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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
37/73

「カラの街」7

「おお、久しぶりですね!」

 ジャミルが案内された部屋の扉を開くと、主人のタラスが手を差し出して迎えた。

「お久しぶりです、タラスさん。息災でしたか?」

 ジャミルはタラスの手を両手で握る。ふくよかな丸い手だった。タラスは恰幅のよい体型を上等の毛織の胴着で包んだ四十半ばの男だった。珍しい顔貌の持ち主で、頭の大きさに対して目鼻の部品が小さい。滑稽にも見える造作(ぞうさく)だったが、それがかえって笑顔になんとも言えない愛嬌を加え、柔和な印象を見る者に与えていた。

「東の夜空に蒼い梟が光の群れを連れて飛んでいくのを見たときは、さてこれからどうなることやらと思いましたよ。慌てて梟除けの篝火(かがりび)など焚いたものですが、こうして戦火に巻き込まれずに済んで、ホッとしておりますよ」

 蒼い梟は死者の魂を連れていく。戦争や災害、疫病などで一度に多くの人が死んだ場所では、光の玉となった死者の魂を引き連れて飛ぶその姿を見ることがあった。それを見て人々は遠くでたくさんの人が死んだことを知るのである。それは忌むべき死が近づく光景であり、否応なしに人々の不安を掻き立てた。梟は明るい光を嫌うと言われている。そのため蒼い梟を見た人は篝火を明々と焚いてこれを払うのである。

「しかし、ずいぶんと酷い格好ですね」

 タラスはジャミルの手を固く握りながら、その愛嬌ある小さな目をくりくりさせて、ジャミルの身体を上から下に見回した。

「お恥ずかしい。森の中を長く歩いて来たもので。しかし収穫はありましたよ」

 ジャミルはそう言って背中の荷を下ろし、口を開いてみせた。

「ほう! 鹿の角に毛皮ですね。なるほど、これは収穫です」

 タラスは興奮気味にふんふんと何度もうなずいた。戦争による流通麻痺は、エダ山地の特産品である鹿の角や毛皮の市場への供給を減少させていた。特に時期が繁殖期を過ぎ鹿の角が落ちる晩春から初夏にかけてである。ジャミルは価格の高騰を予想していたが、タラスの反応はそれを裏付けるものであった。

「これを買っていただきたいのです」

 タラスが眉を上げた。愛嬌あるつぶらな瞳に鋭い光が走った。

「まあ、立ち話もなんでしょう。こちらにお掛け下さい」

 タラスはジャミルを応接テーブルへ導き、ソファーに掛けるよう勧めた。

 ジャミルがカラの街を訪れた理由は二つあった。一つは家族が囚われているだろうフォルクネの情報の収集。そしてもう一つは路銀の確保だった。

 王子に仕立て上げられたジャミルは、その身分にふさわしく装飾品こそ豪勢に飾り付けられたが、手持ちの金銀は一切与えられていなかった。装飾品の中には換金できそうなものもいくらかあったが、それらも戦闘で爆炎に巻かれた時に焼け焦げたり、河に流された際に失うなどし、何一つ残っていなかった。完全なる一文無しである。この先のことを考えれば、暗然とした想いに駆られてしまう問題であった。

(売れそうなものといえばこの外套ぐらい……)

 街道を目指して森を歩きながら、そんな考えを浮かべた自分をジャミルは必死に否定した。

 アセリナの小屋に戻り、魔女の森を出る準備を始めると、アセリナが着るには明らかに大きい毛皮の外套を見つけた。

「そういえばそんなこともしていたな」

 それはジャミルがここを出るときのためにアセリナが自分の外套を仕立て直したものだった。寸法はジャミルの身体にきちんと合わせられ、袖丈の狂いもなかった。

「うれしいか? まったく、甲斐甲斐しい女であったな」

 その時にニヤニヤと、アセリナと同じ顔とは思えない不粋な笑みを浮かべたアシュリーにジャミルは不快を覚えながら、この外套の肌身に染みるぬくもりにアセリナの、たとえそれが過去の人間に向けられていたものであったとしても、深い愛情を感じ、そっと目尻を指で拭った。

