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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
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「己を知らずに生きるもの」4

「――今だ!」

「ふははは! やっと、出番か!」

 その声が聞こえたと同時に、カザルは虚空に演算の文字列が逆巻くのを見た。

(……まさか?)

 その演算の綻びから武装した兵士の一群が姿を現す。そしてその頭上に、丁寧に櫛で梳かれた金糸のような髪を翻し、丹精に磨き上げられた黄玉の如き瞳に嘲笑を浮かべ、この場のすべての人間を見下して空中に浮かぶ女の姿を認めたとき、カザルは瞬間にこの状況を理解した。

(――謀られたのか!?)

 あの女は見間違えるはずもない、金色の魔女だ。やはり魔女は死んでなどいなかったのだ。ではフォルクネ市内に送り込んだ部下がもたらした魔女が死んだという報告はなんだったのか? 答えは魔女の足元にあった。足に演算の帯をまとい空中に立つ魔女のすぐ下に、見覚えのある顔がいる。ニキビ面の背の高い若い兵士。名前は忘れたが、自分がフォルクネに送り込んだ男だ。

(フォルクネめ! 魔女を味方に付け、私の部下どもを買収したな!)

 ここに至るまでの違和感が一本の線に繋がる。フォルクネ市はなんらかの方法で、あの金色の魔女を味方に引き入れ、カザルの部下も恐らく金銭か何かで取り込み、自分に偽の情報を送らせたのだ。一方でユーカス・ランカーにはカザルがフォルクネ市と通じていることを疑わせる内容の書簡を送る。ユーカスの性格を考えればカザルをどう扱うかは簡単に想像できる。その結果がこの手の縄だ。

(そして、その狙いは――)

 魔女とともに姿を現した兵士の一人が前へと駆けながら叫んだ。

「ユーカス・ランカー!」

 ユーカスの命かその身柄の拘束。フォルクネ市が、援軍の当てもないこの籠城を交渉以外の方法で打開するとなればこれしかない。そしてこのために魔女の手を借りるとなれば、その力の存在をランカー家側に秘匿する必要がある。ここで魔女死亡の偽情報や、魔女の力を知るカザルと知らないユーカスとを分断する書簡の意図が見えてくる。そしてその策謀は狙い通りに形を結ぼうとしていた。

(――だが!)

 カザルは後ろ手に縄で縛られた両手を、腰にある朱塗りの指揮棒へと伸ばす。触れた指先を伝わり指揮棒に刻まれた風の演算の術式が発動し、生み出された真空が手の縄を切った。自由になった手が指揮棒を掴み、カザルは立ち上がる。

 まだ誰も動けていない。ユーカスも、それを守る衛兵や術士達も、あのパリシーナでさえも動けていない。動いているのはユーカスに迫る敵の兵士ただ一人。その中でカザルの手が密やかに動く。

 指揮棒の先端が術式に反応して小さく開く。そこから琥珀色の液体にぬらりと光る一本の針が覗けた。毒針である。

(この毒、バズのように生易しいものではないぞ!)

 仕込んだ毒は、ラーダの蛮族が操る“戦獣”――鎧のような外皮に覆われた体高三ムルーナにもなる巨大な獣――をも一撃で葬るという猛毒“キーネ”。万匹の毒蜘蛛を共食いさせて濃縮した毒液をベースに、蜂毒や蠍毒などの十数種の毒液を混ぜ合わせて互いの毒効を高めた、蠱毒の王とも呼ばれる猛毒である。

 ユーカスへとフォルクネの兵士が腕を伸ばす。あの兵士の腕がユーカスに届いた時、この場の注視はそこに集まる。その瞬間こそが最大の勝機。この直感にカザルの指揮棒が動く。狙う先は、空中に悠然と浮かぶ金色の魔女。

 だがここで、この場にいる誰もが思いがけない事態が生じた。そしてそれはカザルにとっては願ってもない天佑であった。

「――な!」

 ユーカスの頭上をフォルクネの兵士の腕がすり抜けた。ユーカスが屈んだのだ。屈んだユーカスは膝を地面に付き、空中に浮かぶ金色の魔女にむかい手を握り合わせた。

「あ?」

 緊張した空間に魔女の間の抜けた声。そこにそれを上回るユーカスの陶然とした呟きが続いた。


「――美しい」


 そのユーカスの言動に理解が追い付かず、この場のすべての人間の動きが止まる。その中で一人カザルは己の強運に会心の笑みを浮かべた。魔女の動きも止まっている。指揮棒が動き、その狙いをピタリと定める。

(もらった!)

 カザルの指揮棒から、風の演算とともにキーネの毒針が発射された。






「あ?」

 その男は突然に足元で跪き、アシュリーは眉を怪訝にしかめた。

(なんだこいつは?)

 華美な鎧装束に身を包んだこの男は、確か敵の大将であるはずだ。それがいきなり膝を屈して手を握り合わせ、自分を見上げてきた。何事かと思っていると、男はその疑問に答えるように、アシュリーにむかって陶然とした声で呟いた。

「――美しい」

 あまりにも場違いなその言葉の響きは、愛しの姫君に秘めた想いを打ち明ける騎士物語の主人公のそれであり、呆気にとられたアシュリーは足元に展開している浮遊の演算を思わず間違えそうになるほどの愉悦に襲われた。

(ふふ、なるほど。こやつもこの殊勝な下僕の同類か……)

 足元に見えるニキビ面の青年――シムスは、アシュリーの力と美貌にひれ伏して自ら下僕となることを望んだが、この敵の大将らしき男も同類の徒であるらしい。

(さて、どうしたものか?)

 この男を惑わしてこの場を引っかきまわしてみるのも一興かと思ったが、同時に借りを返すためにジャミルから頼まれた仕事に含まれない行為をしてグダグダと苦情を言われるのも癪に障ると、アシュリーがぐるぐると思考を巡らしている一瞬の隙を狙って、それは音もなく空を裂いて飛んできた。

 視界の隅からキラリと飛来するもの。それは――針。

 その針は狙い違えずアシュリーの身体へと届く――直前に演算の術式がその行く手を遮るように展開した。演算は空気を瞬間に圧縮し、針を壁にでも当たったかのように弾き飛ばす。

「――ふははっ! 私は油断はせんのだよ!」

 そしてアシュリーはそう高笑いして、針の飛んできた先を一瞥した。そこには驚愕の表情を浮かべ、手にした棒をこちらに突き出した姿で固まっている小男がいた。勝ち誇った笑みでアシュリーがこれを見下す。

(そう、二度も三度もやられるものか、痴れ者め!)

 アシュリーはあの地下牢で、不覚にもジャミルの言葉に助けられる羽目に陥ったときに誓ったのだ。もう油断はしないと。そしてこの誓いの通り、彼女は油断をしなかった。この天幕内のすべてのエーテルの動きに最初から間断なく注意を払っていたアシュリーは、当然この小男がこそこそと演算を使い、こちらを狙っていることにも気づいていたのだ。

(どうだ、ジャミルめ。そう何度も借りを作る私ではないぞ)

 横目で得意気に眼下のジャミルの顔を見る。だからアシュリーは気づかなかった。

 弾き飛ばされた針が、足元に跪いている男へと飛んでいったことを。

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