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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
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「美しき残酷の主」6

「ほーれ、見たことか。奴ら追いかけて来おったぞ」

 荷台のアシュリーが崖の上を指差し嫌味たらしくぼやいた。ジャミルがその方向を見遣ると、三〇〇ムルーナほど後方の崖の上に確かに砂塵を上げて走る馬車の一隊が見えた。

 カラの街を脱出したジャミルは、フォルクネへと続くエダ街道の本道を走った。しかしこの道は谷川を越えるために一度つづら折りの坂を下りなければならず、思うように速度を上げられなかった。その間に崖の上の分道を走る敵に追い付かれたようである。

「どうするのだ?」

「あの道はこの道と合流しない。このまま逃げれば振り切れる」

 分道はカラの街の周囲にある山村につながっているが、そこで行き止まりである。ここを逃げ切ればそう簡単に追い付かれることはないはずだった。冷静にそう分析したジャミルに対し、アシュリーはその金目を愉悦に細めて皮肉に笑った。

「甘いなジャミルくん。それは砂糖を混ぜた蜂蜜を熟した果実に掛けて食べるよりも甘い考えだぞ」


 矢が飛んだ。


 あっと思う間もなく矢が頭上を飛び過ぎ、斜め前方の地面に突き立つ。振り向けば崖上の敵が矢を放ってくるのが見えた。縦隊に走る馬車はそれぞれの荷台に兵士を数名乗せている。彼らは代わる代わるに弓をつがえ間断ない矢の雨を降らせてきた。次々と飛来する矢は走る馬車の軌跡をなぞるように数十本もの矢柄を突き立てた。

「だから殺しておけばよかったのに」

 やれやれと肩を竦めたアシュリーは、にやにやしながら顔をジャミルに近付けて、耳元で同じ台詞を二度訊いた。

「で、どうするのだ?」

 ジャミルは返事をしなかった。アシュリーの意図が見え過ぎるほど見えていたからだ。

「意地を張りおって」

 アシュリーはせせら笑ったが、ジャミルは唇をむつと結んで無視をした。確かに意地だった。ここで弱気を見せれば、アシュリーはここぞとばかりに先程の仕返しをするだろう。そして自分の主張の正しさを証明するが如くに追い掛けて来る敵を皆殺しにしてしまうことも容易に想像できた。自力で逃げ切る。ジャミルはそう心に決め、鞭を振るい馬を急かした。

 返事のないジャミルにアシュリーはつまらなそうに鼻を鳴らす。

「ふん、かわいくない奴め。だがこの矢から逃げ切るのは簡単ではないぞ」

 言う通りだった。馬車は加速したが次々と飛んで来る矢を何故か振り切れない。それどころか飛矢は徐々にその精度を高め、ついには短い音とともに荷台の角に突き刺さった。

「敵を見てみろ。もう少し素直になれるぞ」

 苦々しげにもう一度敵を振り返ったジャミルは瞬時にアシュリーの言葉の意味を知った。

 飛ぶ矢を下から支えるように帯状のものが走った。すると放物線を描いていた矢はその軌跡を変え、ぐんと矢じりを上げてこちらへ向けて伸び飛んで来たのだ。

「演算か!」

 敵との距離は四〇〇ムルーナほどに開いていたが、演算の帯をまとい風に乗った矢は驚くほどの速度でその差を詰めてきた。再び短い音ともに荷台に矢が突き刺さる。

「演算で作った風に矢を乗せているな。粗末な技だがなかなか効果的だな」

 感心するようにうなずくアシュリーが横目にジャミルの顔色を見る。その「早くすがりつけ」と言わんばかりにニタニタと笑う目に、ジャミルの気持ちはむしろ奮い立った。

 そしてさらなる鞭を振るおうとした矢先だった。

「あっ」

 一本の飛矢が視界に走った。

 それは馬車の横を飛び過ぎ、勢いを失って地面に落ちようとしていた矢だった。落着の寸前にその矢を演算の文字が巻いた。すると矢が大きく方向を変え、ジャミルに向かって飛んで来たのだ。

 もはや避ける術もなかった。脇腹をえぐったあの衝撃が脳裏に蘇る。一瞬の後に身体を突き抜けるだろう衝撃にジャミルは思わず目をつぶった。

「器用な敵だな」

 しかしジャミルが聴いたのは矢が肉を破り骨を砕く音ではなく、涼しげなアシュリーの声だった。恐る恐る目を開くと目の前に静止した矢じりが見えた。その矢はアシュリーの手に握られている。驚いたことにアシュリーは飛ぶ矢を空中で掴み止めたようだった。

