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黄金の竜  作者: ラーさん
第一章「黄金に輝けるもの」
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「復活」5

 五感を闇が染めた。

 ワザンの攻撃から逃れた魔女を追撃した炎の蛇は、魔女が生み出した闇の内に正体を失い、同調させていたエミリアの感覚までも消し去りかけた。

「エミリア!」

 傾いだエミリアをワザンが腕に抱き留める。ワザンの呼び掛けにかろうじて意識を持ち支えたエミリアは、異常なまでに肥大化した空間認識が急速に縮んでいく感覚に、酩酊に似た錯乱を覚えていた。

 魔女の放った闇は、光を吸収するたぐいの演算だったようだ。今までの反撃の様子から、このような効果を狙ったものではなく、目眩まし程度のものだったのだろうが、闇は蛇炎を構築する炎の輝きを吸収し、蛇炎と一体化したエミリアの意識までも奪い掛けたようだった。

「大丈夫か?」

 ワザンの気遣いにも応えず、エミリアは荒い息を吐きながらくうを睨み、闇に覆われる直前の最後の光景を思い返していた。

 魔女が抱く男の顔。

「……いた」

「なに?」

 エミリアは煩わしげにワザンの腕を振り払うと、よろめきながら二歩、三歩と前に出た。

「……ジャミルがいた」

 辺りに腐臭の澱んだ気配が漂った。エミリアの眼光は集中に研ぎ澄まされ、闇に霧散した竜の血に再び意識が通い、薄く森に広がっていった。

(イメージしろ……)

 それは知覚のイメージだった。蛇炎との意識の同調から、エミリアは知覚だけを空間に拡大するという発想を得た。竜の血の及ぶ範囲の全ての情報が、エミリアの知覚を埋めていく。

 溢れる情報の量に、突き刺すような激しい頭痛を覚えながら、エミリアは夜闇に溶けた竜の血を外へ外へと広げていった。






 アセリナの両手がその手を包むとジャミルは困った顔をして、はにかむように微笑みながらアセリナの指を、一本、一本と解いていった。

 小指が外され、

 心が軋み、

 薬指が外され、

 哀切が熱を持ち、

 中指が外され、

 喉に込み上げ、

 ついに人差し指と親指が、

 名残を引いて離れ別れる。

 失われた温もりになずむ間隙に、ジャミルの言葉が耳を突いた。


「ありがとう」


 言葉は優しく、声音は柔らかく、アセリナの心は掻き乱され、込み上げた喉の熱は全ての逡巡を振り切るように言葉となって声に出た。

 決断の天秤が大きく振れた。


「まだ手段はあるわ」


 過去の憧憬は現在いまの情愛となり、過去の惨劇は未来の惨劇を否定する。

 その手は二度と虚空を掴まず、

 ジャミルの頬を覆い、

 閉じた目に伝わるものは、

 柔らかいぬくもりだけ――。


 唇と唇が触れ合った。


(……ようやく決断したか)

 閉じた視界に声が響いた。

(決断とは取捨の選択だ。捨てたものを惜しむ必要などない)

 アセリナは願っていた。ただ、願っていた。

 それは極めて身勝手な、哀しいまでに身勝手な願望で、アセリナが耐えた五百年もの歳月を無に帰す願望で、流した血も、流れた血も、悲しみに埋もれた全ての惨劇を無駄にする願望だった。

 それでもアセリナは、自分を満たすこのぬくもりの為に願い続けた。

 声は皮肉る。

(人の愛欲に限りはないな)

 しかし、終わりなく願い続けるアセリナに、やがて声は鷹揚に答えを告げた。

(――いいだろう。その願い、聞き届けた!)


 熱は離れた。


 アセリナは驚きに目を丸くするジャミルの顔を見つめた。

 その顔の、目を、鼻を、唇を、髪を、輪郭を、アセリナは愛惜に細む目で、一つずつ、一つずつ、なぞるように愛で撫でる。

(……来たぞ)

 アセリナの手がジャミルの頬を離れた時、あの腐臭が鼻に届いた。

 アセリナは立ち上がった。

「この身体、存分に使えばいいわ」

 夜風に梢が震えた。アセリナの呟きは、葉枝のざわめきにわずかに射し漏れた淡い月光の内に溶けた。

(そうさせてもらう)

 目を閉じたアセリナは、そこに黄金の光を見た。

 光は一瞬でアセリナの意識を灼いた。

 再び目を開けたアセリナの瞳には金色の光が宿っていた。






「……見つけた」

 エミリアは闇の中に人の息遣いを聞いた。それは徐々に輪郭を持ち、確かな肌触りとなってエミリアの五感に伝わった。

「どこだ?」

 傍らのワザンが問う。集中に彫像のように固まっていたエミリアは、跳ねるように顔を上げると迷いなく走り出した。

「行くぞ」

 ワザンが部下に合図を送り、その後を追う。

 まるで猟犬に導かれる狩人のように、集団は暗夜の林間を疾走する。

 やがて先頭を走るエミリアは、走る先に光を見た。

「……なに?」

 それは輝きだった。

 払暁に姿を現した旭日きょくじつの如き輝きが金色を帯びて、その人影から放たれていた。

 人影の髪は金色に染まりたなびき、その肌は微光をまとって艶やかに芳気を漂わせる。

 この世ならぬ存在への直感に、エミリアは思わず立ち止まっていた。

 そして他のなによりも強い輝きが、金色の瞳からエミリアの目を貫いた。

 その顔は、その背格好は、先までに戦っていた魔女の姿だった。けれど魔女は黒髪で、決してこんな金髪金目の容姿をしてはいなかった。

 この変化が意味するものを理解出来ないエミリアは、ただ厳然としたその存在感に、訳もなく背筋をはい上がる震えと、どこからとなく滲み出る冷汗を、無理矢理に抑えるだけで必死だった。

 魔女はそんなエミリアに婉然と微笑み掛ける。


 ――我が名は竜、神の秘密なり


 そして水鏡みずかがみにさざめ広がる波紋の如き澄明な声で、森閑にうたを響かせた。


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