルはロベルトに駆け寄る。
「……すまん」
「弱気な親父なんてらしくもない」
ジャミルの背中にロベルトが担がれる。一方でサラに腕を引かれたベルナルドは動こうとしなかった。彼はサラにニコリと微笑んで言った。
「サラさん、看病していただきありがとうございました。ご恩はお返しします。早くお逃げに」
「やだよ!」
首を振るサラを振り払うベルナルド。ロベルトが怒鳴る。
「この強情張りが! 娘を泣かす気か!」
「逃がさんぞ!」
その怒声が言い終わらない内に、追い付いてきた敵兵がベルナルドに斬りかかった。迎えるベルナルドの剣がその剣撃を受け止める。その隙に別の敵兵が槍を繰り出す。
「もらった!」
ベルナルドの脇腹を狙って突き出される槍。その穂先の行く先を塞ぐように横から小さな影が飛び出した。ジャミルの目が大きく見開かれる。
「――サラ!」
ジャミルの悲鳴が響いた。




