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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
66/73

「己を知らずに生きるもの」1

この世でもっとも幸福なるは

己を知らずに生きれるものだ


「アルキビアデスの箴言集」より






 広場を見下ろす望台の上に立ったジャミルは、川面に反射する陽の光に目を細めながら、河岸の広場で舟の準備をする男達の喧騒を眺めていた。

(打つ手は打ったが……)

 忙しなく立ち回る男達の腰には剣が提げられている。鎧や盾も不揃いながら身につけているこれらの男達が兵士であるということは一目に明らかであった。

(俺もだいぶ大胆になったもんだな)

 目線を上げればカラール河の対岸が見えた。なだらかな丘陵があり、その裾あたりからカラール河と平行に黒い線が走っている。土塁と壕である。延々と横たわる土塁には等間隔に(やぐら)が築かれ、その頂には緑地の旒旗(りゅうき)が翻っていた。ランカー家の旒旗である。

 ランカー家の軍勢はこのような土塁をフォルクネの全周に張り巡らせていた。フォルクネを封鎖し兵糧攻めにするためだ。しかし土塁の建築はまだ完全に終わってはいないらしく、所々に人が集まり作業をしている姿が散見された。

(包囲が完成する前に動きたいが……。まあ、それも相手の出方次第か)

 対岸の丘陵に目を移す。丘の上には大きな天幕が張られていた。黄縞模様が描かれた緑色の大天幕。ランカー家の本営である。ジャミルはそれを睨むように見据えた。

 そんなジャミルの視界に、先ほどからチラチラと動く金色のものがある。ぼそりとした声が聞こえた。

「ああ、なんて可哀想な私の髪……」

 ジャミルの横に立っているアシュリーが手に持った髪をジャミルの顔の前で揺らしているのだ。ジャミルはそれにずっと沈黙をもって応えていた。

「こんなに切られてしまって……」

 アシュリーが横で呟く。ジャミルは黙っている。

「これではお嫁にはもういけないわ……」

 アシュリーがため息をこぼす。ジャミルは黙っている。

「ああ、もうこうなったら、あなた様に責任を取って頂くしかありませんわ」

 アシュリーがジャミルの腕に取りすがる。ジャミルは黙っている。

「不束者ですが、よろしくお願いしますわ、旦那様」

 アシュリーが膝に手を合わせてペコリと頭を下げる。ジャミルは叫んだ。

「なんでそうなる!」

「私をいいように使った罰だ。痴れ者め。乙女の髪の代償は高いのだよ」

 顔を上げたアシュリーは、先ほどまでの丁寧な口調を一転して翻し、鼻をふんと鳴らしながら髪をかき上げた。金糸で織りなした綾絹のごとき金色の髪が艶やかに舞い上がる。しかしその髪は舞い続けることなくすぐに落ち着いた。アシュリーのあの腰まで伸びていた長い髪が、肩を過ぎた程度のところで切り揃えられていたからだ。

