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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
59/73

「ジャミルの抵抗」1

いかなる夜の闇の帳も

あなたの前ではなんの妨げにもなりません

たとえ月が眠っていても

星々の瞬きはあなたを何処までも照らすのですから


だからわたしは立ち止まることもなく

道を誤ることもなく

闇を恐れることもなく

あなたのもとへと歩くのです


そして泉のほとりに佇むあなたに

髪に夜露のきらめきをまとったあなたに

(しろがね)の音色で歌うあなたに

出会うのです


わたしは跪き

あなたに請い願うことでしょう

慈悲深きあなたは無言でうなずき

その白き御足(みあし)を差し出してくれることでしょう


さあ、その聖なる御足に接吻を――



古歌集「黄昏の女たち」より






 月に影がよぎった。

 その影は音もなく屋根を駆ける。

「ええい、くそ忌々しい」

 月光を反射して金色に翻る髪がある。屋根に跳び移り、着地に落ち着いたその髪の合間には、白い月明かりを浴びて玲瓏(れいろう)に浮かぶ女の横顔が見えた。

「何故にこの私が、こんな泥棒みたいな真似を」

 アシュリーである。

「ただ助け出すだけなら簡単だというのに、いちいち注文の多い……」

 アシュリーはぶつぶつと愚痴をこぼしながら、月夜のフォルクネの街を飛ぶように走る。その足には演算が輝き、飛び立つ水鳥が散らす飛沫のように尾を引いて流れていく。この演算の効果だろう、その身は風のように軽やかに舞い、屋根の連なりを次々と跳び駆ける。

「わざわざ自分を危険にさらして、あのバカめ。死なれては私が困ると知っているから、いいように使いおって……」

 その美しい顔が苛立ちに歪むのを厭うこともなく、アシュリーはそのバカのことを思い返して舌を打った。

 それはアシュリーが三日酔いの眠りから覚めたときのことである。

 ゆっくりと目を開けたアシュリーの視界には、三つの見覚えのない顔が並んでいた。偏屈そうな顔の老人と、眉毛の太い角顔の若い男。それに黒い瞳に涙を溜めたそばかす顔の少女。そこにジャミルの顔がないことに気づいたアシュリーは身を起こしてあたりを見渡したが、その姿はどこにもない。仕方なくアシュリーは、こちらをじっと見つめてくるこの見知らぬ三人に訊ねた。

「――ジャミルはどうした?」

 その瞬間、少女が涙を切らしてアシュリーに抱きすがった。不躾な小娘だとアシュリーが眉をひそめる間もなく、少女は驚きの言葉を口にした。


「――お兄ちゃんを助けて」


「なぬ?」

 そこでアシュリーはジャミルがフォルクネの役人に連れ去られたことを知らされたのである。


「――あそこか?」


 演算を操り急減速したアシュリーは、音もなく屋根に着地してそのまま屈み、身を隠しながら行く手にある建物を見やった。開けた広場を間に挟み、篝火に明々と浮き立つ巨大な建物がそこにはあった。無骨な組石に繊細な装飾壁画を施したその建物は、この街の市庁舎であるらしい。ジャミルが連れていかれた場所で最も可能性の高いのは地下に牢を持つこの建物だろうと、ベルなんとかという角顔の男が言っていたのをアシュリーは思い出す。

「ふむ。なかなかに立派な建物だな。囚われの王子を救出する舞台にふさわしい。……しかし、面倒な条件を付けおって」

 市庁舎の色鮮やかな壁画が、揺れる篝火の陰影に踊るさまを見ながら、アシュリーは苦々しく呟く。アシュリーはジャミルの妹を名乗る少女――サラという名前だったか――から、ジャミルの伝言を聞かされていた。


「みんなと“健やかに眠っているアシュリーさん”を守るために、俺は一度、敵に捕まる。抵抗しなければすぐに殺されはしないだろう。それに口は達者な方だ。舌先三寸で出来るだけ時間を稼ぐつもりだ。アシュリーが目覚めたら助けに来るよう伝えてくれ。その時はくれぐれも“穏便に”助けに来るよう言っておいてくれ。それで“貸し”は無しにしてやるともな」


「……ええい、くそ忌々しい!」

 一字一句、強調の箇所まで間違えなく伝えられたジャミルの言葉にアシュリーは憤慨した。しかし「あのクソガキめ!」と罵声を飛ばしたい衝動に駆られながらも、自らの言い訳のつかない失態も同時に思い返し、“貸し”という言葉にこの全身を震わせる怒気をプライドで押し殺した。

