「魔女の森」2
ワザンが魔女の森を訪れたのは二十歳を過ぎたばかりの頃だった。
名門貴族オイガン家の次男として生まれたワザンは、気軽な仮住みの身分を利用して放浪の旅をしていた。父は家政を手伝いもしない放蕩息子と罵ったが、ワザンはまったく痛痒に感じなかった。好奇に溢れる旅に自分の見聞が広がっていく感覚は、領内の荘園管理に毎日変わらぬ仕事をするよりも、価値あるものにワザンには思えたからだ。
旅には見聞を広める他に、腕試しという目的があった。
ワザンは腕に自信があった。エーテル技術に関しては同年輩に並ぶものはないという自負がある。だからこの旅でどこかの貴族や他国に腕を売り込んで仕官し、まだ見ぬ姫君との騎士道物語を楽しもうではないかと、ただ一人の従者サンドロに話すと、「ワザン様の容姿では難しいのではないでしょうか」と真顔で言われ、ワザンは「確かにな」と大笑いするのであった。
そんなワザンとサンドロの二人旅は、ワザンの旺盛な好奇心から波瀾万丈なものとなった。酒場で知り合った男の儲け話に乗り、まんまと手持ちの金を巻き上げられたり、砂漠に埋もれた伝説の都市を探しに行って、危うく自分が砂漠に埋もれかけたり、海に出ようと乗り込んだ船が海賊船に襲われたが、逆に海賊の船を奪い取り、降伏した海賊たちを引き連れて他の海賊を追い掛け回したりした。
他にも色々と悲喜こもごもの冒険譚があったが、残念なことに美しい姫君とだけは巡り合えなかった。
そしてこんな二人の旅の最後の場所が魔女の森だった。
兄から手紙が届いた。あちこちからお前の噂が届くこと、父が相変わらず怒っていること、妹が近く結婚するので式に参列してやって欲しいということが書かれていた。
そういう訳で二年ほど続いた放浪の旅を休止して、妹の結婚式に出席するために、帰郷の道をワザンとサンドロは歩いていた。
その道の途中に魔女の森はあった。
フォルリの金色の魔女の伝説は前々からワザンの興味を引いていた。一国を滅ぼすほどの術士など存在し得たのか? それほどの力の持ち主が何故こんな森に消えたのか? この森には何かあるのか? ワザンの知的好奇心はこの森の横をただ通り過ぎることなど許さなかった。
魔女の森は人跡未踏の広大な森である。この森に入って還らなかった者は多かった。人々はそれを魔女の祟りと恐れたが、これだけ広い森ならば遭難者の一人二人あってもおかしくはないと、ワザンは祟りなどまるで信じなかった。そもそも五百年も昔の話が今も畏怖の対象になっていること事態、ワザンにとっては微笑を禁じ得ないことである。
「ワザン様、本当に参られるのですか?」
「どうしたサンドロ。魔女が怖いのか?」
「旦那様のお怒りが怖いのです。私めまで怒られるのは勘弁でございます」
四角い顔のサンドロは言葉を濁すということを知らない、常に正直な従者だった。ワザンはすぐに戻ると返事をしたのに、寄り道をしたいという。サンドロは旦那様、つまりワザンの父の雷鳴のような怒声が今にも耳に聞こえてくるような気がした。
「私は早く帰ってしまって、結婚式までの間に延々と父の小言を聞かされる方が怖い。なーにお前は私がかばうさ」
サンドロの正直にワザンも正直に答えた。一番の理由はそれであったが、それでこの森に魔女のいた痕跡が見つかれば面白いと思うし、何より人跡未踏という言葉がワザンは好きであった。
「遅れた場合はなんとします?」
「そのまま逃げる」
いくらか食い下がったが、この主人の性格を悉知しているサンドロは、主人の好奇心に満ちた目の輝きに、結局渋々と森へ入る準備をするのであった。