「髪についてはすまなかったと思っている。だが、貸しはまだ返してもらっていないはずだぞ、アシュリー?」

 深く息を吐きながらそう答えたジャミルに、アシュリーはその端正な顔を苦虫でも噛み潰したかのように歪めて、苛立たしげに腕を組んだ。

「貴様のような非道の男に借りを作るなど不覚の極みだ」

 そう吐き捨てるアシュリーに、ジャミルが諭すように言う。

「酒の貸しは重いものさ。誰も彼もそれで身を滅ぼす」

「それは持論か?」

「昔からの言い伝えだよ。偉大な人生の先輩が教えてくれたありがたい教訓さ」

 アシュリーを指差しジャミルがそう言うと、彼女の顔はますますに苦り切った。苦虫を噛み潰し過ぎて味もわからなくなったような顔である。

「皮肉屋め」

「それは誉め言葉として受け取っておくよ」

 アシュリーはジャミルの反応に業を煮やしたように肩をすくめると、視線を転じて対岸に広がるランカー家の陣営を見やった。

「それで偉大なる皮肉屋は、この哀れな乙女の髪を無駄にしないでくれるのかな?」

「うまくやるさ。なんのために自力で牢屋から出てきたと思ってる?」

 ジャミルがそう言いながら横目にアシュリーの顔を見ると、彼女は面白くなさそうに再び鼻を鳴らした。

「まだるっこしい手を打ちおって。私ならここから奴等を全滅させることも出来るというのに」

 そう言ってアシュリーが対岸の丘に向かって手をかざす。しかしジャミルは首を横に振った。

「それじゃあ俺の気が済まない。自分の知らないところで他人にいいように利用されるのはここまでさ。ご助力お願いするよ、アシュリー様」

 ジャミルは自力で牢屋を出た。それは幸運とジャミルの意志が合わさった結果だった。幸運とはジャミルが牢屋にローエンを呼び出したとき、彼が自分の上司でありフォルクネ市民議会の有力議員の一人、マルティン・マルコーをともなって現れたことである。そこでジャミルは彼に向かいこう告げた。

「あなた方が頼みとするカザルは、ひとつ大きな嘘をついております。彼はワザン・オイガンの名代などではありません」

 カザルの地位と立場。この街に彼が訪れるまでに想像される経緯の不自然さ。そしてこれらの疑念が真実であった場合にフォルクネが置かれる立場の危うさ。それらを理路整然と話すジャミルにマルティンの眉根が寄った。そこでジャミルは弁を止め、一呼吸を置いて頭を下げた。

「私の話した内容が嘘であるとお受け取りになられても構いません。しかしあなた方にそれを確かめるための術はない。あくまでカザルを頼みとすることも、ひとつの方策であるということには変わりはないでしょう――」

 そして頭を上げ、マルティンの目を見据えてこう言った。

「ですが、私にもあなた方を助ける方策があるのです。ひとつ秤に掛けて頂くだけの価値はあると思うのですが……」

 そしてジャミルは牢を出た。アシュリーの手を借りずに一人で。

「ご助力? 貸しを倍値に吊り上げておいてよく言うわい」

 アシュリーはそう言いながら再び髪をかき上げる。どうやら相当、根に持っているらしい。しかしそれはジャミルの“方策”に必要なものであった。こうした“助力”を得るためにもジャミルは一人で牢を出て、彼女に貸した借りを返させない必要があったのである。

「ああ、髪が軽いこと軽いこと」

 視線を逸らすことでアシュリーの嫌がらせをやり過ごす。そこでジャミルはこちらに向かって走ってくる人影に気がついた。背の高い兵士が息せき切らして望台へ上がる階段を駆けてくる。

「アシュリー様! 準備が整ったとローエン殿からの連絡です!」

 頬に残るニキビの痕に若者特有の情熱的な活力を感じさせる兵士だった。アシュリーに向かい両足を揃えた実直な敬礼をし、大声で報告をするこの若い兵士は、しかし隣に立つジャミルには一瞥もくれようとはしなかった。アシュリーが顔をしかめる。

「声をそんなに張り上げんとも聞こえるわ、足りない下僕め。それに私に向かって報告をしてどうする? 取り仕切るのはこいつだぞ」

「はっ、申し訳ございません、アシュリー様!」

 アシュリーが親指で指すままに身体を動かし、ジャミルに向き直ったこの兵士は姿勢を崩し、先ほどまでの情熱的な活力などどこへいったのか、やる気のなさそうに目を細め、口を面倒くさそうに開いた。

「準備が整ったそうですよ。下にローエンさんがいらっしゃいますんで、詳しくは直接聞いてきたらいかがですか?」

 おざなりにそう告げたこの兵士は、ジャミルが何かを言う前に、もう身体をアシュリーの方に向けていた。

「報告いたしました、アシュリー様!」

「よく言えたな、下僕。よし、頭をなでてやろう」

 足元に跪いた兵士の頭をなでるアシュリー。兵士は恍惚の表情を浮かべ、その瞳にはアシュリーしか映っていないようだった。ジャミルは頭痛を覚えながら、あえて何も言うことなく望台から下りていった。

