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陽の昇る国  作者: とのぶんつ
魔宝石試験編
6/7

第六話 今できること

 どこまでも続くセピア色の空間に、錦戸陽出(にしきど ひので)は佇んでいた。かつて感じた冷たい空気は無く、暖かな春の木漏れ日に当たるかのようなきらめきをはらんでいた。


 ……トントントン


 背後から響く懐かしい音、ぐつぐつと香るスパイスに少し焦げた玉ねぎの色。振り返ると少し薄汚れたエプロンを固く縛り、長い髪のお団子を花で結んだ後ろ姿が目に映る。

「お……かあ……さん。」

 自然と陽出の口から出た言葉は灰になって消えていく。母と呼ばれたその人はこちらに気がつくことなく遠く小さく消えていく。

 咄嗟に陽出も走り出すが、どんなに走っても脚は水の中を蹴るように緩やかで、瞬きの間に霞の彼方へ隠れてしまう。

「まって……、おかあさん……!」


 ――


 目を開けると見慣れた天井。カーテンの隙間からは、柑橘類に似た光がとめどなく溢れていた。

「……あれ。」

 手を伸ばしても届かない天井を、指の隙間から薄らとと眺める。ぼんやりと頭に透明なフィルムが貼られたかのように、なんだか視界がぐらぐらする。体も鉛のように重たかった。

「僕……、どうしてたっけ。」

 陽出の頭の中にある昨日の出来事は、どうも朧げでぐにゃぐにゃとシャボン玉のように曖昧な輪郭をしていた。

 ぐらつく頭をなんとか持ち上げ、節々があげる悲鳴を聞きながらゆっくりと部屋を出る。

「リンゴ、おじいちゃん?」

 返ってくるのは、廊下に響く声と床から伝わる足の音のみ。ピアノ線が張られたかのような空気だけがそこにあった。

 ふと、廊下の奥からうっすらと光が漏れ出ていることに気がつく。

「……おじいちゃん?」

 祖父、浩宇(コウ)の部屋だ。陽出は踵を浮かせながら、息を殺して扉に耳を当ててみる。

 

「……でしょう。」

 

「……なのか。」


 誰かが会話をしているのだろうか、分厚い扉を隔てて聞こえてくるのは暗号のような文字列だけだった。陽出はドアノブをゆっくりと回し、そっと中を覗く。


「さすがは賢者と言ったところでしょう。むしろ生きていることの方が不思議なくらいです。」


 広がった隙間から聞こえてくるのは知らない声。こちらに背を向けた白いロングコートを身につけたボブの女性が、指先から魔法陣を出しながら浩宇の顔を眺めている。

 浩宇は眠っているのだろうか、ベッドの上で土色の表情で目を瞑っている。

「それで、じいさんは助かるのか?」

 ベッドの側で尻尾を垂らした幼馴染、柴犬獣人の木剣倫吾(きつるきりんご)が問う。女性はメガネをくいっと直し、静かに首を振る。

「こればかりはなんとも。骨や内臓が損傷している上に魔力の消耗が早過ぎます。なけなしの魔力でなんとか心臓を動かしているような状態ですからね。」

 瓶の中身を浩宇の口に注ぎながら、女性は小さくため息をつく。

「おじいちゃん……?」

 気づけば陽出は勢いよくドアを開けていた。倫吾はハッとした顔で振り返り、静かに俯く。

「おじいちゃん、死んじゃうの……?」

 昨日まで元気であったはずの祖父は、白い包帯に縛られ至る所に点滴が繋がれている。ふよふよと宙に浮いた袋は中身が赤かったり透明だったり光っていたり、どれもこれも全て浩宇に注がれているようだった。

「ヒノ……、これは……。」

 いつになく弱々しく掠れる倫吾の声。背筋を走る冷たい現実が重くのしかかる。

「浩宇様は魔物との戦いで命が危ぶまれているの。……肺を貫くほどの大怪我をされて。」

 女性は白衣のボタンを留めて、そっと陽出の前に立つ。

「私はキナリィ。王都パーリンズで医者をしている者です。」

 キナリィはメガネを軽く持ち上げ会釈をする。陽出はただ浩宇と彼女を交互に見渡すことしかできなかった。

 そんな陽出をお構いなしに、キナリィは淡々と現実を語り出す。まるで壊れたスピーカーのように繰り出される無慈悲に、陽出は耳塞ぐことも許されず呆然と立ち尽くす他なかった。

 分かったのはただ一つ、自分のせいで祖父は死にかけている。それだけだった。


 ――


 キナリィが帰り、沈みかけの太陽の光と静かな夜の幕が家の中を支配する。もうどれくらい時間が経ったのか。陽出も倫吾も浩宇の側を離れることもできないまま、ベッドを挟んで座り込んでいた。

「おじいちゃん……。」

 ポツリと名前を呼ぶ。三つのか細い呼吸音と浮遊する液体たちの落ちる雫の音が、代わりに返事をする。

 生まれて十四年、陽出はこういう時に何をどうすれば事態が好転するのか、そもそもそんな方法があるのか、何も知らなかった。取り返しのつくことかどうかすら分からなかった。

