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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
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「ジャミルの抵抗」4

「ほれ、地下牢だ。早く案内せい」

「は、はい」

 アシュリーはシムスの尻を蹴飛ばすと、その腕を掴んで早く進むように急き立てた。

 その視界は暗闇である。透過の演算を使用しているアシュリーの目には、わずかな光源も映ってはいない。

(ふむ。よく響くな。やはり反響の演算は使えなかったか)

 完全なる暗闇の中に足音だけが聞こえる。狭い空間らしく足音は反響と交わり、幾重にも音を響かせた。しかし、この足音は前を歩くシムスのものひとつだけであった。アシュリーは自分の足に遮音の演算をまとわせ、透過の演算と合わせて完全にその気配を消していた。

(しかし、ちょうどいいところに面白い奴がいたものだ)

 手に男の腕の感触がある。若い男のしなやかな筋肉の感触。そこに伝うこわばりの手触りにアシュリーは笑みをこぼす。

(まさかこんなところで下僕が手に入るとは思わなんだ)

 それはまったく予想外な出来事であり、同時にアシュリーにとって最も都合の良い状況だった。


「――わ、私を従者にしてください!」


「はぁ?」


 地下牢の場所を聞き出そうと取り押さえた兵士から反対にそう頼み込まれたアシュリーは、あまりにも唐突なこの願い出に、目を白黒としばたたかせるしかなかった。

「な、なんだお前は?」

 思わずそう訊ねてしまう。すると頭を地面に付けて跪いていたこの兵士は、パッと顔を上げて興奮気味の口調でまくし立てた。

「わ、私、シムスと申します! か、カラの街であなたと道でぶつかった者です! あ、アシュリーさんとまたお会いできて光栄です!」

 さらにあれやこれやと興奮をぶつけるように取り留めもなく話し続ける。どうやらこのシムスという男は、アシュリーがカラの街に姿を消して空から忍び込もうとしたときに、不手際にも着地の際にぶつかってしまった兵士その人であるようだった。言われれば、この赤みを帯びた頬にニキビの痕を残す青年の顔には見覚えがないでもない。ということは、このシムスという男は、カラの街でアシュリーと戦った敵の一人であったということである。

「わ、私たちの部隊はあなたたちを追ってここまで来ていて――」

 アシュリーと戦った敵――つまり彼の所属する部隊は、カラでの戦闘でジャミルとアシュリーに逃げ切られたあとも、二人を追ってこのフォルクネにまでやって来たという。

(ジャミルへの手配が急に始まったとか、ベルなんとかというマユゲ男が言っておったが、それはこいつらがこの街に来たためか。……だからあのとき皆殺しにしておけばよかったのに、あの痴れ者め――)

 事態の背景を理解したアシュリーが苦い顔を浮かべる。するとシムスは機嫌を損ねたとでも思ったか、慌てたように首を横に振った。

「で、ですが私は違うのです。わ、私は、あなたに、アシュリーさんにもう一度お会いしたくて、ここに――」

 そう言って哀願するようにアシュリーの顔を上目遣いに窺ってくる。恐れと怯え。畏敬と崇拝。瞳は震えながらも、しかし視線は動かずにまっすぐにこちらを見ている。その不安と期待が入り混じった瞳の色から、アシュリーはこのシムスという男が何を求めてここにいるのか、大体の事情を飲み込んだ。

「――ふむ、なるほどな。つまり、お前は私のこの世を超絶するこの力と」

 腕を組んでシムスを見下ろしていたアシュリーは、片手を上げて自らの背後に展開する遮光と遮音の演算を指し示し、

「この世を驚倒させるこの美貌に心服して、私に会うためにこの街にやって来たという訳か」

 そして濡れた銀杯のようにやわらかくも冷たい線を描く自らの頬に指を這わせて、艶やかに微笑んだ。

「は、はい! カラであなたの、そ、その絶対的な強さと、完璧なまでの美しさに魅了され、そ、その虜となりました! あ、あなたにもう一度お会いするためにここまでやって来たのです!」

 つまり“惚れた”ということである。アシュリーは声を出して笑った。

「ははっ、それは殊勝だな」

 さらに詳しく聞けば、シムスはフォルクネ市が行うジャミル捜索に協力するために、部隊の隊長であるカザルという男の指示で派遣されてきたという。ジャミルの顔を見分するためである。この任務を多くのものは忌避した。アシュリーの恐ろしさを皆、眼前にしていたからである。だが、その中でシムスはこの派遣に自ら志願した。ジャミルの側にはアシュリーがいる。つまりジャミルを捜すことはアシュリーと再会する最上の方法であった。

「是非この私を、あ、あなたの側仕えとして置いてください!」

 そして再び地面に頭を付けてシムスが願い出る。

「かわいいことを言う」

 最初こそ突然の申し出に困惑したアシュリーだったが、このときには完全に普段の調子を取り戻していた。そしてこのシムスという男がどういう価値を持っているか冷静に判断していた。