(本当になんなんだ、こいつは……)

 アシュリーに再会すると、彼女に下僕がいた。名をシムスという。

「ありがたき幸せに存じます、アシュリー様!」

「おお、おお、喜べ。犬のようにな!」

 後ろから聴こえてくるそんなやり取りに、ジャミルは深いため息をつく。彼はアシュリーの完全な下僕であった。心酔していると言ってよい。ジャミルは彼と顔を合わせたとき、悪魔でも見るような目で睨まれた。彼はアシュリーの騎士であるようだった。麗しき姫君(アシュリー)に近づく悪魔(おとこ)はすべからく駆逐せねばならない。そのような覚悟が自分に向けられているとジャミルは感じていた。そして当然のごとくそれを楽しんで眺めるアシュリー。どこでどう拾ってきたのかは知らないが、本当になんなのだろうか、この男は。ジャミルのため息は深い。

(まあ、こいつのおかげでカザルの疑惑が裏付けられたのは思いがけない幸運だったけれども……)

 シムスはカザルの部下であった。カラの街でジャミルとも顔を合わせているという。言われれば見た覚えもあった気がする。彼はアシュリーの美貌に惑わされ、主人であるカザルを裏切ったのだった。

 シムスの証言はジャミルに利した。牢を出たジャミルはアシュリー、シムスとともに、市議会の議場に連れてこられた。ここでカザルについて問われたシムスはこう答えたのである。

「カザルがワザン閣下の名代であるという話は聞いておりません。私たちに知らされているのは、逃走中の偽王子ジャミルを捕えるためにここまで追いかけてきたということだけです。そして受けている命令は三つです。フォルクネ市に協力して市内に潜伏しているジャミルを捕縛をすることと、この街を内偵して内情をカザルに伝達すること。そしてアシュリー様の力についてこの街の人間に話さないようにすることです」

 これを聞いたフォルクネ議会の面々は一様にして渋面を浮かべた。彼らの一人が質問をする。

「三つ目の命令にはどういう意味があるのかね?」

「おそらく」

 割って入ったジャミルがアシュリーに合図を送る。アシュリーは気だるそうに腕を上げ、指で頭上に円を二周描いた。するとそこに回転する演算の輪が現れ、業火と氷雪の二重環を作りだした。内環の業火は轟音をたてて燃え盛るが、外環に吹き荒れる白銀の氷雪に遮られ、赤熱の色だけを黄金の輝きに変えて溢れさせる。熱を完全に抑え込んで周囲に被害を及ぼすことなく展開される、見事なまでの演算制御による炎と雪の競演に、フォルクネ議会の議員たちはそろって息をのんだ。その様子を見たジャミルがもう一度合図を送ると、この炎と雪の乱舞は一瞬にして雲散霧消した。

「このような力が街中で振るわれれば必ず混乱が発生します。彼女の力を知らずに手を出せば、そうなる可能性は高い。それがカザルの狙いであったのでしょう」

 フォルクネ市内に騒動を起こす。それは必ずランカー家に利する事態になる。この命令の意図が事実であるとすれば、カザルはランカー家側の人間であるということである。議員たちは互いに目配せをし合い一様にうなずくと、マルティン・マルコーが代表して口を開いた。

「それでジャミル殿。あなたの策というものをお聞かせ願いたい――」

 そしてフォルクネ議会はジャミルの策に乗ったのである。

「お兄ちゃん!」

 望台から下りると、ジャミルは自分に向かい駆けて来る少女の姿を見た。

「サラ!」

 両手を広げると、そこに少女が飛び込んでくる。頬にそばかすを散らした黒髪の少女――ジャミルの妹サラは、その大きな黒い瞳を涙で滲ませて、自分を抱きとめたジャミルの顔を見上げた。

