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黄金の竜  作者: ラーさん
第二章「竜との旅」
31/73

「カラの街」1

 薄雲の切れ間から射した月明かりが、血に浸みた地面を淡く照らした。

 静寂に沈む戦場には、敗者の残影が累々と倒れ、誰にも弔われぬ哀しみを、立ち揺れ草と共に月風に晒している。

 その上を飛ぶ孤影があった。

 月光に浮かぶ羽根を蒼く羽ばたかせ、月影に碧玉の夜目を鋭く光らすふくろうが、死者に静まる戦場の上を、ぐるりぐるりと巡り回り、蒼い軌跡の輪を描く。

 そのうちにくさむらに眠る亡骸に、ぽつりぽつりとほのかな光が浮かんだ。

 むくろから抜け出した光は七色に明滅してふらふらと、しばし迷い惑うように揺れ浮かぶと、やがて何かに誘われるように、ゆっくりと闇夜を昇っていった。

 梟の蒼い翼が大きく舞った。

 虹色の蠱惑に燈る幾千もの光玉こうぎょくは、梟に従うように群れ集い、梟が蒼い輪から離れ、ぐんと高く飛んでいくと、光玉もその後ろに続いて薄雲を越え、月夜に溶けるようにして消えていった。

 雲が流れ、月が再び閉じる。

 静寂はまた暗闇へと還る。






 肩に食い込む麻紐に、背の荷の重みを感じながら、ジャミルは山道を登っていた。

 夜気に名残る風は肌に心地よい緊張を与える。吐く息は山道に横射す朝陽の弱さに白く輝いた。

「ふむ」

 風を追って見上げれば木々の枝葉はさわさわと、朝露のしずくを煌めかせる。

「よい風だな」

 ジャミルの隣を歩く「それ」は外套のフードを外し、明け空に風を求めた。フードから溢れた金の髪が風にそよ吹くと、柔らかい光沢がきらきらと朝焼けを反射する。

「顔を出すな」

 ジャミルは眉をひそめ、「それ」をたしなめる。

「お前の顔は目立ち過ぎる」

 ふくよかな紅い唇をついと上げ、「それ」はジャミルの言葉遣いをなじった。

「お前とはまた随分だな。呼び方は取り決めたであろう。なあ、ジャミルくん?」

 細めた金目にからかいを浮かべる「それ」に、ジャミルは渋々という表情でその名を呼んだ。

「……アシュリー、顔を隠してくれないか」

「ちゃんと言えたではないか、ジャミルくん」

 子供を褒めるような口ぶりのアシュリーに、ジャミルの顔は苦り切った。

 アシュリーと呼ぶことになった「それ」と、ジャミルが魔女の森で出会ってから既に一週間が経っていた。

 魔女の森を後にした二人は街道へ出た。王都クラクフから西に伸びてエダ山地を越え、ナザ盆地の主都市フォルクネへと至るエダ街道である。

 二人はこの街道を西に進んでいた。

「そんなに照れるな。あまり冷たく言われると、かえって気があるのかとドキドキしてしまうではないか」

 自分の肩を抱いてふるふると身体を揺すり、嬉々と戯れ言を垂れる「それ」に、ジャミルはため息を漏らすしかなかった。

(これが本当に伝説の「竜」なのか?)

 呼び名についての顛末は次の通りである。

「なんて呼べばいいんだ?」

 街道へ向かう途中にそう尋ねたジャミルへ、「それ」は怪訝な顔を向けた。

「私の名は竜だ。それ以外の呼び名はないぞ」

「そうだろうが……」

 「竜」という言葉には、人に忌避の感情を与える不思議の響きがあった。これは神話の怪物であり、かつて世界の支配者であった存在への畏敬があるからなのだろうか? その言葉を名前として呼ぶことにジャミルは抵抗を覚えた。

「呼び難いというのであれば、好きに呼べばいい。なんなら『愛しのアセリナ』と私の耳元で囁いてもよいのだぞ?」

 顔貌かおかたちが同じであっても、冗談にニヤニヤとジャミルの反応を観察する「それ」が、あの清楚で慈しみに満ちたアセリナでないことははっきりとしていた。アセリナに恩義と負い目を感じているジャミルにとって、「それ」をアセリナと呼ぶことこそ、最も避けたいと思っていることであった。

 「それ」はジャミルの葛藤を愉しむように、しばしその沈黙を眺めると、やがて許しでも与えるかのように一つ提案をした。

「嫌、か。ならそうだな……アシュリーというのはどうかな?」

 アシュリーとはアセリナの読み換えである。語韻としては古風な読み方であったが綴り自体は同一である。

 たいした差はないではないかと内心思うジャミルの反応の悪さに、「それ」はやれやれといった感じで肩を竦めた。

「これも嫌だとなると、『麗しの我が女神アセリナ様』ぐらいしか、私には他に思い付かんが……」

「アシュリーにさせてくれ」

 そういう次第である。

 このような軽口と冗談ばかりをたたき、困惑するジャミルを見ては嗤う「それ」の諧謔趣味に、ジャミルはだいぶ辟易させられた。

(アセリナさんはよくこんな奴と五百年も一緒にいられたな)

