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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
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「不穏の街」5

 晩鐘の音に顔を上げたジャミルは、大聖堂の鐘塔が夕日に赤く焼ける姿を見た。

 そこそこの屋根から立ち昇る炊事の煙が、斜陽に白い影を揺らめかせ、煮炊きの香ばしい匂いを漂わせる。夕餉が近いのだ。

 街は夜を迎えようとしていた。一日の終わりの近付きにジャミルはため息を漏らす。

 ジャミルがフォルクネの街に入ってからすでに三日が経っていた。

(この街に確かにいたはずなのに……)

 生き別れた家族の消息を求めて街を歩くジャミルだったが、いまだにその安否すら確かめることができないでいた。


 ――後を追わせるよう言い付けてある。


 日を重ねるごとにジャミルの脳裏に浮かぶのは、エルナンが残した不穏の言葉だった。

(……いや、まだ死んだともわかっちゃいないんだ。それが確かめられるまで、オレが気持ちを沈ませる理由なんてないんだ)

 暗い不安を払うようにジャミルは頭を振って、その足取りを速めた。

 フォルクネの街を東西に走り、カラール河につながる毛皮(フォッスル)大路をジャミルは歩いている。この通りは、広いところで十五ムルーナもの道幅を持つフォルクネ最大の大路だったが、左右には三階建てや四階建ての木造家屋や商店が、その不揃いに突き出た軒先を通りにせり出して、のしかかってくるような圧迫感を道往く人に与えてくる。その印象は陽が落ち、影が街に夜の色を広げるにつれて強まる。迫る闇に追われるように道の往来は徐々に閑散としていった。底冷える風に外套の合わせ目を手で押さえる人々は、手燭を片手に家への道を照らしながら、晩鐘を背に小路の暗がりへと姿を消していく。

(やはり街の空気が違うな……)

 人々の足取りは重く見える。彼らの顔色が暗いのは、決して夕闇の色のせいだけではなかった。

(この街がこんなに沈んでいるのを見るのは初めてだ)

 ジャミルの知るフォルクネは、賑わい絶えない繁栄の大都市だった。


 フォルクネには富がある――


 戯曲「狐物語」の一幕にこう謡われるように、フォルクネは富裕な都市として広く知られていた。この戯曲はフォルクネで商売に成功し、一財産を築いた男のところに、行商人が犬の皮を狐の皮と偽って売り込みに来る話である。新興商人が見栄から不慣れな贅沢をするさまを笑うこの喜劇は百年ほど前に作られたものであったが、これはその頃からこの街で成功を掴む者が多くいたことを示していた。

 しかし、この繁栄の大都市も近付く戦争の影に、その賑わいを失っていた。

 雨戸の閉じた商店、職人の去った工房、閑散とした市場には香辛料やワインなどの遠地の商品は見当たらず、たまに人の集まりを見つければ、それはパン屋にパンを求める人の列だった。

 手持ちの紅沙(こうさ)一ペークも、扱う職人が少なくなったため、思ったほどの値はつかず、街の生産活動そのものが停滞しているのは明らかだった。

(景気のいいのは武器職人と食料仲買人ぐらいなもんか)

 聞き込みをして回るジャミルに人々が揃えて口にするのは、領主ランカー家とフォルクネの市政を担当する市民議会との交渉が決裂した話と、食糧不安の話である。

 戦争になれば篭城戦になるというのが、市民の大方の見方であった。しかしフォルクネの置かれた状況は、決して楽観を許すようなものではなかった。

 エルナンの反乱軍による物資の徴発に加えて、ランカー家が自家の荘園からの農産物の売却を停止したため、フォルクネは食糧の備蓄、供給ともに大きな不安を抱えることになった。市民議会は他所から大量に食糧の買い上げを進めており、すでに半年分の備蓄を集めたと大きく宣伝してはいたが、食糧価格の高騰は隠すべくもなく、住民の不安を払拭するには至っていなかった。

 逃げられるものの多くはすでに街を去り、さらに都市内の領主派の人間も多く放逐され、この街の人口はかなり数を減らしているはずである。しかし、それでもフォルクネの人口は万を遥かに超える。これだけの人間の口をまかない切れる食糧が残っているとは、ほとんどの住民は思っていないようだった。

