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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
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「ジャミルの抵抗」2

 高窓から差し込む細い月光を見つめながら、ジャミルは独り黙考していた。

 地下牢である。

 市庁舎に着いたジャミルは、意外なことに尋問などを受けなかった。市庁舎の入口で待ち構えていた市議の面々はジャミルの顔を一瞥しただけですぐに奥へと去っていった。彼らにとってはジャミルという人物の身柄を確保した事実こそが重要であり、ジャミル本人に尋ねるべき話などないと思っているのであろう。そしてジャミルはこの地下牢へと入れられたのである。

 粗末な寝台と蝋燭を燃やす燭台、用を足すための壺を除けば、これといった調度品もない三ムルーナ四方ほどの狭い牢である。天井だけは高く、採光と換気のためであろう幅十ムンス(一ムンス=約一センチ)ほどの細長い窓が五ムルーナほどの高さにある。とても脱獄に使えるような窓ではない。扉は頑丈そうな鉄枠にはめられた分厚い木戸であり、牢としてはかなり立派なものであるといえた。

 白く照らされた石床は高窓から降りてくる夜気に冷え、肌寒い湿り気を帯びている。ジャミルは寝台に備えられていた毛並みの粗く薄い毛布で身をくるみながら、ただ月の明かりを一点に見つめて思考していた。

(……おかしい)

 ジャミルは地下牢に入れられる前にローエンから聞き出した話を思い返していた。それはフォルクネ市が自分を捜索し始めた経緯についてである。

 フォルクネ市がジャミルを匿い反乱を企てている。それがランカー家の主張であった。これが事実無根の主張であることは、当事者とされたジャミル自身が最もよく知っていることである。しかし、これが根拠のない主張であるとフォルクネ市が証明することは困難であった。「ない」ことを証明することほど難しいことはないのである。ここでフォルクネ市が自身の身の潔白を明らかにするための証拠として、ジャミルの身柄を押さえようと動いたことは理解できる。

 だが、何故フォルクネ市はジャミルがこの街にいることを知っていたのか。その捜索は闇雲なものではなく、市内にジャミルがいるという確信をもとに範囲を絞って行われたもののように思われた。そう感じられるほどに捜索の手は早く正確なものだった。そのことに関してローエンはこう言っていた。

「我々があなたを匿っているという主張をランカー家がしてきてすぐに、ウルバンという男がこの街にやってきました。この男はワザン・オイガン率いる王軍から派遣されてきたモアレス子爵カザルの家臣を名乗り、我々にこの街に潜伏しているあなたの引渡しを要求してきたのです」

 カザル。その名前には覚えがあった。確かカラの街に駐屯していた王軍の部隊長の名前である。カラの街の広場で敵に囲まれたときに、こちらに投降を呼ばわった背の低い男がいた。指揮官らしき質のいい軍装に身を包んでいたところから察すると、おそらくあの男がカザルであろう。この家臣のウルバンという男がフォルクネ市内にジャミルが潜入していることを教え、その捜索のためにジャミルの顔を知る兵士三名を協力者として置いていったのだという。

 カザルはこのジャミル捜索に関してフォルクネ市に取引を持ちかけてきていた。ローエンはこう続けた。

「そして我々があなたを引渡せば、ワザン・オイガンの名代としてその身の潔白を保証し、ランカー家との仲裁を行うことを約束したのです」

 これが市内のジャミル捜索が急に始まった最大の理由であった。現状のフォルクネ市にはこれ以外に状況打開の策がなかったのだ。

 雲がよぎったのか月の明かりが一瞬陰り、暗闇がより深く牢に満ちた。燭台に揺れる炎が一点の灯りとなって暗闇に残る。そしてジャミルの思考にも一点の疑問がこの細火のように揺らいでいた。

(……おかしい)

 それは何度もローエンの話を整理し考えれば考えるほどに、疑問として明瞭な形となって浮かび上がった。

(何故カザルなんだ?)

 その疑問の一点がワザン・オイガンの名代を名乗るカザルの存在である。

(ワザンのような大貴族が、カラぐらいの小都市に派遣される駐屯部隊の隊長に過ぎないカザルなんて男を、自分の名代に指名なんかするのか?)

 カザルの地位は決して高くなく、ワザンに重く用いられている訳でもない。ジャミル自身その名前はカラの街で初めて聞いた名前であるし、カザルがカラの街で従事していた仕事を考えても、それはほぼ確実な事実と考えて支障はないはずである。

 それに仮にカザルが本当にワザンからの使者であったとしても疑問が残るのだ。

(どう考えても時間が合わない)

 それは時間だった。

(俺たちはカラの街から四日でここまで来た。ウルバンという男がこの街を訪れたのはその三日後。一週間でワザンのいる王軍の本隊と連絡を取って命令を受けてから、あのアシュリーの塞いだ道を越えてここまでやって来られるものなのか?)

