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黄金の竜  作者: ラーさん
第一章「黄金に輝けるもの」
16/73

「魔女の森」1

この悲嘆にくれた女の話をお聞き

フォルリの未亡人の話を


今やフォルリは崩れた城壁と

血流す人々の屍々に埋もれた

あのフォルリの栄光は

まったく何処へいったというのか


この悲嘆にくれた女の話をお聞き

フォルリの未亡人の話を


勇敢なる人々は

剣を持って立ち上がった

けれど今は折れた旗差が

地面に刺さってはためいているだけ


この悲嘆にくれた女の話をお聞き

フォルリの未亡人の話を


あの女は舞い降りた

金色の光を身にまとい

私は動かぬ我が子を胸に抱き

冷たい頬を撫でながら

決して帰らぬ待ち人を

虚ろな瞳で捜すだけ


この悲嘆にくれた女の話をお聞き

フォルリの未亡人の話を



「フォルリ哀歌」より






「具合はどう?」

「エミリア様の処置が早かったのか傷口の化膿などはありません。……しかし腕がないというのは不便なものですね」

 容態を聞いたエミリアは、肘から先がない右腕をさするジャックを見て、すまなそうな表情を浮かべた。

 下流を捜索した部隊は結局ジャミルの遺体を発見することができなかった。その報告を受けたワザンは森の捜索にすぐには移らず、一旦の引き上げを指示した。

 幕営地に戻ったエミリアは、エルナンとの戦闘で右腕を失ったジャックを見舞っていた。

 負傷者を収容した大天幕は、消毒薬として使われるガラサの実の鼻突く刺激臭と傷病人のうめき声に満ちていた。彼らは天幕の床に四列に並べられた敷き布の上に寝かされている。敷き布の下は直に地面であるため寝心地が悪いのか、彼らは仕切りに身体を揺すっていた。

 ジャックは天幕の端の方に寝かされていた。腕こそ失っていたが破傷風にもならず、顔色の良さでは他に寝かされている傷病人よりもよほどましだった。

 しかしジャックの横に膝折り座るエミリアの表情は沈んで見えた。ジャックは左腕に力こぶを作り、明るい声でうそぶいた。

「そんな顔しないで下さい。なーに、この不屈のジャック、すぐに左手でも剣を扱えるようになってみせますよ」

 エミリアは笑った。しかしその笑顔にかげる屈託は完全にはとれなかった。

 ジャックのその半ばを失った右腕の先端に巻かれている包帯を解けば、火傷に覆われた傷口が見られるだろう。この火傷は出血を止めるためにエミリアがエーテル技術で熱を当てて施したものだった。この処置でジャックは失血死から免れてはいたが、自分の軽挙がこのような不自由をジャックに与えたことに、エミリアは忸怩じくじたる思いを抱かずにはいられなかった。

(ジャックは助かったが、モンドとルシオは死んだ……)

 遺体は運べなかったため、遺髪だけが今もエミリアの懐にしまわれている。

 モンドは父の代からエステ家に仕える謹厳実直な男で、エミリアが補佐として強い信頼を置く家臣だった。ルシオはエステ家に仕える馬飼いのベッキオの息子で、小姓から剣士見習いとなってエミリアの側に仕えるようになった、エミリアと同い年の青年だった。

 二人は、もういない。

 それでも少し笑ったエミリアに安心したのか、ジャックは話題を変えた。

「しかしワザンがそこまで慎重になるとは。その話は本当なのですか?」

 ジャックはワザンを敬称付きで呼ばなかった。

 エステ家譜代の家臣であるジャックは、家勢衰えたエステ家の復興に年若くも尽力するエミリアを心から敬愛していた。いかに今のエステ家がオイガン家の支援なしに存立できない立場にあるといえども、エミリアを陪臣のように扱うワザンに対して敬称を付ける必要など、ジャックは毛ほども感じてはいなかった。

(エステ家の家名は決してオイガン家に劣るものではない)

 しかし、このジャックの自負とは裏腹に、エステ家の置かれた立場は苦しいものであった。

 このエステ家の苦境はフォルランがベルトランの手に落ち、エステ家の当主エルナンが戦場から姿を消したときに始まった。

 当主エルナンに追従できたのはその身の回りにいた家臣だけだった。留守を命じられた家臣、エルナンの母、そして十二才のエミリアは、フォルラン派粛清の嵐が吹き荒れる王国の中心に取り残された。

 エステ家が家名ごと処刑場に送られることは確実に思われたとき、エステ家存続に動いたのが新王ベルトランの腹心ワザン・オイガンである。

 フォルランのコンラート暗殺事件が起きた直後、ベルトランがコンラート派貴族を取り込み、挙兵を即断したのは、両派に与せず長年ベルトランの側にあったワザンの進言によるものだった。その手際のよさは、コンラート暗殺事件の黒幕が実はワザンではなかったかとの噂を呼ぶほどであった。噂の真偽はともかくワザンの功績とベルトランからの信頼が、他に並ぶものがないものであることは誰の目にも明らかだった。