「危ないところだったな」

 目を丸くしているジャミルを小気味よさげに見下ろし、アシュリーは掴んだ矢をくるりと回した。 

「それで、どうするのだ?」

 三度の質問にもジャミルはアシュリーを睨み返すだけで言葉を返さなかった。アシュリーが呆れた声を出す。

「意固地な奴だな」

 手綱を握り直したジャミルはそこで異変に気付いた。

(手に力が入らない――?)

 よく見ると手が震えていた。ピリピリとした痺れの感覚が指先から肘へと走る。アシュリーを見ると同じ異変を感じているようで、指を見ながら眉をしかめている。気付けば馬の脚も鈍ってきていた。

「これは……毒か?」

 これに似た感覚がジャミルの記憶にあった。ジャミルは子供の頃、草はらで遊んでいて蛇に咬まれたことがあった。手先から痺れが広がっていくこの感覚はまさにそのときの記憶そのままだった。

 徐々に速度を落とした馬はついに足を止めた。だがもはや手綱を握る力もないジャミルにはどうすることもできなかった。






「馬車が止まったか!」

 ジャミルの乗った馬車が停止したのを見たカザルは歓喜の声を上げた。

 カザルの手には朱塗りの指揮棒が握られている。指揮棒には金字で文字が刻まれ、そこから文字列が浮かび上がり演算を巻いていた。術具である。

「作戦通りだ」

 カザルは満面の笑みでこの術具を叩いた。

 この術具には風の流れを操る演算が刻みこまれていた。この演算は風刃のような直接的な攻撃力はないが、弓兵の射撃を支援することによりその戦闘能力を飛躍的に高めることができた。この演算を仕込んだ術具自体は比較的多く作られ戦場でその力を発揮したが、カザルは高名な職人に依頼しこの術具に特殊な機能を加えていた。

(しかし、なかなかの効果だったな。大枚はたいて作らせた甲斐もあったというものだ)

 指揮棒には先端に無数の小さな穴が開いていた。そこからはかすかに黄色い液体が滲んでいる。それはバズと呼ばれる毒蛇の牙から抜いた毒を濃縮し、揮発性の高い液体と混ぜ合わせたものだった。バズの毒は神経に作用し身体を痺れさせる効果がある。これを濃縮したものは吸引しただけでも痺れ薬としての効力を発揮した。そして何よりこの毒の大きな特徴は無味無臭であることだった。カザルはこの毒を風の演算と組み合わせた。毒は風に乗り気付かぬ間に敵を襲う。この術具を用いれば多数の敵も一気に無力化することが可能であった。

 この毒をカザルは使用した。もとより直接戦闘ではあの金髪の術士の女に勝機がないことは先ほど思い知らされた。兵士たちの恐怖心もある。そこで弓矢による遠距離攻撃を行ったが、これで倒せるほど甘い相手ではないこともわかっている。実際演算による奇襲の一矢を放ったが、それも軽々と止められてしまった。あの金髪の女はこちらの演算を完全に読んでいる。矢の動きを予測して飛ぶ矢を素手で掴み止めたのだ。

 これほどの敵であったから、ただ風の演算に毒を乗せるだけでは警戒心を抱かれ、演算そのものを妨害される恐れがあった。そこでこちらの意図に疑いを持たれぬよう矢による攻撃を支援する風に交えながら徐々にこの毒を流したのである。

 この作戦は図に当たった。その効果は崖下の様子が物語っている。

「ウルバンが来たな」

 本道を下ったウルバン以下の三騎がつづら折りの坂を下り切り崖下に姿を現した。カザルは演算で風を作り、崖下に溜まった毒を払う。これでジャミルを生け捕りにすることができる。

(見たかワザン、これで貴様の無能は白日に晒される。くくく、あのすまし顔が苦渋に歪むと思うと堪らんな)

 その想像にひとり悦に入ったカザルは、ウルバンらの馬が停止したジャミルの馬車に近付く様子を、まるで騎士道物語の最後の場面で、栄光の象徴である花嫁たる姫君を迎えに祝福の花道を走る騎士を見るような思いで見守った。

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