「ジャミルの抵抗」5
「誰かそこにいるのか!」
シムスの背後に流れる不自然なエーテルの流れをその目に捉えたモルガンは、一声とともに腰に携えたナイフを投げ放った。
ナイフはシムスの横を飛び抜け虚空を裂く。その虚空から忽然として現れたものにモルガンは目を見張った。
「ほう――」
暗闇から溢れ出すように金色の髪が翻った。壁に当たったナイフが乾いた音を立て床に落ちる。その音とともに漏れ聞こえたのは、鈴の音よりも涼やかな女の声。
「気づくとはやるではないか」
そしてこちらへと振り向く。流れるように揺れ動く金色の髪の隙間から、磨き抜かれた黄玉よりも鮮やかな黄金の輝きを放つ二つの眼が見えた。
その眼は細く柔らかに緩み、そしてモルガンを見て笑う。
見る者の背筋を震わすほどに美しくも冷ややかな、こちらを見下す金色の微笑。
「金髪金目の女――!」
その姿を認めたモルガンは女の想像以上の美しさに一瞬息を飲んだが、その驚きもすぐさまに振り払って腰に提げた長剣を引き抜いた。
(ギルの言っていたことは本当だったか――)
金色の女術士は姿を消すことができる。その情報をモルガンが知ったのは、つい先刻のことである。
モルガンは前から、カザルがジャミル捜索のために派遣した兵士たちの挙動を不審に思っていた。特に彼らの中でもギルの怯え方は明らかにおかしかった。常にそわそわと何かを警戒するように落ち着かず、ジャミルを捕えた際も何かから逃れるようにその場を離れたがった。そして先触れの兵士とともに市庁舎に先に戻っていたギルは、ジャミルを連れたモルガンたちの一行の到着を見ると、やはり何かを恐れる様子で「もう用が済んだのだから戻ってよろしいですか?」とモルガンに告げ、すぐに自分の宿舎へと帰ろうとしたのである。
この男を怯えさせる原因といえば、例の手配書に記載されている金髪金目の女術士のことであろう。しかし、何故これほどまでに怯えるのか。何かを隠しているという直感が、立ち去ろうとするこの男の肩をモルガンに掴ませた。
「あ、あの女は姿を消すことができるのです。突然に何もないところから姿を現したと、そう、仲間が言っておりました――」
強く問い詰めるモルガンに、ギルは幾ばくかの逡巡とともにそう答えた。この情報が事実であれば、現状の警備が不備であることは誰にでもわかることである。姿を消せれば建物の中に忍び込むことなど、どのようにでもできるのだから。
何故こんな重要な情報を隠していたのか疑問であり、ギルの顔色から隠していることはこれだけではないとモルガンは感じたが、対応の時間は少なかった。すでにその女術士が市庁舎の中に潜入しているかもしれない。モルガンはギルを捨て置き、すぐさま地下牢の警備へとむかった。
(しかし、本当に姿を消すことができるとは――)
そのようなエーテル技術の存在をモルガンは知らなかった。しかし、理屈はわからなくても姿を消せるということは何かしらのエーテル技術を駆使していることは明らかである。ならば、エーテルの流れに不自然な動きがないかを見ればその接近を察知することができるはず。そしてこれができるのはこの場では術士である自分だけである。そう判断したモルガンは、一箇所しかない地下牢の入口を自ら見張ることにしたのだった。
そして女術士はやってきた。まさかシムスと一緒にやってくるとは予想外であったが、シムスの態度の不自然さに警戒を強くしてエーテルの動きに目を凝らしたところ、エーテルの動きが見えない空間がそこにあった。どんな空間でも空気の流れを示すエーテルの文字列がそこに浮かぶというのに、何も見えない空間。直感がモルガンにナイフを投げさせた。
(かなりの手練と見た――しかし!)
そして姿を現したこの金髪金目の女術士にむかい、モルガンは腰の剣を抜き放ち、間髪いれずに斬りかかった。
「やるか」
女術士が笑う。モルガンの眼前に演算が展開された。恐ろしく高速でいて、複雑怪奇な演算。このような複雑な術式をこれほどまでの速度で組み上げる術士など、モルガンは未だかつて見たことがなかった。しかしモルガンは慌てなかった。敵が術士であるならば、確実なる勝算がモルガンの胸の内にあったからである。
「させるか!」
モルガンが吠えた。そして同時にその左手に演算の光が宿り、瞬時に爆散した。
「なに?」
女術士の疑問の声を飲み込んで、凄まじい異音が男の左手から鳴り響いた。
金属同士を激しく擦り合わせたかのような、肌を粟立たせ、耳を突き抉る強烈な異音。
この全身の神経を直接に逆撫でるかのような恐ろしいまでの不快音に、女術士は顔を歪めて耳を押さえ、その演算は霧散した。
「もらった!」
対するモルガンはこの不快感を無理矢理に押さえ込み、女術士に剣が届く間合いへと一気に踏み込んだ。
エーテル技術の一番の弱点は演算の連続性である。絶えず演算を連続させなければ、その効果を維持することができない。つまり戦闘において相手のエーテル技術を破る最適の方法は、相手に演算を行うだけの余裕を与えずに攻撃し、その集中を妨害することである。
モルガンは対術士戦に特化してその戦法を編み出していた。それがどんな相手の演算よりも速く、この不快音を発する“破術”の演算を発動させることであった。
延々と反復して修練を積んだ演算は、一呼吸の間もなくその効果を発動できるまでに練り上げられ、同時に人の思考を一瞬で断ち切るほどに強烈なこの不快音への耐性を、この修練を通じてモルガンに身に付けさせていた。
この“破術”の演算はその不快音で相手の動きを止める効果もある。相手の演算を破り、動きを止め、その隙を衝いて攻撃する。
これが数々の術士を破り恐れられた、モルガンの“術殺し”である。
(どれほどの術士であろうと、こうなれば――)
モルガンの放った剣閃は、鋭く確実に女術士の身体へと必殺の弧を描いた。