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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
65/73

「ジャミルの抵抗」7

(どういうことだ?)

 カザルはユーカスの幕営へと歩きながら、その疑問を頭の中で繰り返した。

 フォルクネ市内に送り込んだ兵士からの報告によると、昨夜フォルクネ市がジャミルの捕縛に成功したという。それはカザルの予想に反する展開だった。

(ありえん)

 考えれば考えるほどにカザルの心中に疑問が渦巻く。百歩譲ってジャミルの捕縛がなされたとしても、ある一点、そこだけは絶対的に想像できない、それをなし得る者がいるのであれば自分だけであると確信していた出来事がこの報告に含まれていた。それがカザルの疑念を増幅させる。

(あの女が負けるなど、そのようなことがありえるのか?)

 あの金色の魔女が倒されたという報告。それはありえない出来事としてカザルの心中で今朝から幾百回も繰り返された疑問であった。だが報告書にはこの情報を疑うことのできない証拠が添えられていた。

(しかし、あの金髪は――)

 金色の髪の房。朝焼けを照り返す水面(みなも)のきらめきのように、見事なまでの光沢を放つ艶やかな髪の房が報告書を入れた筒に同封されていた。これほどの美しい髪を持つ人間は、確かにあの女以外にはいないと断言できるものであった。

「――信じざるを得ない……はずなのだ」

 自分を信じさせるように声に出して呟く。だが、カザルが身をもって体験したあの魔女の持つ圧倒的な力と恐怖は、しこりとなってその事実を飲み込むことを拒絶させていた。

「……ふん」

 カザルの足が止まる。見上げる先に周囲と比べて一際大きい天幕があった。幾本もの黄色の縦縞の線が描かれた緑色の大天幕。その頂きに翻るのは緑地に黄色い雌獅子の紋章が描かれた旒旗だった。ユーカス・ランカーの本営である。天幕を見上げるカザルの顔が歪む。

(今はそれよりも、あのユーカスの若造がなんの用でこの私を呼びつけたか、だな)

 ユーカスのように傲慢で損得に敏感な男が急に人を呼びつけるようなときは、だいたいが悪い報せであることをカザルは経験的に知っていた。なによりユーカスは自分のような成り上がりものに嫌悪感を持っている。そのことを知っているカザルは、なにかよからぬことが待っているであろうことに確信すら感じていた。

「貴様がカザルか? 一人か?」

 カザルが天幕に近づくと、入口の前にいた警護の兵がカザルを呼び止めた。兵は頭も下げず、不躾な態度でカザルを見下す。

「そうだが……、客人に対して一礼もないのがユーカス殿の兵の礼儀かな」

 横目に睨み返すカザルだったが、兵は態度をあらためるどころかその目に侮蔑の色を見せて笑った。

「ははは、ユーカス様は貴様を客人であるなどと一度も思ったことはないぞ。この不届きな曲者め!」

 兵が手を上げる。すると周囲にいた他の兵たちが集まり、カザルの両脇を押さえた。

「なにをする!」

 後ろ手に縄で縛られ、腰の剣を奪われる。兵がカザルの髪を掴み上げ顔を上げさせる。

「聡明なるユーカス様はすでに貴様の悪行をご存知だ。弁明ならユーカス様に直接するのだな」

「悪行?」

「とぼけるな! 貴様が我々の味方面(みかたづら)をしながら、裏でフォルクネ市に通じていることを知らぬとでも思ったか!」

 兵はカザルの顔に唾を吐きかけると、投げ捨てるようにその髪から手を離した。ひどく屈辱的な扱いである。しかしこうした展開も予想していたカザルはまったく冷静だった。

(なるほど、ユーカスの“おつむ”では激昂もするというものだな。ウルバンに“備え”をさせてきて正解だったわい。それに……これは武器に見えなんだか手元に残っておるしな)

 カザルの指が後ろ腰に携えた指揮棒に触れる。その感触にカザルは目を細める。

(さて、あとはどこまでバレているか、だな。弁明ができるというならしてみるか)

 従順を装いカザルは兵に引かれ天幕の内へと連れて行かれる。

「ユーカス様。カザルを連れてまいりました」

 天幕に入ったカザルは、その内装の豪華さに目を見張った。地面に敷かれた敷物は、コルディの氷海のむこうに棲むというグンダと呼ばれる大熊の毛皮であり、天幕の内側を仕切る衝立を飾るのは、その光沢からおそらく絹糸をふんだんに使っているだろう色彩鮮やかなタペストリーである。燭台にいたっては、すべてが灯火をより美しく輝かすために金縁の細工をした銀の燭台であった。そしてこの天幕の中央に、南海で産するという高価な虹貝の螺鈿細工を施した瀟洒な床几(しょうぎ)に足を組んで座る、これらすべての主であるユーカス・ランカーの姿があった。

(……強行策に出るには人が多いな)

 カザルは天幕の中にいる人間の身なりと位置関係を素早く確認する。ユーカスの左右には十人ほどの人間が近侍しており、装備からして術士が数名。ランカー家の重臣たちであろう。そしてユーカスの妻パリシーナの姿もその傍らにあった。

(しかし逆に外堀を埋めるには有利とも言えるな。さて、どう出るか……)

 冷静に周囲を観察しながら天幕の中を進むカザル。ユーカスより五ムルーナほど手前まで引き立てられると、そこで足を止めるよう兵に身体を押さえられる。

「よろしい。そこに跪かせろ」

 ユーカスはカザルの姿を一瞥して兵にそう命じた。背中と頭を押さえつけられたカザルの膝が屈するさまを見て、ユーカスのその端正な顔に暗い笑みが浮かぶ。

「フォルクネ市がジャミルを捕まえたそうだな、カザル」

 ユーカスの言葉にカザルの眉根が動く。最新の情報である。どこから情報を手に入れたのか、カザルの配下でもこれを知っているのは副官のウルバンだけである。

(ウルバンも馬鹿ではない。ユーカスに取り入る無意味さは知っているはずだ。情報の漏洩……ということではなさそうだな)