「……よかった。お兄ちゃんが無事で……」

「悪かったな、サラ。心配をかけて」

 自分の胸に縋り泣くサラの頭を、ジャミルは優しくなでる。また自分が遠くに行ってしまうのではないかという不安。服を掴む力の強さにそれを感じたジャミルは、その背中を抱いて泣き続ける彼女の頭を何度も何度もなでた。

「妹をこんなに泣かせおって、この不孝者め」

「親父」

 顔を上げると、そこに義父ロベルトがいた。ロベルトは重そうに腰をさすりながらジャミルの顔を見ると、皺を深くして笑った。

「街の役人が訪ねてきたときは肝を冷やしたぞ。どうやったか知らんが、うまく話をつけたものだな」

「色々と幸運が重なってね。ああ、ベルナルドさんも。怪我は大丈夫ですか?」

 一足遅れにロベルトの後ろに現れたのは角張った顎に太い眉毛が印象的な男――エルナンの従騎士ベルナルドだった。ゆっくりとした足取りであったが、どうやら動ける程度には怪我も回復したらしい。

「寝てばかりもいられませんから。しかしこの状況、いったいどうなっているのです? 彼らは昨日までのお尋ね者の私に縄を掛けるどころか、怪我の手当までしてくださいました。いったい何が起きているので――ぐぅ!」

 周囲を見渡してそう訊ねるベルナルドの胸をロベルトが叩いた。傷を叩かれベルナルドが呻く。

「儂の息子がうまくやったに決まっておろうが、この唐変木め――」

「お父さん」

 サラがロベルトを睨み上げていた。娘の眼光に屈したか、ロベルトは慌てて目を逸らして咳を吐く。

「――こほん。だが、まだ窮地を脱した訳でもないのだろう? この慌ただしさ、こいつらこれから何をするつもりだ?」

「それについてなんだが――」

 ロベルトの問いに答えようとしたとき、ジャミルは後ろから肩を叩かれた。

「ジャミル殿、家族との再会の場所に失礼を致します」

「ローエンさん」

 振り返ると、そこにはジャミルが牢屋から自力で出る幸運を与えてくれた男――ローエンがいた。ローエンはその細面の顔に微笑を浮かべると、ジャミルの耳元に顔を近づけ、そっと耳打ちをした。

「先ほどユーカス・ランカーからの返書が届いたとの連絡がありました」

「それはつまり?」

 訊き返すジャミルに、ローエンは微笑を絶やさず答えた。

「準備が整いました。首尾はあなたの思惑通りに動いています」

 ジャミルはその言葉に力強くうなずいた。

「どういうことだ?」

 ロベルトが怪訝そうに訊いたが、ジャミルはそれに答えずサラの身体を離させて「少しだけ待っていてくれ」と言い残し、ローエンと連れだってその場を離れた。

「ユーカスの陣営では人の動きが慌ただしくなっております。諸陣に伝令も行き交っている模様です」

「効果覿面(てきめん)ですね。ユーカスの性格がよくわかる」

 川岸に近い場所で立ち止ると、二人は諸事の確認をし合った。

「――では出発は?」

「本日の正午過ぎの予定です。昼食のご用意を致します。それが済み次第に出発となります」

 そこまで話してローエンは少し考えるように押し黙ると、目線を横に動かした。

「……しかし、あの者たちも連れていくのですか? 危険ですよ?」

 その目線の先には、サラ達三人の姿があった。三人はこちらの様子を心配そうにじっと窺っている。

「ジャミル一味を捕えたということにでもした方が信憑性があるでしょう? それに失敗すれば元々に諸共です」

 ローエンは気遣わしげな表情を浮かべたが、ジャミルは遮るように片手を上げるだけだった。

(そう――諸共だ。ここで別れる訳にはいかない)

 ジャミルはカラール河の対岸の丘に見える大天幕を睨むように見据えた。

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