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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
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「己を知らずに生きるもの」2

 ユーカス・ランカーという名前は、ユーカスにとって偉大な名前でなければならなかった。

「フォルクネの使節団、到着いたしました!」

「よし、通せ!」

 天幕の外からの声に、ユーカスはそう呼ばわった。

(どいつもこいつも腹立たしい限りだ……)

 ナザの大領主として百年以上にわたりこの地に君臨するランカー侯爵家。その当主たるユーカスにとって自身の名は歴代の当主達と同様に、この地でもっとも尊貴で、もっとも畏敬される名前であることが当然の(ことわり)であった。

 しかしである。

(フォルクネ議会が豚の集まりならば、それと通じていたこの男は、豚の糞にたかる蝿だな)

 そのユーカス・ランカーの名前に公然と反抗する者、ユーカス・ランカーの名前を平然と(たばか)ろうとする者どもがいる。ユーカスは視界の隅にいる縄で後ろ手を縛られて床に座る小男――カザルを一瞥する。

(しかし豚や蠅も……)

 天幕の中央、虹貝の螺鈿細工に煌めく床几(しょうぎ)に座したユーカスは、そこで少し顎を上げた。入口の幕が開き、複数の人間が外光を背に天幕へと入ってくる。左右を武装したランカー家の兵士に囲まれながら先頭を進んでくる大柄の男――フォルクネ十大商家のひとつマルティン家の当主にして市民議会議員のマルティン・マルコーの姿に、ユーカスは口元をほころばせた。マルティンの大きな肩が、その体格に不似合いなほど小さく悄然としていることを嘲ったのだ。

(その身をわきまえれば、少しは(さか)しく人の姿にも見えようというものだ)

 マルティンの傍らには補佐官と思しき細面で薄い金髪の男が一人いた。そしてその後ろに少し間を開けて手を縄で縛られた人間が続いてくる。若い男が二人――日に焼けた肌の商人風の男と、角張った顔つきの騎士風の男――に老人と少女が一人ずつ。その様子を見ながら、ユーカスは視線を少し横に動かしカザルを見る。カザルは商人風の男の方を見て、その目を大きく開いた。その様子にユーカスの薄い唇が歪んだ笑みを浮かべた。

 マルティンとその補佐官がユーカスの前に跪き、恭しく頭を垂れる。

「ご機嫌麗しくユーカス様。私はこの度の交渉の全権大使として遣わされました、マルティン・マルコーと申します」

「つまらん挨拶など無用だ。その男が偽王子のジャミルか」

 ユーカスはマルティンの挨拶を一蹴し、カザルが反応を示した商人風の男を指差した。

「さすがはユーカス様。ご慧眼あらせられます。こちらが畏れ多くも先王の遺児を騙り、王国に害を為さんとした偽王子のジャミルめであります。他はその一党。そしてこちらは抵抗するために殺害いたしました、ワザン閣下の手配書にあった『金髪金目の女』の髪でございます」

 マルティンは身を竦ませながら答えつつ、懐から一包の紙を取り出す。その紙が開かれると、一房の髪が現れた。天幕の内を照らす赤い燈火の揺らめきを映した髪の房は、晩秋の斜陽に焼ける黄金の麦穂のさざ波のように煌めいた。ユーカスがその輝きに感嘆の息を漏らす。

「ほう……。秀麗なるフリュネもかくやという美女であると聞いていたが、なるほどこの髪は我が妻パリシーナの赤毛にも勝るとも劣らない色艶よ。その顔を見比べることができなかったのは残念なことであるが……なあ、パリシーナ」

「ユーカス様」

 そう言いながらユーカスは後ろに立つパリシーナに顔をむけた。パリシーナが静かな声でそんなユーカスをたしなめる。

「はっはっは、妬くなパリシーナ。戯れよ。お前の美しさに勝るものなどこの世にあろうものか」

 ユーカスは妻の手を握ってなだめながら一笑すると、顔を前にむき直した。

「しかし、他のものどもは……」

 そしてマルティンの後ろに並ぶジャミル達の顔を一巡に眺めて、鼻で笑った。

「薄汚い鼠どもだな。このような鼠に悩まされるとは、ワザン閣下もおいたわしいことだ」

 そう首を振りながら嘆いたユーカスは、一息ついてマルティンに視線を合わせると、表情を消して端的に訊いた。

「で、何しに来た?」

 マルティンがぐっと喉を唸らせる。ユーカスが返事を促すように無言で顎をしゃくる。

「……先立ってユーカス様へお送りいたしました書状にてお伝えいたしました通り、和平の使者として参りました」

「ほう」

 ユーカスのしらじらしい相槌を受けながらマルティンが続ける。

「つきましては王国筆頭宮廷術士ワザン・オイガン閣下の名代、モアレス子爵カザル・ドルトイル殿を公証人として和平の交渉を……」

「こちらはそう申しているが、どうのなのだね、カザル殿?」

 そこでマルティンの言葉を遮り、ユーカスは視線を横に移した。マルティンがそちらに顔をむける。

「こ、こちらがカザル殿? なぜこのような……」

 後ろ手を縛られたカザルが兵士に引っ立てられて前へと突き出された。よろけたカザルは顔から地面に倒れる。その様子を笑いながらユーカスはマルティンに告げた。

「これが答えであるということだよ、マルティン殿」

 マルティンの目が見開かれる。それを嘲笑いながらユーカスが立ち上がった。

「この鼠どもの身柄はありがたく頂いておこう。国王陛下には『フォルクネはジャミルを匿い叛意を示したが、我がランカー家の懲罰の軍の前に屈服し、その愚挙を悔い改めた』と報じ奉ろう」

 ユーカスがマルティンの強張る顔を愉悦の目で見下す。

「どうした? 慈悲を請うなら今だぞ? 地面を舐めて今までの非礼を詫びれば、国王陛下に願い申し上げ、貴様らが生き延びるのに必要な豚小屋ぐらいは用意してやれるぞ? どうした、マルティン殿。豚は土を舐めて生きるものだぞ――」

 マルティンが顔を伏せる。ユーカスはマルティンの側へと足を進め、その伏した頭に顔を近づけて迫った。

「――さあ!」

「――今だ!」

 自分の声と重なって上がったその声に、ユーカスが顔を上げた瞬間だった。


「ふははは! やっと、出番か!」


 その高らかな女の声とともに、マルティンとジャミルの間の虚空から文字の帯が溢れ出た。

「なっ?」

 ――演算。その認識が追いつく間もなく、演算の文字列がつむじ風に巻き上がった木の葉のように回転しながら(ほど)け飛び、その影から幾数もの人影が姿を現した。

「ユーカス・ランカー!」

 現れたのは武装した男達。その一人がユーカスに掴みかかる。しかし、このときのユーカスにはそんな男の姿など目に映ってはいなかった。

 ユーカスの目に映っていたものは、金色の髪だった。それは、あの晩秋の斜陽に焼ける黄金の麦穂のような髪。その髪を猛く夜天を焦がす黄金の火焔(ほむら)のように翻し、その足に凍夜の月光の如き白く澄明な演算の帯をまとって、その女は中空に現れた。

(――ああ)

 そして、夜闇に閉じた氷雪の大地に慈悲深き払暁の光を与える太陽のように、その黄金の瞳がユーカスを見下ろして――笑った。

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