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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
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「包囲」6

「静かに過ぎて少し不気味なぐらいですね」

 隣を歩くモルガンの耳打ちにローエンは後ろに続くジャミルを盗み見た。

 両手を縛られ左右を兵士に固められたジャミルは、しかし泰然とした様子で二人の後ろを歩いている。その表情は諦めとも覚悟とも判断できない静けさを浮かべ、ローエンにいわく難い印象を与えていた。

(さっきの振る舞いといい、意外に人物であったのかも知れないな……)

 ジャミルは大胆だった。そのときのことを思い返したローエンは、なぜだか少し愉快な気持ちになった。

(私の人を見る目もまだまだか)

 ローエンたちが注視する中、開かれた扉から姿を現したのは、なんとジャミル本人だった。シムスとギルが声を揃えて「ジャミルだ」と叫ぶと、一瞬でざわめきが兵士たちに伝播する。ジャミルはそんなローエンたちを一瞥すると、落ち着いた様子でモルガンの顔を見据えた。その表情はこの状況を完全に理解している顔だった。一同が戸惑いにジャミルの挙動を窺う中、ジャミルはおもむろに両手を上げて、さらにローエンたちを驚かす言葉を述べた。


「投降する。俺を捕まえにきたんだろう?」


 大胆不敵とはこういう態度のことをいうのだなと、ローエンはジャミルの顔を見ながら思わず苦笑を漏らす。

 ジャミルは月を見ていた。薄雲に陰る月は、しかし夜道を照らすには十分な明かりを落としている。夜の静寂に沈む街には石畳の道を踏むローエンたちの足音しかしない。一行はすでに大きな通りに出ていた。なだらかな丘を登るこの富者デロス(ヴィルス・デロス)通りは市庁舎へと続いている。

「どうした? 俺の顔に何か付いているか?」

 ジャミルがローエンの視線に気づき声をかけてきた。ローエンは歩を緩め、ジャミルの横に並ぶ。

「驚いているのですよ」

 ローエンは自分でも驚くぐらいに自然にジャミルに話しかけていた。相手は敗亡の反逆者であり、すでに虜囚の身に落ちた人間である。自分の声に蔑みや侮蔑の響きがないことが不思議だった。

「まさか、あの街道で出会った行商人が本当にあなただったとは」

「ばれないと思ったんだが……少し堂々とし過ぎたかな?」

 ローエンの親しげな話ぶりにジャミルも冗談めかして肩をすくめてみせる。ローエンは街道でのやり取りを思い出し、この男の肝の据わり具合にあらためて舌を巻いた。

「いいえ、私はまったく疑いませんでした。自分の見識のなさを恥じ入るほどです」

 ローエンは正直に述べた。事実あのときのジャミルの姿振る舞いは、完全に普通の行商人にしか見えなかったのである。このローエンの言葉にジャミルは破顔した。

「ははっ、そういう謙遜は嫌いじゃないな。なるほど、ローエンさんは俺が思っていたよりもいい人そうだ。俺も見識が足りていないようだよ」

 ジャミルの冗談にローエンも合わせて口元を弛める。そのとき先導の兵士が掲げていた松明が急な風に火の粉を散らした。舞う火の粉に目を向けると、いくつもの篝火に照らされて夜闇に浮かぶ巨大な建物の影が見えた。市庁舎である。四百年前に建造され、その後も増改築が繰り返されたその石造りの建造物は、街の創建説話を彫り込んだ鮮やかな彩色壁画に飾られ、街の富裕を示している。

 ジャミルは無言でその威容を見上げた。ここで迎えるであろうジャミルの運命を想像してローエンはジャミルに縄をかけたときの光景を想起し、そのジャミルの無言にいくばくかの同情を覚えた。

(これは憐憫か、それとも罪の意識か……)

 ジャミルはおとなしく縄に手を差し出した。モルガンが手ずから縄を取り、その両手を縛る。そしてジャミルを連行しようとしたときである。

「お兄ちゃん!」

 あばら家の扉が勢いよく開き、中から少女が飛び出してジャミルへと抱き着いたのだった。その少し痩せ気味の身体つきをした少女は、酒場でのジャミルの逃走を幇助したと情報にあった少女の容姿と一致していた。そして二人の関係はすぐにその互いのやり取りで察せられた。

「駄目じゃないかサラ。中にいろって言っただろうに」

「だって、だって……」

 サラと呼ばれた少女は赤く腫れた目を上げて、すがるようにジャミルを見た。

「お兄ちゃんは大丈夫だよ」

 ジャミルは鼻をすすり涙ぐむ少女の頭に縛られた両手を置き、優しく諭すように少女に言った。

「こうするのが一番なんだ。これがみんなが幸せになる最善の方法さ。それよりさっき言ったこと、ちゃんと忘れないで伝えておくんだよ。みんなによろしくな」

 そしてぐずつく少女の頭を乱暴になでる。少女が涙を拭きながらうなずくと、ジャミルも力強くうなずき返した。

「それが理由か?」

 モルガンが訊ねる。ジャミルが一切の抵抗もなく恭順の意を示した理由である。この問いにジャミルは雛鳥を守る鷹のような鋭い目でモルガンを見返して答えた。

「お前たちが用のあるのは俺だけだろう。他に手を出しても人手の無駄になるだけだぜ」

 その目に浮かぶ色は剛毅であった。決して引くことない強靭な眼差し。モルガンはローエンの顔を見た。ローエンがうなずくとモルガンは一瞬の躊躇を表情に見せたが、結局うなずき返した。

