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黄金の竜  作者: ラーさん
第一章「黄金に輝けるもの」
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「復活」6

 ――我が名は竜、神の秘密なり


 ワザンが立ち止まったエミリアの姿を見たとき、その(うた)静闇(せいあん)とおり抜けた。


 ――汝ら全生命の頭なり


 エミリアの横に並んだワザンは、そこに黄金の光に包まれた魔女の姿を見た。

 魔女は笑っている。

 その妖艶な笑貌は金色の輝きに彩られ、紅い唇は慈しみでも浮かべるように薄く甘い吐息でうたう。残酷なまでに美しいその艶笑えんしょうに、ワザンは言いようのない震えが身体の芯を走り抜けていくのを感じた。それは官能の痺れにも似た、肌を目覚めさせる戦慄だった。

(な、なんだというのだ)

 その震えの正体は、畏怖であった。ワザンはこの事実に気付きながら、自らのおののく心を否定するように、その存在を睨み付けた。

 魔女は詠い続ける。


 ――我が父は光


 それは古い詩だった。遥かいにしえの竜の世に、竜にかしづいた、とある名も無き詩人が残したという、それは古い古い詩だった。

 しかし、この詩はワザンの知っている詩とは少し異なっていた。


 ――我が母は闇


 この詩は竜を讃える詩である。人称は「彼」であるはずだった。


 ――我が名は竜、この世に来たり


 なのに、耳に聴こえるこの詩は、何故か「我」と詠っている。


 ――竜は神なり


 その意味を直感したワザンは、携える竜の血をその両手に球形に集めると、硬直したかのように動かないエミリアの前に立った。

 竜の血が震えている。


 ――神は竜なり


 それが己の心の震えによるものか、それとも竜の血自体の震えによるものか、ワザンには判別することが出来なかった。






 ――完全なる(ことわり)が来たぞ、全ての理なり


 ジャミルは金色に変貌したアセリナの姿を、ただ驚きに見上げていた。

 アセリナが優美な視線を右手に流すと、その手はゆっくりと伸び上がり、指の先までしなやかに走っていく。


 ――全ての生命よ、歓喜せよ


 ジャミルはその詩を知らなかった。しかしアセリナの甘美な調べは聴く者を調伏させる、高貴でいて高慢な韻律を含んでいた。

 アセリナが視線を左手に流すと、その手は悠然と舞い上がり、指の先まで雅やかに伸びていく。


 ――神の封印が来たぞ


 左右に開かれた両の手が、再び閉じて身体を抱くように交差する。

 敵の姿が視界の端に映った。けれどジャミルはこの艶美えんびに薫るアセリナのたおやかな所作から、目を離すことが出来なかった。


 ――真実の体現であるぞ


 閉じた両手が翼を開くように解き放たれた。


 ――(ひざまづ)


 その瞬間、アセリナを中心に巨大な演算が展開されるのをジャミルは見た。






 空間を演算が支配した。

 淡く輝く文字列が波濤の如くに森に広がり、視野の全てを覆い満たす。

 その事態を理解したワザンは、込み上げる恐怖に身体の自由が奪われていくのを感じた。

(なんということだ――)

 これほどまでに巨大な演算を、しかも瞬時に展開できる存在など、ワザンの知識にはないものだった。

 演算はその術式を書き込んだ範囲のエーテルの作用を変換して、任意の現象を導き出している。つまり、空間を演算で満たすということは、その空間に起こる現象の支配者になるということだった。

(本当に竜だというのか)

 ワザンにはこの演算の術式の組成が全く解読できなかった。周囲は未知の演算に支配され、その圧倒的存在に、ワザンはただ身を竦ませることしか出来なかった。


 ――来たぞ、来たぞ


 震えるワザンに魔女が微笑む。それは貴人が戯れに卑賎な者に見せる、憐憫の微笑みだった。

 その微笑みがワザンの心に一点の感情を灯す。ワザンの心中に沸き上がり、瞬く間に燃え広がったものは、怒りの感情だった。


(――あの時と同じではないか!)


 ワザンはその時、背後に息を呑むエミリアの声を聞いた。

 ワザンはその時、恐れにざわめく部下たちの気配を感じた。


 ――深淵の闇を引き連れ


 魔女が右手を高く掲げる。


「やらせるものか!」


 その感情は恐怖を上回り、衝動にワザンの硬直を振り払った。

 両手を前に突き出す。球形に固まった竜の血に意志が通い、見る間に姿を変え、薄い被膜となってワザンたちを包んでいく。

(――サンドロ、私に再び加護を!)

 そこにあったのは、純粋な生存への意志だった。


 ――未来永劫の光がやって来たぞ


 魔女が右手を振り下ろした。

 その瞬間に視界を埋める演算がまばゆい閃光に変わるのを、ワザンは揺らぎ薄れる意識の片隅に見た。






 白い光に包まれた世界が、再び闇に呑まれると、そこに見えたのは満天の星空だった。

「あ……」

 森が消えていた。

 見渡す限りに広がるのは、焼け燻る木々の残骸だった。月明かりに照らされたその空虚な光景は累々と続き、所々(ところどころ)に残る野火の赤が弱々しい煙を夜風になびかせていた。

「逃げたか。まあ、その方が都合もいいか……」

 事態を理解できず、呆然と辺りを見ていたジャミルは、その呟き声に心を呼び戻された。

(……違う)

 その声は確かにアセリナの声だった。透き通るように美しいアセリナの声だった。けれどジャミルの耳には、それが別の誰かの声にしか聞こえなかった。

「さて……」

 アセリナがジャミルに振り返る。金色の髪が薄く広がり、風にたなびく。ジャミルの顔を覗く瞳も完全な金色だった。顔貌かおかたちこそアセリナと同じだったが、もはや同一人物と呼ぶには違い過ぎる変化だった。

 ジャミルは畏れに思わず後ずさりながら、その疑問を口にした。


「――お前は誰だ?」


 アセリナの容貌を持つそれは、その困惑を楽しむように、ジャミルを悠然と見下ろした。

「名乗ったはずだがな。まあ、いいだろう」

 その顔に浮かぶのは、アセリナの見せた温もりある慈しみの表情ではなく、冷然とした微笑と残酷な愉悦だけだった。


「我が名は竜。いにしえに世界を統べし、黄金に輝ける漆黒の竜なり――」


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