 カザルの沈黙に機嫌よく笑みを浮かべたユーカスは、組んだ足を外し床几から立ち上がると、近侍する書記官と思しき身なりの初老の男から一枚の書状を奪うようにして掴み取る。

「もちろん知っておるよな? 知らぬはずがない。このユーカスをたばかって敵に通じていた貴様のような犬畜生にも劣る卑俗の輩ならばな!」

 そして手にした書状を開き、カザルの眼前に突きつけた。

「フォルクネ議会の豚どもからこんな書状が来たぞ」

 書状に目を走らせたカザルは思わず唸り声をくぐもらせた。それはジャミル引渡しについての書状であった。そこにはこう書かれていた。


『畏れ多くも先君の遺児を騙り、反乱の兵を率いて王国の秩序に反抗するという暴挙を犯した偽王子ジャミルの身柄を我々は拘束することに成功した。本書状はその身柄を貴ユーカス・ランカー殿に引き渡すことにより、偽王子ジャミルを隠匿保護し王国への叛意を抱いているという我々にかけられた嫌疑の潔白を証明し、この戦争における両者の誤解を正し恒久なる和平を実現することを求めるものである。しかして交渉においては常に第三者による公証人を置くことが、公正なる交渉とその結果の履行において欠くべからざるものとして求められるものである。ついては本交渉の公証人として、我々は貴軍の陣営に滞在されている王国筆頭宮廷術士ワザン・オイガン閣下の名代、モアレス子爵カザル・ドルトイル殿に依頼することを願い出る。これを容認されることは互いに王国への忠誠を果たすものであると信ずる。貴ユーカス・ランカー殿の英断を待つ』


 事態は予想以上の速度で動いていた。ジャミルの身柄を拘束したフォルクネ市は、先にした約束の通り、その仲裁の役をカザルに求めてきていた。しかしそれは市内に送り込んだカザルの配下を通じてカザル本人に頼むものではなく、ユーカスに直接、(おおやけ)の場での仲裁者としてカザルを指名することを求めるものであったのである。これはカザルにとって完全に想定外な展開であった。ユーカスがカザルとフォルクネ市が通じていることを知ったのは、おそらくこの書状によってのことだろう。不意に知り得た自分をないがしろにする動きの存在に、狭小なユーカスは激昂したのだ。

(この様子なら、私が王使を騙っているところまでは知らぬ様子だな……。これならば裏からいかようにでも打つ手はあったものを。フォルクネ議会の連中はなにを考えているのだ?)

 フォルクネ市がカザルを水面下での交渉の窓口として仲裁の協力を依頼していれば、パリシーナなどの“話のわかる”人間を相手にユーカスの外堀を埋めて、交渉を進めることも可能であった。なぜならカザルは“王使”であるからだ。ユーカスのように感情で動く人間でなければそのことが絶対的な意味を持って相手の耳を傾けさせる。しかしこの状況下では、もはやカザルが交渉の主導権を水面下で握るなどということはまったくの不可能事であった。ユーカスの感情的な発言を公の場で諌めることは主君に恥をかかせることになり、いかに良識ある人間であっても家臣の立場では表立って咎めにくい。ましてやユーカスが交渉相手が見ている公の場で、自分の一度した発言を簡単に撤回するような人間であるとは到底思えない。そのことを知らないフォルクネ市ではないはずである。だからカザルの目にはこのフォルクネ市の動きは、不可解極まりない意図不明の行動にしか見えなかった。

「せっかくの申し出であるから了承してやったぞ、カザル殿。今からフォルクネの豚どもが、ジャミルの身柄を持ってこちらにやってくる。さて、どのように公証人としての役を果たしてくれるのかな? 楽しみにしているぞ、カザル殿!」

 傲然と勝ち誇ったかのようにカザルを見下ろすユーカス。カザルは頭を下げてうなだれたふりをしながら、目まぐるしく思考を回転させていた。

(まずは身の危険は薄いな。こちらが偽物の王使であるということがバレなければ、よほどユーカスを挑発しない限り殺されることはないだろう……)

 パリシーナの様子をちらと見る。表情に変化はないが他のものたちと違い、目の色に侮蔑がない。この拘束がユーカスの気を晴らすための一時的なものであることをカザルは確信する。王使を殺したとあればそれこそ絶対的な醜聞である。それがわからない女ではない。カザルはひとまずに安堵する。

(……しかし、なにかがおかしい)

 どうしようもなく違和感がある。今朝からの一連の展開に潜むしこり。それがカザルの思考の回転に幾度となく引っかかってくる。それは、なにか自分を絡め取ろうとするものの存在の感触だった。自分の関知し得ないところでなにかが動いている。その感触がカザルの背筋を冷たく這い登る。その感触が恐怖に似たものであることに気づいたカザルは、不快感にその顔を歪めた。不確実性。それは恐怖の源泉だった。

「ユーカス様、ご報告申し上げます!」

 背後からの声。カザルが振りむくと、伝令と思しき兵が敬礼をしつつユーカスに報告を告げていた。

「フォルクネ市の使節団が到着いたしました!」

「そうか!」

 嬉々としたユーカスの声。カザルは腹を据え、事態の展開を見極めることに決めた。カザルの指が後ろ腰に差された指揮棒の柄に触れる。その感触の確かさにカザルのまなざしは不屈の色を宿した。


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