 ジャミルのため息は深々と、白く漏れて山道に散った。

 二人が歩く街道は山林の斜面を切り崩して造られていた。幅は八ムルーナ(一ムルーナは約一メートル)ほどで馬車が二台すれ違える程度の広さがある。舗装こそされていなかったが、砂利もなく踏み固められた道は、この街道の往来の多さを示していた。

 しかし、今この街道を歩く人影は、二人以外見られなかった。

「いいから顔を隠してくれ」

 きらびやかな金の長髪を無造作に流し、金の瞳に妖しい微笑を湛えるアシュリーは、遠目からでも見た者の記憶に残る美貌を持っていた。だがそれは逃亡の身であるジャミルにとって、危険を招きかねない美しさであった。

 しかしジャミルの懸念にアシュリーは形の良い眉を上げて反論した。

「人などまるで見ないではないか」

 事実、昨日の昼過ぎに街道に出てからここまで、一人の旅人にも出会わなかった。

「それともなにかね? そんなに私の美貌を独り占めしたいのかな?」

(何が私の美貌だよ。容貌はアセリナさんのものじゃないか)

 心中の毒づきをおくびにも出さず、アシュリーの軽口にジャミルは皮肉で答えた。

「戦争を避けて旅行者が減ってるんだよ。人が少なくてただでさえ目立つのに、そんな『美貌』まで出していたらますます目立つだろう」

 エルナンが挙げた兵はエダ街道を東に王都クラクフへ向けて進軍し、その途上で王軍の迎撃を受け撃破された。この戦いに巻き込まれるのを避ける為、エダ街道の往来は完全に途絶えていた。

「ふん、小心者め。どんな危険があろうが、私が護ってやるというのに」

「余計な仕事をさせたくないという親切だよ」

 本当のところ、それこそがジャミルの一番の懸念だった。

 見渡す限りの森を一瞬で焼け野原に変える力の持ち主である。街など瞬時に消し飛ばせるであろうし、おそらく万の軍隊が相手でも同様だろう。アセリナが封印を考え森に引きこもったのも頷ける話だった。

(アセリナさんの意志を考えれば……)

 その力を使う機会を可能な限り与えたくなかった。

「はは、人間が私に親切とは! まあ、私を頼らんというのは殊勝な考えだな。……わかったわかった。隠せばよいのだろう、隠せば」

 ジャミルの返答に愉快そうに手をひらひらと振って、アシュリーはフードをかぶり直した。ジャミルも、自分のフードをより目深にかぶり直す。

 山道は長く延びている。

 陽射しは徐々に高くなり、大気が初夏の熱を帯び、新緑が鮮やかさを増していく。暖められた若芽は濃い芳気を放ち、風が吹くと鼻先に薫り、かすかな肌の汗ばみと絡まって心地よい刺激を残していった。

 ジャミルは黙々と背の荷を揺らし、その後ろをアシュリーが手を所在なげにぷらぷらと、青い山稜を見遣りながら続く。

 過ぎ行く雲が時折冷めた影を落とす。

 視界をかすめ道端に飛んだのは蝶か。

「ふむ」

 アシュリーはととっと駆けて蝶に寄り、ささっと素早く両手を伸ばす。

「ほれ」

 戻ってきたアシュリーが閉じた手を開くと、青い羽根の蝶がふわりと飛んだ。

「なんだよ」

 不審顔のジャミルにアシュリーが不満顔を返す。

「また、随分だな。こういう戯れを男は喜ぶものではないのかな?」

 ジャミルはため息を深々とつき、頭を左右に重く振った。

「退屈なんだな」

「いい加減、歩き疲れたからな」

 飛び去る蝶を目で追うアシュリーに、ジャミルは山向こうを指差した。

「もうすぐ宿場街に着く。ほら、あそこに見えるだろう」

 反対側の山の中腹の斜面に家並みが張り付くように立ち並ぶのが見えた。板葺きの屋根を色付ける赤は光沢のある塗料でも用いているのだろうか。陽射しにきらりと反射する。

 アシュリーが眉を上げた。

「おや、街など入れば目立つのではないのかね?」

「わかっているよ。けれど旅をするには足りないものが多過ぎる」

 背の荷を揺すってみせるジャミルに、アシュリーは肩を竦めてみせた。

「まあ、好きにするがいい。さっさとお前の用事を片付けて、私の身体探しに協力してもらいたいからな」

 その言葉にジャミルの意識は遠く西の空へ飛んだ。

 西の雲は厚い。

 よぎる不安を振り払うようにジャミルは強く足を踏み出した。


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