 アセリナの心に触れながらも、他に小屋からは換金のできそうな品は見つからなかった。仕方なく小屋にあったいくらかの食糧を背嚢に入れただけで出発することになったのだが、この後に問題解決の手段が意外なところから現れたのだった。

「お、うまそうな鹿だな」

 不老不死だと言いながら「腹は空く」とのたまうアシュリーが、「干し肉や木の実のパンには飽きた。腹一杯に新鮮な肉を食いたい」と、森で見かけた鹿を狩ってきたのである。

 アシュリーの風刃の演算は木々を縫って鹿の群れを駆け抜け、不運な鹿の首を五頭ばかり跳ね飛ばした。

「どうだ」

 得意げに胸を張るアシュリーに目もくれないで、ジャミルはその哀れな鹿の長く伸びた角に光明を見たのである。

「ディオフ金貨で十枚」

 タラスと対面で席に着いたジャミルは、商品をテーブルに並べると開口一番にそう言った。

「ははは、よい値ですね。例年の倍の値だ」

 鹿の角を一本ずつ手に取り確かめるタラスは柔和な表情こそ崩しはしなかったが、ジャミルを見返すその目はかけらも笑ってなどいなかった。

「例年とは情勢が違いますから」

「それはごもっとも」

 タラスは呼び鈴を鳴らした。小間使いが部屋に入ってくるとお茶の用意をするようタラスは言付けた。

「お疲れでしょうし、お茶でも飲みながらじっくりと話をしましょう」

 タラスの商売は堅実だった。気ぜわしく結論を早めて損を取ることを避ける。その一面、畳み掛けるような交渉で相手に一方的な損を与えることも好まなかった。ジャミルがこの街でタラスを一番信頼し懇意としている理由が、このタラスの商売に対する姿勢だった。

「おっしゃる通り、鹿の角は高騰しているでしょう」

 お茶が運ばれてきた。茶器が二人の間に並べられる様子を見ながらタラスがおもむろに口を開く。

「しかし、私もどの程度の高騰か見当が付きかねているのですよ」

 カラの街は反乱軍の残兵狩りのために封鎖されていた。これは流通からの疎外を意味する。この現状においてタラスは、値段を決めるための情報が不足していると言うのである。

「ですが、今日にもこちらに駐屯している兵隊の方々は撤退なさるという。ジャミルさんがこの街に入れたのもそのためです。この駐屯部隊の隊長はカザルという男なのですが、なかなかに横暴な男でしてな。昨日までにこの街を訪れたものは問答無用に拘束されて、尋問とは名ばかりの拷問を受けていたのです。このタイミングで街に入れたジャミルさんは本当に運が良い」

 タラスはカップを口元に運ぶと、お茶の香りを楽しむように軽く鼻で息を吸った。

「クス茶です。ジャミルさんも遠慮なさらずに」

 そう目で勧めながら、タラスはカップに口を付けた。

「つまり時間が欲しいと」

「そういうことです」

 鼻に抜ける爽涼な香りはクス茶の特徴だった。クスは山地に自生する灌木で、その葉を天日で乾燥させると香りのよい茶葉になる。渋みのあるお茶であったはずだが舌に浸けた味は甘い。蜂蜜を混ぜてあるのだろう。ジャミルはこのクス茶を味わいながらも、このタラスの堅実さをどう崩すか目まぐるしく思考を回転させていた。封鎖が解かれるということは、流通が回復するということである。しかし流通が回復したからといって、すぐに鹿の角が市場に供給される訳ではない。タラスとしては外部の市場価格がはっきりした段階で適正な価格を付けても、鹿の角の供給が本格化する前に売ることができれば十分な利益を見込めるのである。急いで値を決める理由はないということだった。しかしジャミルには待つという選択肢はなかった。そもそも滞在費がないのである。だからといって簡単に買い叩かれるなどジャミルの商人としてのプライドが許さなかった。