 これは最大の疑問だった。自分たちはかなり急ぎ足にここまで来たのだ。昼夜問わず馬を飛ばせばあるいは追い付くかとも思うが道は塞がっているのである。確かに街道を迂回できる間道もあった。しかし馬を飛ばせるような道ではない。これに加えてワザンの名代となると本隊との連絡は欠かせないだろう。しかし王軍はラーダ侵攻の報を受け、急速に東へと移動していたのだ。本隊へ伝令を往復させるだけで数日は要すると考えて良いはずである。この時間差をどうやって埋めて、彼らは一週間でフォルクネまでやってきたのだろうか?

(この疑問を解決するとしたら、考えられることはただひとつ)

 ジャミルは揺れる燭台の灯りを睨みつつ、その考えが正解だろうことに徐々に確信を持っていった。

(カザルがワザンの使者だというのは真っ赤な嘘だということだ)

 これが真実であろう。カザルはおそらく追撃を振り切られた直後から、ワザンの本隊と連絡など取らず、そのままこちらを追尾してきたのだろう。そう考えれば時間の疑問は解決する。そして、それはそのままカザルの言葉が虚言であることを証明していた。

(フォルクネ市は騙されている)

 カザルはジャミルを差し出せばランカー家との仲裁をすると言っていたが、おそらくカザルはそのような権限を持っていないはずである。つまりジャミルを差し出したところでフォルクネ市の潔白など誰も保証しないのだ。これではむしろジャミルの身柄をフォルクネ市がカザルに差し出すという行為そのものが、フォルクネ市が保身のために匿っていたジャミルを裏切ったものとして、ランカー家の主張を裏付ける証拠とされてしまうことになる。つまり戦争は正当化され、フォルクネ市はランカー家に屈服を余儀なくされる。自分の身柄を押さえたことはフォルクネ市にとって無意味な上に失策だとジャミルは思った。だが。

(おそらくこれらの疑問に気付けるだけの情報をフォルクネ市は持っていない)

 この事実こそが、この地下牢にジャミルがいる現実だった。

 ジャミルは燭台の灯りを食い入るように睨む。その眼の色には憤りが宿っていた。

(また人の知らないところで)

 翻弄。その言葉がジャミルの頭の中を駆け巡っていた。

(どいつもこいつも)

 他人の運命を勝手に扱い、自己の利害のための道具にする。エルナン、カザル、ランカー家、フォルクネ市、すべて同類だった。彼らの思惑が今のジャミルの苦境を生み出した。生活を失い、家族は離れ離れとなり、再会も束の間、再びに引き裂かれる。それもジャミルの意思とはまったく関わりのないところで。

 白い光が闇を払い、石床を照らした。雲が流れたのだろう、月の明かりが再び差し込んできたのだ。ジャミルはその月光を見上げる。

 もうしばらく待てばアシュリーが来る。あの竜は自負心の裏返しであろうが、ジャミル自身も呆れるほどに挑発に弱い。サラが自分の伝言を間違えなく伝えてくれていれば、意地になって自分を助けに来るだろう。ただ助かるだけならこのまま待っていればいい。しかし。

(抵抗できるなら……してやるさ)

 炎の揺らぎが止まる。ジャミルは強いまなざしでその灯火を見つめた。

「おい」

 声とともに扉の覗き窓が開かれる音がした。ジャミルが振り向くと獄吏が顔を覗かせている。

「お前が呼んだローエンさんが来てくれたぞ」

 獄吏の言葉にうなずく。そして獄吏に替わって顔を見せたローエンに微笑みを向ける。

「待っていましたよ、ローエンさん」

 友人に対するような自然な声。その声にローエンも笑みを返す。

「ジャミルさん、早速にお声をお掛けくださり嬉しく思います。と、それでですね……」

 そこでローエンの視線が横に流れた。誰かいる。ジャミルが眉を動かすとローエンは咳払いをひとつする。

「あなたに是非お会いしたいというお方をお連れしました。お話いただけるでしょうか?」

 入れ替わる。太い眉に力の強い大きな目を持った人物。そこに現れた顔は確かに市庁舎の入口で待ち構えていた市議たちの中に見た顔だった。

「もちろんです」

 わずかばかりの震えをともなった声。ジャミルはその顔を見た瞬間、自らの強運を確信した。

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