「カラの街」2
「まったくせわしい話だな」
撤収の指揮を執りながら、カザルは隣に立つ副長のウルバンにそうぼやいた。
「ラーダが来襲したとあれば致し方ないでしょう。フォルクネの敵残留部隊の逃散も確認されましたし、もうここに長留する意義もありません」
「ふん。理屈だなウルバン」
ウルバンの返事にカザルは鼻を鳴らした。
「ワザンの奴めの読みが甘かったんだよ。ラーダがこの国を狙っているのは百年前からの常識だろうに、ベスラからも兵を割いてこちらに傾注したのだ。あの貪欲な蛮族どもがこの隙を見逃す訳がないだろう」
カザルは顔だけ振り向き、朱塗りの指揮棒をウルバンの鼻先に示す。ウルバンが避けるように少しあごを引くのを見てカザルは笑った。
「速やかに反乱鎮圧をするつもりだったのだろうが、エルナンを逃したばかりに、こんなところに十日もくぎづけだ」
ウルバンから視線を外すと、カザルは手首を返し指揮棒の尖端を地面に向けた。
カザルの部隊は反乱軍との戦闘の勝利後、ワザン・オイガンの命令でエダ街道の宿場の一つであるカラの街に進駐していた。
カラはエダ山地に東から入って初めにある宿場街である。五十年ほど前に行われた街道改修の際に、街道沿いにあった村を宿場として整備した街だった。
街は山の斜面が比較的に緩やかな場所にあったが、平坦な土地は街を東西三百ムルーナにわたって横断する街道沿いのわずかな土地だけで、多くの家屋は街道を挟んだ上下の斜面に立ち並んでいた。高低差は最大で五十ムルーナにもなり、坂と階段の多い街になっていた。
この街を特徴的に彩るのは家々の屋根を染める光沢のある赤である。向かいの山に走る街道から遠景に見ると緑の山並にはっきりと浮かび上がる。この赤は朱沙という塗料の色である。朱沙は鉱物であり、水に溶かし水銀と混ぜ合わせて火で煮詰めると、光沢のある膠のように粘り気の強い液体になる。これを塗布剤として使用すると優れた防腐、防水効果を発揮した。希少な鉱物であったが、三十年ほど前にカラの街の近辺に採掘地が発見されてからは、この土地の主要特産品として街の発展に寄与していた。カラの街が高価な朱沙を屋根の塗料としてふんだんに使用しているのは、これが理由である。
「いい加減この趣味の悪い赤屋根にもうんざりだ。ほら、お前らもっときびきび動け! 今日の午後には出発するんだぞ。夜通しに歩きたいのかっ!」
カザルは広場に一際高くそびえる聖堂の赤屋根を見上げて悪態をつくと、指揮棒を振るい広場で荷造りを行う部下たちを叱咤した。
広場の幅は二十ムルーナ程度だろうか。建物に囲まれた狭い広場には、ひしめくようにテントが並んでいた。これは部隊全員の宿舎を確保できなかった為である。このテントを一隊五人、七隊に分かれた兵士たちがてきぱきと解体作業を行っていた。
「たたんだものから馬に載せろ! そこ、手が空いたなら隣の隊を手伝え! 早く終われば全員出発時間まで休憩にさせてやるぞ!」
広場全体を見回し指示を飛ばすカザルの視界に、こちらへ駆けてくる兵士の姿が見えた。腕に巻いた赤布から、東門に付けた衛兵であることがわかった。
「はあ…はあ……っ、カザル隊長!」
赤ら顔に浮かぶニキビの痕に幼さを残す若い兵は、一息飲み込んで息を整えてから敬礼する。やや背の高いその兵が敬礼に背筋を伸ばすと、カザルを少し見下ろすかたちになった。
「なんだ」
「東門に怪しい男が一人現れました! 商人であると名乗っております!」
若い兵の急き込んだ報告にカザルは顔をしかめた。
「鹿の角と毛皮の買い付けをしてきたと言っております。荷をあらためた限りでは本当のようですが……」
「それで?」
「は?」
カザルに言葉を断たれた兵士は困惑を顔に映した。カザルはもう一度問う。
「それでどうしたのだ?」
「規定に従い拘留して取り調べを……」
カザルの部隊の任務はカラの街の治安の回復とエダ街道の通行の管理だった。エダ街道の西の終結点であるフォルクネは反乱軍の拠点であったため、街道近辺を敗残兵が通る可能性が高かった。そのため街道の管理というよりも事実上の封鎖を行い、全ての通行者の拘束と尋問を行っていたのである。
若い兵士はそのことを確認するように一語一語、言葉を継いだが、それも再びカザルの一言に遮られた。
「今からか?」
撤収準備を進める広場の光景を見遣るカザルに若い兵士は赤ら顔をさらに赤くして黙り込んだ。それを見て口端を緩めたカザルはウルバンに目を向ける。
「さて、ウルバン。商人が訪れたとはどういうことかな?」
上官の問い掛けにウルバンはその目の色を見る。
「商人が一人で来られるようになったということは、それだけ治安が回復したということです。これは我々の任務の成功を意味します。また、現在フォルクネからの敵部隊の逃散を確認し、新たに本隊への合流命令が出ています。この場合古い命令は無効となります」
ウルバンの答えにカザルは満足げにうなずいた。
「そういうことだ」
カザルは兵士に「もう行け」と手を振ると、広場の撤収作業に意識を向けた。
(まったく、仕事に忠実なことだな)
本当のところはどちらでもよい話であった。商人の一人ぐらい縛り上げて出発時間まで尋問するなど、カザルとしては別段構わないことだった。それを敢えて妨げたのは、ただこの若い兵士の意気込んだ態度と自分を見下ろす背の高さに、軽い苛立ちを覚えたからだけである。
(まあ、これ以上ワザンの言うことを真面目に聞いているのもバカらしいからな)
加えてカザルにはそういう感情があった。
(そもそも、この私の功績に対して、今のこの地位などありえんことなのだ……)
「……ですが」
不意の声にカザルはまだあの若い兵士が立っていることに気付いた。
「まだいたのか。持ち場に戻れ」
露骨に不快を顔にするカザルに、兵士はなお食い下がった。
「ですが、手配書の中にその男と特徴の合う者が……」
「誰だ?」
「ジャミルという偽王子です」
ジャミルという名前を聞いてカザルは鼻で笑った。
「お前の名前はなんという?」
「シムスですが?」
突然の質問に戸惑いを見せるシムスに向かい、カザルは指揮棒でその黒い髪を指し示した。
「ならばシムス君、私はキミを拘束せねばならんな」
その言いたいことを悟ったシムスは唇を強く結んだ。
「黒髪の若い男など特徴にもならんのだよ。それにジャミルの手配書には妙な追記事項があっただろう」
「“金髪金目の女を連れている可能性が高い。女の美貌、古の七賢者、秀麗なるフリュネにも劣らず。その姿を確認した場合は決して手は出さず、その行動を監視すること”とあります!」
シムスの返答にカザルはゆっくりとうなずく。
「その男は一人だろう? ならばジャミルではない……」
カザルは指した指揮棒をシムスの頬に押し当てる。シムスの顔が圧されて歪んだ。
「そうだな!」
歪む頬にも真っ直ぐこちらを見るその目つきに、カザルは怒気をはらんだ一声を浴びせた。
「はっ!」
シムスは背筋を伸ばして敬礼すると東門へと走っていった。