「じゃあな」

 ジャミルは縛られている両手を軽く上げて、少女に向かい手を振った。少女がこちらを見る。その涙に濡れた恨みがましい眼差しは、ひどくローエンの目に焼きついた。

「別れはあれでよかったのですか?」

 無言になったジャミルにローエンが問い掛ける。目だけを動かしてローエンを見たジャミルはすぐに自嘲気味に笑った。

「最後に再会できた。悔いはない。あんたらが俺の家族を見逃してくれたことに感謝するよ」

 つまりはそういうことだった。ジャミルはこの街に離れ離れになっていた家族と再会するために訪れたのだと話した。そしてその再会したばかりの家族をかばうために自ら進んでその身をこちらに差し出したのである。

「私たちに命じられたのはあなたの身柄を確保すること。あなたが捕まった以上、あなた以外の人間を相手にする理由などありませんよ」

 ローエンの返事にジャミルは肩を軽く揺すり、「すまない」と小さい声で謝辞を述べた。ローエンは軽くうなずき応える。そして足を速めジャミルから離れると、前を歩くモルガンの横に戻った。

「……私は甘いのかな」

「それが悪いわけではありません。しかしその分、警戒は多くしなければならないでしょう」

 モルガンの懸念は金髪金目の女術士の存在だった。その妨害を予想していたモルガンとしては、ジャミルの投降は想定外の状況だった。ここで考えられる理由はその女術士が不在だったか、それともこちらの包囲に抵抗を諦めたかのどちらかであった。

「取り返しに来るかもしれません。できれば身柄を取り押さえるか、不在だったならば人質を増やしておきたかったところですが……。気魄に押されましたね」

 モルガンの苦笑にローエンも同意した。モルガンを睨みつけたジャミルの目は、言葉よりも遥かに強く、その強固な意志を対峙するものに見せつけた。

「エルナン・エステが祭り上げた、ただの飾りだと思っていましたが……。なかなかどうして人物であるものです」

「それは同情から? それとも本心から?」

 モルガンの問いにローエンは少し驚いた。このような戯れを口にする人物とは思っていなかったのである。しかしすぐにその興に感じると、ローエンは率直に自らの感想を口にした。

「本心からです」

「同じく」

 同時に二人は笑った。周囲の兵士が何事かと振り向く。それすらもローエンには愉快なものに思え、なかなか笑みを抑えることができなかった。

「取り返しに来るなら」

 先に笑いを収めたモルガンが表情を引き締め、話題を元に戻した。

「市庁舎までの道のりが、最も可能性の高いところだろうと思っていましたが、杞憂で済んだようですね。警備の整った監獄に入れば、まず奪還は不可能でしょう」

 そしてモルガンが立ち止る。市庁舎に着いたのだ。

「彼らの様子からすると例の女術士は相当の手練れであるようですが、ここまで来ればまず安心でしょう」

 言われてローエンはギルとシムスの態度を顧みる。二人の様子、特に年配のギルの様子にはローエンも違和感を覚えていた。ジャミルを捕まえてすぐに、ギルはローエンに迫ってこう急かしたのだった。

「早く戻りましょう。ジャミルは捕まえたのです。もうここに長くいる理由はないでしょう?」

 そう言って、先触れの報告に向かう兵士とともに逃げるように市庁舎へと戻ってしまった。シムスも絶えず警戒するようにあたりをうかがいながら歩いていた。彼らにとってはそれほどの脅威を感じるほどの手練れであるらしかった。

「あなたがそう言うのであれば大丈夫なのでしょう」

 ローエンのこの返しにモルガンは苦笑した。

「あなたもなかなかの人物だ」

 高さ三十ムルーナ程の塔を二本備え、彩色彫刻を外壁一面に施した豪勢な造りの市庁舎の周囲は、ふんだんに焚かれた篝火にまるで真昼のような明るさだった。よく見ると多くの窓からも明かりが漏れていた。どうやらジャミル捕縛の報告に、市議会の面々が参集しているようだった。

 モルガンが門衛に取り次ぎを行っている。ローエンはジャミルの側に寄り、恭しく一礼をした。

「まことに申し訳ございませんが、これから独房に入ることになるかもしれません。私としてはジャミルさん、あなたの人柄に好感を抱きました。獄中では何かと不自由をきたすと思いますが、そのときは私に御依頼ください。出来る限りの要望にはお応えするつもりです」

 ローエンの突然の申し出にジャミルは明らかな戸惑いを見せた。当然の反応だろう。ジャミルは虜囚の身である。こんな親切な申し出を受ける立場ではない。しかし個人としてこうした敬意を払う気持ちにさせる何かが、このジャミルという人物にはあったのである。

「ありがとう、ローエンさん。あなたのご厚情に深く感謝します」

 ジャミルも深々と一礼する。そのとき後ろで扉の開く音がした。五ムルーナ程の高さのある大扉が、軋んだ音を立ててゆっくりと開かれる。そこでジャミルが思い出したかのようにローエンに訊ねた。

「そうだ、ローエンさん。最後に訊きたいことがあったんだ。なんで、俺を捜し始めたんだ? 三日前まではあんたたちは俺のことなんかまったく関心がなかっただろう」

「私たちがあなたを匿っている。それが今回の戦争でのランカー家の主張です」

 その言葉にジャミルが目を丸くする。その反応にローエンはランカー家の主張がまったくの事実無根であることをあらためて確信した。

「あなたのその反応が我々の潔白の最たる証明です。この証を立てるためにどうしてもあなたの身柄が必要だったのです」

 そして扉が完全に開かれた。中から現れたのはローエンの主人マルティン・マルコーを先頭にした市議会の面々だった。

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