 このワザンの嘆願をベルトランも無下には出来ず、いくらかの領地を削られたものの、エステ家は存続を許された。追放同然に失踪したエルナンに代わって、エステ家の当主となる資格を持つ人間は、わずか十二才の少女エミリアただ一人だった。ワザンはその後見役に就いた。

 エミリアは苦い顔でジャックの質問に答えた。

「わからないわ。けれど、それだけの真実は含まれているのでしょう。……何にせよ、このままではエステ家もオイガン家も苦しい立場に置かれることになるわ。今は慎重でも確実が必要だとワザンは考えているのでしょうね」

 エミリアはワザンがエステ家を存続させた狙いを理解していた。

 エステ家を滅ぼしても、その領地は王ベルトランと複数の貴族に分割されるだけである。しかし若いエミリアの後見役としてエステ家を庇護するという立場なら、エステ家の家政に介入して、その勢力を独占的に扱うことができた。さらに庇護という大義名分はオイガン家の権勢を警戒する他の貴族達の批判をかわしながらの勢力拡大を可能にした。

 だがエステ家はもともとフォルラン派であり、前当主のエルナンはまだ生きていた。この関係を精算しない限り、エステ家への反ベルトランの疑惑がオイガン家の立場をも危うくする可能性があった。

 そこにエルナンの手によるジャミルの反乱が起きた。この鎮圧にエミリアが活躍すれば、現在のエステ家とエルナンとの関係は否定できる。そのためエミリアは、エステ家の当主としてこの戦場に立ったのだった。

 今から考えれば、ワザンはエルナンのこの動きを待っていたようにエミリアには思えた。そのためにこの五年、女であるエミリアに剣術と戦闘用のエーテル技術の習得を、ワザンは命じていたのだろう。だとすればワザンの政才は、エミリアにとって畏怖の対象でしかなかったあのエルナンを上回る。エミリアは改めてワザンの底知れなさに触れた思いがした。

(しかし……)

 そのすべてを理解した上で犯した自分の失敗に、エミリアは感情を抑え切れなかった自分の弱さを悔やんだ。

 エミリアはエルナンを直接に取り逃がした。これは致命的にエステ家への疑惑を強め、引いてはワザン・オイガンの権勢にも影響するだろう。すでにワザンはエルナンに追っ手を放ってはいたが、かつて一度の戦闘で三百もの首級を挙げ、銀髪鬼の異名で呼ばれたエルナン相手に、良い報告が戻ってくる期待は薄かった。

 疑惑の払拭に失敗したからこそ、ワザンは反乱鎮圧の証となるジャミルの首級を得る必要に迫られた。しかしジャミルは河に流され、生死も確認できない状態だった。そのために行われた捜索も魔女の森という、予想外の障壁に阻まれていた。

 エルナンとジャミルの二つの首級が並んでいれば、今頃は高らかにエステ家の再興を宣言できただろう。

(……悔しい)

 ワザンの慎重も、ジャックの右腕も、モンドとルシオの死も、すべて自分の至らなさが招いたものに思えたエミリアは、泣き出しそうになる自分を必死にこらえていた。

「エミリア様?」

 応える言葉もなく上がったエミリアの顔は、閉じた愁眉の下に瞳を揺らし、薄く開いた唇に声にできない声を溜めた、自分の非力さに身もだえる、か弱い少女の顔だった。

「……エミリア様」

 ジャックは強くエミリアを見つめ、ただ首を横に振った。

「……そうね」

 弱気は禁物だった。後悔が何かを取り返してくれることなどありはしないのだ。エミリアは前を向くしかなかった。泣いている暇などありはしなかった。

 エミリアが頷き返すと、ジャックは顔をほころばせた。

「なにやら淋しげなご様子。それでは明日の捜索には私も同行しましょう。今のエミリア様では心配ですからな」

 そう言って起き上がろうとするジャックをエミリアは慌てて押し止めた。

「や、やめてよジャック。怪我人に心配されるなんて、私が情けないじゃない」

「はっはっは、そうですか。では残念ながら明日も留守番ですな。しかし本当に大丈夫ですかな? エミリア様が心細くならないか心配です」

 笑うジャックにエミリアはむくれてみせた。

「いつまでも子供だと思わないでよ」

「では、そのようなお顔はされますな。そんな切ない顔をされては、皆、どんなに嫌がられてもエミリア様の側に付いて参りますぞ」

 エミリアは苦笑した。自分の周りの人間を振り返れば、本当にどこまでも付いてきてしまいそうな顔が並んでいた。

 エミリアの和んだ表情に安心を浮かべたジャックだったが、急に顔を引き締めると、懸念の言葉を口にした。

「……しかしエミリア様。ワザンの話が本当であるなら、明日からの捜索には危険があるでしょう。……お気を付け下さい」

 エミリアは頷くと、昨日聞いたワザンの話を思い返した。


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