「ところで、撤退とは情勢に変化があったのですか?」

 ジャミルは交渉の糸口を探そうと話題の向きを変えた。

「兵隊の話ではフォルクネが解放されたとか」

「フォルクネが?」

 ジャミルの胸が跳ねた。後でじっくりと情報を聞き出そうと思っていた目的の街の名が思いがけずに登場し、ジャミルは驚きにカップのお茶をこぼしそうになった。

「大丈夫ですか?」

「え、ええ」

 タラスはジャミルの驚きぶりに怪訝な表情を見せながら話を続けた。

「なんでも占領していた反乱軍が逃走してしまったとか。これで反乱はほぼ終息したと見てよいでしょうね。それとラーダの軍勢がベスラに現れたという話です」

 あまりにも目まぐるしい情勢の変化だった。ジャミルはじりじりと背中を焼くような焦燥が湧き上がってくるのを感じた。情報の有無優劣は商売の死命を決する。商人のさがと言えばそれまでだが、この情報からあまりにも長い時間、離れていたという現実に、ジャミルは強い衝撃を受けたのである。しかし同時に、ジャミルは直感的にこの情報の持つ意味に気付き、交渉の切り口を見つけていた。

「ですがあのベスラの要塞が抜かれることなどないでしょう。東方の品がやや高くなるでしょうが、それほどの心配の材料にはなりませんでしょう」

 黙り込んだジャミルを見て、タラスは不穏な情勢の変化に不安を抱いたものと勘違いしたのか楽観的な口調で自分の見解を示した。再びクス茶に口を付けたタラスは、そこでふと思い出したかのように雑談を始めた。

「そういえば反乱を起こした王子の名前を知ってますか? なんと貴方と同じジャミルといったらしいのです」

 笑って話すタラスに、これにはジャミルも思わず口元をほころばせた。同じも何も本人である。ジャミルは腕を広げ自分の身なりを見返して、タラスに笑みをこぼした。

「この姿で王子なら、この国の男は全員王子になってしまいますよ」

「ははは、私も王子ですか。これはこれは……」

 タラスが厚い胸板を反らせて笑う。ジャミルはそこで笑みを抑えて話を戻した。

「しかし反乱が鎮圧されたなら、この街道もすぐに賑わいを取り戻すでしょうね」

「ええ」

 タラスがうなずくのを確かめてからジャミルは言葉を継いだ。

紅沙こうさを求める商人もすぐに訪れるでしょう」

 ジャミルの意図を探るようにタラスは眉を上げ、その目の動きを止めた。そこでジャミルは微笑み、次の提案をした。

「そこでですがこの鹿の角と毛皮、ディオフ金貨四枚と紅沙二ペーク(ペークとは小サイズの麻袋。またこの袋一杯に入るだけの量を指し体積の単位として用いられる。重量は小麦粉で約五キロ)と交換できませんか?」

「なるほど」

 タラスはじっとジャミルの顔を見る。その大きな顔に小さくまとまった目と口にじんわりと笑みが広がっていく。そしてタラスはついに破顔し、その丸いふくよかな手をジャミルに差し出す。

「ジャミルさん、貴方は手強い商人です。これからもよい取引ができそうですね」

 ジャミルはこの言葉に深くうなずいて返し、タラスの手を固く握った。

「ありがとうございます」

 交渉成立だった。

 流通麻痺により価格が高騰しているのは鹿の角だけではない。カラの街の特産品である紅沙もその一つだった。しかし鹿の角と紅沙には大きな違いがあった。在庫の数である。鹿の角は採集の季節を迎える前に戦争が起きてしまったため在庫がなかったが、紅沙はカラの街の倉庫に常時一定量の在庫が置かれていたのである。この状態を想定したジャミルは鹿の角を現金分は例年よりも安い値で提示し、残りの代金を売り先なく在庫として積まれている紅沙で代えようと提案したのだった。これによりタラスは他の商人に先んじて鹿の角を商品として捌け、ジャミルも誰よりも早く紅沙を他の街に運び、それぞれに高値で取引することができる。タラスはその意図と利益にすぐに気付き、即決で快諾したのだった。

「さて、商談が成立したところで、少しくつろぎましょうか。とりあえずその旅塵を落としたらいかがですか? 湯の用意をさせましょう」

 タラスはソファーにゆっくりと身を沈めると、ジャミルにそう勧めた。

「お言葉ありがたいのですが、できれば早く次の街へ向かいたいので……」

 ジャミルも身体を洗いたいのはやまやまだったが、路銀の都合がついたのであれば早くフォルクネに向かいたかった。特に解放されたフォルクネで、家族がどうなったか一刻も早く知りたかった。それにアシュリーを長く待たせているのも何かよからぬ行動を起こしそうで怖いものがある。