 ジャミルは毛皮(フォッスル)大路をさらに歩き、カラール河へと近付く。

 夕陽に残照をきらめかせるカラール河の川面が見えた。荷揚げ港に接する河岸の広場は赤く染まり、長い影を連れた人々が一日の最後の働きをしている。

 広場から河沿いには倉庫街が広がっている。この倉庫街に隣接する区画を走る淑女(ラファーナ)通りへとジャミルは足を進める。

「しかし、淑女とは言ったものだな」

 通りに入ったジャミルを迎えたのは、むっとする酒の匂いだった。

「うむ、いい匂い」

 奉公人らしき少年が店々の軒先に夜燭を灯している。少年の横を通り路地から姿を見せたのは、夜目引く白塗りの化粧を施し、派手なドレスで着飾った女たちだった。

「なるほど、あれは淑女だ」

 すでに店々の奥からは酒飲む男たちの胴間声と客引く女の嬌声が漏れ聴こえてくる。この淑女(ラファーナ)通りの区域は、フォルクネ最大の歓楽街だった。

「……目立つから、あまりしゃべらないでくれないか」

 立ち止まったジャミルが後ろを振り向く。そこには頭から外套をすっぽり被った人が立っていた。

「ずっとしゃべらないでいたのも、かなり苦痛だったのだ。たまには女性のわがままを聞いてあげるのも紳士のたしなみだとは思わないかね、ジャミルくん?」

 傾げた首にフードがかすかにずれる。そこから覗けたのは夜燭の反射に光る金色の瞳だった。

「それじゃあオレは紳士じゃないんだろ」

「おやおや、こんな淑女を連れて、それは謙遜に過ぎるというものだ。よろしきエスコートを期待しているぞ」

 笑みに細まるアシュリーの目にジャミルは口端を苦く歪めた。

(淑女ならあんな駄々のこね方はしないだろうに……)

 街中では演算で姿を消してジャミルを護衛するという暗黙の了解が二人の間にはあった。しかし今アシュリーは外套で顔を隠してこそいるが、姿を消してはいなかった。

 それは昨夜の出来事だった。街での聞き込みを終え、宿の部屋に戻ったときである。

「疲れた」

 アシュリーは部屋に入ると同時にベッドに倒れ込み、荷物を部屋の隅に置くジャミルに向かいそうぼやいた。

「一日中歩き回ったからな。オレもさすがに疲れたよ」

「違うわ、痴れ者め」

 アシュリーは眉間に皺を寄せた顔をジャミルに向けた。

「演算のし過ぎだ……うう……頭が痛い。元の身体ではこんなことはないのだが……。やはり人間の身体では限界があるな……」

 ジャミルは詳しく知らなかったが、アシュリーが言うにはたとえ簡単な演算であったとしても、効果を持続するための連続計算は術者にかなりの負担をかけるものであるらしい。

「そんなに辛いのか?」

「掛け算割り算の計算を、間違い一つなしに一日中計算してみてから同じ口を叩くのだな。まあ、私は二日やってやったがな」

 アシュリーの皮肉にジャミルが困惑を見せたときだった。


「やめたやめた!」


 アシュリーが突然に両腕をついて起き上がり、ベッドの上であぐらをかいて、そう喚いた。

「黙って言うことを聞いてやれば、そわそわと面白い反応をするから粛々と従順を装ってやっていたが……もうやめだ!」

 やはりそういう理由があったかと、ジャミルは眉をしかめたが、アシュリーはまったく意に介することなく、腕を振り上げて宣言した。

「明日は姿など隠さず、堂々と歩くぞ!」

「いっ」

 その後ジャミルはさまざまに説得を試みて、外套を被せることにこそ成功したものの、その他の交渉はすべて不調に終わり、こうしてアシュリーを連れて街中を歩くことになったのである。

 ジャミルの方が頭痛をもよおしてきたが、その上アシュリーは、

「酒が呑みたい」

 などという要求までしてきたのだった。

「一昨日行ったあの通りの匂いがな……ああ、思い返しただけで垂涎ものだ。私は好きなのだがアセリナはたしなまなんでな。久々に味わいたいものだなぁ」

 先程までの頭痛などどこにいったのか、アシュリーはすでに夢見る少女のような表情で陶然と虚空に夢想の酒を眺めていた。

「……」

 この間、ジャミルは沈黙で抵抗していた。もとより酒場はトラブルに巻き込まれ易い場所であるのに、この上アシュリーが酔っ払ってその力を暴走させでもしたら、取り返しのつかないことになるのが容易に想像できたからだ。

 だが、このささやかな抵抗も、アシュリーの次の一言で打ち破られた。

「あれだけ協力してやり、命の危機も救ってやったのに、礼の一つもできんとは……小さい男だな」

 冷笑。

「さあ、酒だ酒だ」

 アシュリーは意気揚々と酒場の扉を開く。外に漏れ聴こえていた酒場の喧騒が一気に大きくなる。

 ジャミルはアシュリーに続いて酒場に足を踏み込みながら、男のさもしい自尊心を恨んだ。


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