「酒など飲まねばこんな無様な思いを……」

 後悔は先に立たない。アシュリーは苦虫を噛み潰しながら“穏便に”ジャミルを取り返す方策を考えるしかなかった。

 “穏便に”とは、つまるところ目立たず、壊さず、殺さないで助けに来いということであろう。これを破ればジャミルの“貸し”を返すことができず、再びこのようなジャミル如きの冷笑を受けることになる。不愉快極まりないとはこのことであり、アシュリーの沽券を賭けてなんとしてでも避けねばならない事態であった。

 アシュリーは屋根の影から市庁舎の様子を窺う。広場は煌々とした篝火に昼間のような明るさであり、そこをかなりの数の兵士が警備している。普通に忍び込むのは難しい様子だった。

「姿を消して忍び込むのが一番だが、あれは目が見えんからな……」

 アシュリーは自分の考えを呟きながら否定した。透過の演算ならば気付かれることなく容易に市庁舎に接近できるだろう。しかし、すべての光を透過してしまうこの演算は、目に入る光までも透過してしまうため、視力を奪われてしまうのである。これを防ぐためには目に光を入るように調整すればよいのだが、それをすると眼球が二つ宙に浮かぶという異様な光景が出現する。目に光が入るということは目に当たった光が反射するということでもある。つまり目だけが透明にならなくなるのだ。

「反響の演算を組み合わせるか……? いや、あれも狭い屋内では残響と混じって周囲の把握が難しいからな」

 反響の演算とは自分の発した音の反響を聴いて、その音の変化で周囲の状況を把握する演算である。音は通常には人の耳に聞こえない周波の音を、自分には聞こえるように調整して使用するので、周囲の人間には気付かれない。これと透過の演算を組み合わせれば、完全に姿を消した状態で、誰にも気付かれずに歩き回ることができるのである。しかしこれにも欠点はあり、狭い場所であると反響が重複して残響と混じってしまい、どの音の反射が正確な情報を伝えているかわからなくなってしまうのである。

「“穏便に”という注文がなければ、すぐにでもこの建物を吹き飛ばし、瓦礫の中から泣いて助けを呼ぶジャミルの奴を助け出してやったものを。……くそ! ジャミルごときに“貸し”を与えるなどなんたる不覚か!」

 よい方策が思い付かない苛立ちを、ジャミルへの怒りに変えてアシュリーは悪態を吐く。

「そもそもなにが“穏便に”だ。自分の命が危険なときに赤の他人を巻き込む心配をするなど……愚か者の証拠ではないか」

 そう呟きながらアシュリーは、カラの街で敵に追われていたときにジャミルの見せた目を思い出していた。


 アシュリーを射抜くような真っ直ぐな目。


「……ふん。またぞろ『竜のくせに』などと言われても敵わんからな……。さて、どうするか。そもそも姿を消したところで、地下牢にはどこから入ればいいのかもわからんからな」

 息を吐き、気を落ち着けたアシュリーは、もう一度ジャミル救出の方策を練ろうと再び市庁舎の様子に意識を向ける。そのとき市庁舎の横手の扉が開き、中から人が出てくるのが見えた。背の高い男で、装備からするとどうやら兵士である。きょろきょろと辺りを窺いながらこの兵士は、表の通りには向かわずアシュリーが屋根にいる建物の方へ小走りに近づいてくる。

「……聞けば早いか」

 即断だった。この兵士がアシュリーのいる建物の脇の路地に入り、広場の明かりが届かないところまで進んだ直後である。


「ちょっといいかな?」


 音もなく屋根から降りたアシュリーは背後から兵士の頭を鷲掴み、壁へと押し付けるとその耳元でそう囁いた。速やかに背後に展開した演算は遮音と遮光の演算である。これで多少の騒ぎが起きても後ろの広場までは聞こえない。いきなり頭を掴まれた驚きと急に周りの音が遠くなった異常への不安か、アシュリーの手に兵士の震えが伝わってきた。アシュリーの口元が弛み、そして甘く開く。

「ふふふ、そう怯えるな。命までは取りはせんよ。少し聞きたいことがあってね……」

 子供をたぶらかすように優しく囁くアシュリーの声は、しかし予期せぬ兵士の言葉によって不意に遮られた。


「――アシュリーさん!」


「うん?」

 自分の名を呼ばれて思わず頭を押さえる手が緩む。兵士が首をねじりこちらに顔を向けた。そこでアシュリーが見たのは、最近どこかで確かに見た覚えのある青年の顔だった。


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