「翻弄される者たち」4
「エルナン様!」
ジャミルが声に振り返るのと、エルナンの前に飛び出した騎士が赤黒い炎を上げて燃え崩れたのはほとんど同時だった。その光景に身を竦め、肉と脂の焼ける臭いから鼻を塞ぐ前に、ジャミルの目は森から無数の矢が恐ろしい速度で飛来してくるのを捉えていた。
(当たる?)
認識に理解が追い付かない一瞬の間に、ジャミルは自分に向かって飛んでくる一本の矢を冷静に見ていた。
(……オレは死ぬのか?)
その矢のもたらす意味を理解しても、まだ感情には届かず、鏃の形状がくっきりと見える距離まで矢が近づいても、ジャミルは茫然と半立ちの姿勢のまま固まっていた。
――その時、矢が揺れた。
突如、強風が起こり、矢を巻き上げて吹き飛ばした。
矢が視界から掻き消えた次の瞬間、複数の悲鳴が上がるのが聞こえ、ジャミルから離れたところにいた騎士の幾人かが矢を受けて倒れるのが見えた。
恐怖が足の先から沸き上がり、肌の粟立ちがジャミルの全身を激しく震わせた。
「ジスモンド、殿下をお守りしろ! ここは私とスナメルが引き受ける! 残りは船を運べ!」
エルナンを見上げたジャミルはその身体の周囲を巡る文字列に気付いた。回転する文字列から風が吹いている。先の矢を吹き飛ばした風の正体がこれだった。
(これが魔法……か?)
魔法とは俗称である。魔法を使う者はこの技を「エーテル技術」と呼んだ。
「エーテル」とは世界を満たす万物の理法である。「エーテル」は神が定めたある一定の法則に従い、世界を循環し森羅万象のあらゆる現象を引き起こす目には見えない力の働きであった。
術士と呼ばれるエーテル技術の使い手は、この神の理法「エーテル」を読み解き、書き換えることで、自らの望む現象を引き起こした。
その技術がエルナンの周囲に展開している文字列だった。彼等はこの文字列を「演算」と呼んだ。エーテルを視覚化し、その計算式を書き換え、任意の現象を「演算」して導き出す。
この技術を持つ者は非常に少なかった。エーテル技術には、エーテルの働きを読み解く知識、エーテルを視覚化する技術、エーテルを意のままに「演算」する才能が求められた。それらを満たす人種は、知識と技術の時点で、それらを独占できる一部の特権者に限られていた。さらにその中で戦闘という一瞬の判断が勝敗を決める場で、「演算」を高速で的確に行える者など一握りもいなかった。
だが、今ジャミルの前に立って「演算」を展開しているエルナンは、そのすべてを満たす人間だった。
ところどころ読める単語もあるが全体の意味は解せない文字列は、数字や見たこともない記号も含み、何万という字の帯となってエルナンを取り巻いている。字は一つ一つが淡い光りを放ち、赤に黄に、青に緑に明滅していた。
(美しい……)
初めて目にする「演算」の展開に、ジャミルは状況も忘れて思わず見とれてしまった。
演算を身にまとったエルナンは、焼き尽き白洲に黒炭となって燻る騎士の残骸を踏み付け、前に出た。
「エルナァァン!」
女の怒声が聞こえた。
森から人影が飛び出したかと思うと、再び火球がエルナンを襲った。人を一瞬で黒炭に変える業火に向かって、エルナンはその長い腕で演算の帯をゆっくりと回した。
演算の帯がさらさらと空気に透けて溶けた瞬間、風が渦を逆巻かせ爆発的な猛風となり、火球に衝突して四散した。
「エミリアか!」
その爆散した火の粉が巻き上がる煙の中を、炎に燃え上がる剣を引っ提げた銀髪の剣士が駆け抜けてきた。エルナンは素早く両腰に携えた小剣を左右の手に抜き放ち、その剣士を迎え撃った。
剣が炎の塊となって振り下ろされる。エルナンの両手の小剣が風を巻いた。剣と剣が打ち合わされる直前、エルナンは笑みを浮かべた。
「久しいな、我が妹!」
剣戟が鳴り響いた。