「翻弄される者たち」5
(仕留め損ねたのか!)
エルナンをかばった騎士の顔をエミリアは知っていた。父の代からエステ家に仕えていたランドルフという男だった。その身体が自分の放った炎に焼かれ倒れるのが見えた。エミリアは腹の底から胸へと突き上げてくる強烈な吐き気を、無理矢理に押さえ込んだ。
(……これが、私の選んだ道だ!)
エミリアの一撃に続いて放たれた弩の斉射は、三人を倒しただけで、残りはエルナンの風の壁に阻まれた。エルナンはすでに戦闘態勢に入り、演算を回転させ始めた。後悔などしている暇はなかった。連射のできない弩を捨てさせ、手筈通りに五人は小弓に持ち替え支援に回す。エミリアは残りの四人と切り込みの隊形を作り、河原に向かって駆け出そうとした――その時だった。
(あの男は――!)
エミリアは激昂した。
前に進み出たエルナンは焼き崩れたランドルフの亡骸を――踏んだ。
「エルナァァン!」
部下が反応する間もなく、エミリアは一人飛び出していた。
エミリアの剣に刻まれた文字から再び字が宙に浮かび上がる。あらかじめ演算を刻み、複雑な演算を行う時間を省いて効果の発動を速める処置を施した道具を術具と呼んだ。こうした術具は続く演算の初動を速める補助具として多くの術士に用いられた。この剣に施された演算も高熱を発生させるだけのものであったが、それを足掛かりにエミリアは自身の演算でこの熱を素早く炎に変え、攻撃に使用していた。
(自分を庇った人間を、何故貴様は平気に……!)
駆ける速度に合わせるように、剣を取り巻く演算が回転を速め、それに呼応して剣から吹き上がる炎が輝きを増していく。エミリアは自身の感情そのままの赤い炎をエルナン目掛けて打ち放った。
赤い炎の業球はエルナンの作った風の渦に巻かれ、火の粉と砂塵でできた煙の渦となった。エミリアは舞い飛ぶ火の粉が髪を焦がすのも構わずに、火煙の中に突っ込んだ。
「エミリアか!」
エルナンの声にエミリアは剣把を握る手を強くした。エルナンが両手に小剣を抜く。赤熱する火炎の剣をエミリアは真正面から振り下ろした。
「久しいな、我が妹!」
「私は貴様を兄など呼ばぬ!」
金属と金属がぶつかる激しい衝撃が手を震わせる。エミリアの斬撃はエルナンの小剣に十字留めされ、剣を巻く炎はエルナンの風の演算に妨害され、その力を奪われていた。
「つれんなエミリア。実の兄よりオイガン家の人間の方が親しいか?」
「ふざけたことを!」
エミリアは剣を押し離して後ろに跳ぶと、すぐさま左足を踏み込んで逆袈裟に斬り掛かった。エルナンは左手の小剣を合わせて剣撃を上方に弾き飛ばすと、右手の小剣をエミリアの浮いた上体に突き出した。その切っ先が自分の左腋下の急所を迷いなく狙っていることを知ったエミリアは、ためらうことなく演算を広げた。
「くらえっ!」
エルナンの目の前に演算が急速に展開されていく。赤く光る演算は円形に華開き、その中心から爆炎を吹き上げた。
「やるようになった!」
エミリアを称賛しながらエルナンは小剣に演算をまとわせ爆炎に突き刺した。小剣の演算は瞬時に爆炎の演算に交わり、爆炎を火のない風に変えてしまった。
(書き換えられた!)
エルナンはエミリアが展開した演算を一瞬で読み解き、その術式の一部を書き換え、無力化したのである。凄まじく高度なエーテル技術だった。その実力にエミリアの首筋に冷たいものが走った。
距離を取ろうとするエミリアをエルナンが追撃する。
「その腕、オイガンの犬として使うには惜しいぞ。エミリア! 兄の元に来い!」
「勝手なことを!」
剣を打ち合わせること数合、エルナンの変幻自在な双剣はたちまちにエミリアを押し込んだ。
「母も私も家人も、残された人々の全てを見捨てた身で、よくもそんな口を! 好きでオイガンの犬になった訳ではない!」
エミリアの非難にエルナンは平然と言い放った。
「ならば死ねばよかったのだ」
エミリアの目が大きく見開かれた。
「それが貴族の家に生きるものの覚悟だろう?」
強烈な憎悪がエミリアを襲った。全身の血管が沸き上がるかのような怒りと、臓腑が凍り付くかのような憎しみが、エミリアの身体を一瞬、硬直させた。
その一瞬を見たエルナンは蔑みを浮かべた。
「……感傷だな」
エルナンはエミリアの喉笛を狙って剣を走らせた。憎悪に硬直したエミリアの身体はそれに反応できない。剣が必殺の軌跡を描く。エミリアは悔しさに歯を食いしばり、憎しみにエルナンを睨み付けながら、自らの喉笛が裂けて赤い鮮血が噴き出すさまを想像した。
(……私に流れるこの血に呪詛を込めて、返り血に濡れたお前を永遠に呪い続けてやる!)
矢が風を切った。
「エミリア様!」
横合いから飛んだ矢は二人の間隙を裂くように飛び抜け、身を引くエルナンの剣先は、エミリアの喉元、指三本手前を走り抜けた。
「ご無事で?」
「ジャック!」
矢に続いてジャックと呼ばれた男がエルナンに斬り掛かった。気付けば剣戟を打ち合わせる音が聞こえ、振り向くと戦いが後ろでも始まっていた。一人で駆け出したエミリアに部下たちがようやく追い付いたのだ。
戦いは乱戦になった。