「ははは、ジャミルさんは働き者ですね。確かに『商機は水の如く流れ、星の如く墜ちる』とは古の先達もおっしゃったこと。わかりました。ではすぐにこちらに運ばせましょう」

 タラスは都合よくジャミルの返事を解釈して笑った。再び呼び鈴が鳴らされる。タラスは小間使いにディオフ金貨四枚と紅沙二ペークを持ってくるよう命じた。

「それでジャミルさん、次はどちらに向かわれるのですか?」

「フォルクネへ行こうと思っております」

「フォルクネ! なるほど、あの街も交易が通わなくなっていましたから、商売の話も期待できますでしょうな。もとより交易都市です。紅沙も高く売れますでしょう。……しかし、治安はどうなっているでしょうか?」

 それこそジャミルの一番聞き出したい情報だった。

「解放されたと先ほどおっしゃられていましたが、他に近況を伝え聞いては……?」

 身を乗り出して訊ねるジャミルにタラスは首を横に振った。

「いえ。なにしろ兵隊をもてなした対価程度の情報ですからね」

「そうですか……」

 ジャミルが肩を落とす。それと同時に扉をノックする音が聞こえた。

「ご主人様、お持ちしてまいりました」

 三人の小間使いがそれぞれに金貨の入った袋と紅沙の入った麻袋を持ってきた。タラスがそれらをテーブルに置くよう指示する。

「ジャミルさん、四ディオフに紅沙二ペークです。ご確認を」

 ジャミルがそれぞれの袋の口を開く。ディオフ金貨の黄金の光沢とひんやりとした手触りを確かめ、小石状に固まった紅沙の粒を指で潰して不純物の有無を調べる。

「確かに」

 開けた口を縛り直し、ジャミルはタラスにうなずきを与えた。背後の扉が大きな音を立てて押し開かれたのはその直後だった。

「ご、ご主人様!」

「何事だ?」

 部屋の人間の視線を集めた家人は、慌てふためいた口調で主人に訴えた。

「へ、兵隊が屋敷に押し入って来ました! 偽王子のジャミルを出せと……」

「ジャミル?」

 タラスが聞き返す間もなく部屋に武装した男たちがぞろぞろと入ってきた。

「いたぞ!」

 先頭に立つ背の高い兵士にジャミルは見覚えがあった。街に入るときに最後までジャミルを疑いの目で見ていたあの兵士である。この兵士の上げた声に他の兵士も反応し、ジャミルを取り押さえようと掴みかかってきた。

「あっ」

 そのときその背の高い兵士が何かに躓いたかのように転んだ。後ろに続いた兵士もまさか前が転ぶとは思っていなかったのだろう、避ける間もなく転倒に巻き込まれた。そしてこの場にいる全員が目を瞠った。何もない空間に折り重なる兵士を見下ろす影が突如として浮かんだのである。

「ほれ、言わんことがない。よくばれぬと思ったものだな」

「アシュリー!」

 わずかに残る演算の帯がほどけると流れるような金髪がなびいた。そして最後に現れた顔は白磁のような肌に微笑を浮かべ、得も言われぬ美しさを薫らせた。ジャミルは驚きにぽかんと口を開けていた。いつからそこにいたのかまるでわからなかった。その突然の出現とそのあまりの美貌への驚きに言葉を失い立ち尽くす一同の中で、不意に声が下から起こった。

「あ、貴女はやっぱり……」

「ん、お前は……?」

 倒れている長身の兵士がアシュリーへ向かって叫んだ。

「手配書に“金髪金目の女を連れている可能性が高い。女の美貌、古の七賢者、秀麗なるフリュネにも劣らず”とあったのはやはり貴女だったのですね! これで間違いない、あいつがジャミルだ!」

「なぬ?」

「この馬鹿!」

 ジャミルは金貨の袋を懐に突っ込んで紅沙一ペークを左脇に抱えると、右手でアシュリーの手を引いて部屋の外へと逃げ出した。

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