「でだ。お前はジャミルが今どこにいるか知っているのだな?」

 この男は利用できる。まずなによりジャミルの所在を知っていた。

「は、はい。それをお知らせしようと思い、ジャミルを捕まえた家まで戻ろうとしていたところなのです」

「ほう。どうして?」

「ジャミルを捕まえたときアシュリーさんがいませんでした。きっと別の場所にいたのかと。ですからあの家に戻ればアシュリーさんと連絡が取れると思いまして……」

 それなりに頭も回るらしい。観察力もまあまあのようだ。

 しかし、アシュリーにとってはそれらの要素よりも、この男を気に入る重要な点があった。

「――さて、従者ということは……下僕だな。よろしい」

 その言葉にはっと目を輝かせるシムス。アシュリーはそんな彼を見下ろしながら、一歩前へ出る。

「では、その証をこの足に立ててもらおうか」

 アシュリーはそう言うと、シムスの顎を靴先で押し上げた。シムスが上目にアシュリーの顔を窺う。その目を涼やかに見下ろして、促すように一諾を与えると、シムスは恐る恐るといった手つきでアシュリーの靴を脱がし始めた。月明かりを浴びて、磨き抜かれた大理石のように滑らかな色合いで光る白い足があらわになる。シムスはこの足を両手で支え、その甲にやわらかく唇を触れた。


  ――わたしは跪き

  あなたに請い願うことでしょう

  優しきあなたは無言でうなずき

  その白き御足(みあし)を差し出してくれることでしょう――


 自らの足に接吻するシムスを満足げに見下ろしながら、アシュリーはかつての友人が詠んだその詩を思い出していた。それは愛する女性の前に跪く、男性の心を詠んだ恋愛詩であった。


  ――さあ、その聖なる御足に接吻を――


(ふふん……やはりこうでなくてはな)

 服従の誓い。足に触れる唇の感触に自尊心を満たしながら、アシュリーは同じ行為をするジャミルの姿を想像していた。

(本来ならこの私に魅了されん方がおかしいのだ。なのにあいつときたら生意気ばかり。ふふふ……いつかこいつと同じように私の足を舐めさせてやる)

 そんな野望を胸に秘めつつ、こうして思いがけずに下僕を手に入れたアシュリーは、さっそくこの下僕を利用して市庁舎への潜入を図った。つまり、透過の演算と遮音の演算で姿と足音を消しつつ、目が見えないという欠点をシムスの身体に掴まって歩くことで補い、市庁舎の地下牢に囚われているというジャミルの元へ案内させたのである。これならば誰にも気づかれることなく“穏便に”ジャミルの元へ行くことができる。

「あ、アシュリー様。ここから階段ですので、気をつけて……」

 シムスが小声で注意する。言われてアシュリーは、足元を下方へ流れていく風の動きに気づいた。下に降りる階段があるようだ。シムスの腕に手を添わせ、慎重に一段、一段と降りていく。地下に降りていくにつれて、空気はひんやりとした冷気を強めていく。

「も、もうすぐで階段が終わります……」

 目の見えないアシュリーを案じてか、シムスが呟くように言う。だが、その声は思いのほかによく響いた。

「誰だ?」

 誰何(すいか)の声。奥の方から聞こえてきたその男の声は重く、鋭い。アシュリーは耳をそばだてて、この突然に現れた男の動きに注意を払う。

「え、あ、あなたは、モルガンさん?」

 シムスが驚きの声を上げる。どうやら知っている顔らしい。しかし手に伝わる腕の感触は一層に固くこわばった。警戒の反応。

「うん? お前は確かカザルの部下のシムスだったな。何故こんなところにいる?」

「あ、や、その……」

 シムスのうろたえにアシュリーは唇を噛んだ。知り合いではあるが、あまり好意的な相手ではないらしい。

(それにしても、このどもりはないだろうが……使えん下僕め)

 そう内心に毒づいていると、こちらに近づく足音が聞こえた。

「怪しいな。疑われるような行動は慎んだ方がよろしいぞ」

 案の定に怪しまれた。シムスは身じろぐばかりで有効な返事ができないでいる。ジャミルのいる地下牢はもうすぐそこであるというのに。アシュリーは舌を打つ。

(こうなれば“穏便に”素早く片付けてやるしかないな――)

 そう即決してシムスの腕から手を離し、演算の術式を組もうとしたときである。


「誰かそこにいるのか!」


 怒声――そして殺気。

 その殺気に反応し、咄嗟に演算を解除して身をかわしたアシュリーは、顔の脇を横切る白刃のきらめきを見た。

「ほう――」

 投げナイフが壁に弾かれ、乾いた音を立てて床に落ちる。アシュリーはナイフの飛んできた方向を見やった。

「気づくとはやるではないか」

 燭台の灯りの陰影に浮かぶ男の影が見えた。上背のある大柄の男。男は顔に驚きを浮かべ、同時に腰に提げた鞘から白く光る剣を抜く。

「金髪金目の女――!」

 そして問答無用とアシュリーに斬りかかった。

「やるか」

 アシュリーは冷笑を浮かべ、素早く演算の術式を組む。圧倒的に高速なその術式構築は、間合いが詰まる前にアシュリーの演算を組み上げる――はずだった。


「させるか!」


 その声とともに男の左手に展開された演算が発動した。

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