「僕の……せいで……。僕が……助からなければ……。」

 咄嗟に口から出た言葉に思わず陽出は口を塞ぐ。気づけば倫吾はワナワナと震えながら立ち上がり、ゆっくりと陽出に近寄る。

「……間違ってもそんなこと言うんじゃねぇ。お前を助けたじいさんの命を無駄にするな。」

 陽出の両肩を掴み、牙を剥き出しに唸る倫吾。その瞳にはうっすら一粒の光が漏れていた。

 陽出は瞳を揺らし、息を漏らす。ただ、まっすぐに倫吾の瞳を見つめ返しながら。

「……助けた俺らが馬鹿みてぇじゃんか。」

 そっと抱きしめてくる倫吾の肩は力無く震えていた。「……ごめん。」


 その日の夜、二人は浩宇のベッドの側で肩を寄せ合って眠りについた。少年の手では抱えきれない孤独に押し潰されないように。


 ――翌朝


 遮光カーテンの隙間から、ゆらゆらと檸檬色の光が漏れ出す。ぐらぐらと頭を揺らしながら祖父の顔に目を移すが、相変わらず浩宇は眠りについたままであった。

 ふと、肩が陽だまりのような毛布に包まれていることに気がつく。先に起きたのか、倫吾の姿はなかった。陽出はふらふらと立ち上がり、カーテンを開ける。窓いっぱいに漏れ出す突き刺すような光が祖父の顔を照らす。

「おじいちゃん……。」

 浩宇の側へより手を強く握り締める。血は通っているはずなのに、石のように硬く冷たかった。手の甲にまで伸びた包帯は何度も巻き直しているはずなのに、赤黒い血がじんわりと滲んでいた。

「おはよう。起きたのか、ヒノ。」

 桶とタオルを抱えたリンゴが部屋の戸を開け、ゆっくりと入ってくる。

「……おはよう。」

 軽く一瞥し、倫吾は陽出の隣へ座る。

「俺が身体吹くから、ヒノは包帯解いてくれ。」

 それ以上の会話はなかった。陽出が恐る恐る包帯を解き、倫吾がそっと身体を拭く。その後、手分けして全身に薬を塗る。

 窓は開いているのに、ずっと暗い洞窟の中にいるような空気が漂っていた。

 ちらりと倫吾の顔を見る。林檎のように赤くきらめく瞳を、静かに浩宇の傷口に焦点を当て薬を塗っている。丁寧に、眉ひとつ動かさずに。

 陽出はふっと、息を吸い込もうと口を開けるが、口はそれ以上動かず再び口を固く結ぶ。吸った息は肺に送られずずしりと胃の中に押し込められた。

「なぁ、ヒノ。」

 最初に沈黙を破ったのは倫吾だった。陽出は電流が走ったかのように身体を揺らし、倫吾に目を向ける。

「一昨日、俺が言ったこと……、覚えているか?」

 倫吾の問いに陽出は首を傾げる。どうも記憶が曖昧だった。まるで覚めた後の夢のように。

「ごめん……、よく覚えていないんだ。」

 断片的に映し出される脳内のフィルムには針で串刺しにされるような気持ち悪さと、胸の奥がどろっと冷たく汚れるような醜さ、そして不思議と安心感だけが残されていた。

 少し気まずそうな陽出をよそに、倫吾は少しホッとしたような、寂しそうな顔を浮かべていた。

「無理もないさ。君は魔物に取り憑かれていたんだ。……無事でよかったよ。」

 手を止め微笑むその顔は、いつも陽出に向ける優しい倫吾そのものだった。

「じいさんは大丈夫、こんな簡単にやられるほどヤワじゃない。だろ?」

 陽出の手をとる彼の手は、震えながらも力強かった。

「俺たちは……、俺たちができることをしよう。」

 陽出は軽く目を擦り手を握り返し頷く。

 少しだけ、部屋の中の光が柔らかくなったような気がした。


 ――


 あれから一週間が経った。浩宇の怪我は徐々に傷を塞ぎ始めたものの、依然意識は戻らないままであった。

「かなり状態は安定してきました。あとは目を覚ますのを待つほかないでしょう。」

 聴診器を浩宇に当てながら、キナリィはゆっくりと顔を上げる。

「……どれくらいかかるんですか?目を覚ますまで。」

 不安気に問う陽出に対し、キナリィは静かに首を横に振る。

「なんとも言えません。ただ魔力量が極端に少ない今、いきなり明日目覚めるなんてことはまずあり得ないでしょうね。」

 淡々と語る彼女に陽出はふらっと俯く。分かってはいたが簡単な話ではなかった。途方に暮れそうな肩を抱き寄せるように、倫吾がそっと撫でる。

「大丈夫、きっとすぐ目を覚ますさ。」

 柔らかく笑う彼の目は、切なく揺らいでいた。陽出は唇を噛んで大きく頷く。今は信じるしかない。

 キナリィは襟を正しつつ荷物を鞄へしまう。

「ひとまずポーションをこのまま投与しましょう、浩宇様自身の魔力回復が追いつくまでは。」

 そう言ってキナリィは街へと帰って行った。彼女を見送ったあと、陽出は郵便受けの中を開ける。いつもの新聞にパーリンズ商店街の広告。ふとその中に一通の知らせが届いていることに気がつく。浩宇宛のものだろうか、宛名は無いが「至急開封せよ」とだけ赤く書かれていた。

「えぇ、どうしよ。」

 封を切ろうと封筒を捻ってみる。するとぼぅっと緑色に光る魔法陣が現れ、破ろうとするたびに鋼のように硬くなってしまう。力一杯引っ張ってみてもびくともしない。

 額の汗を拭いため息をつく。とりあえずここにいても仕方がないため、一式揃えてリビングへ運ぶ。

「今日の新聞、届いてたよ。」

 倫吾に声をかけ、再び封筒に目をやる。レターナイフを当ててみるが、やはり刃先を魔法陣が弾いてしまい傷ひとつつかない。むしろナイフが刃こぼれを起こす有様だ。

「うーん……、これほんとにどうしよ。」

 封筒は何度見ても「至急開封せよ」の赤文字だけで、送り先すら分からない。開けることは愚か、これでは送り返すことすらできない。どうしたものかと頭を抱えていると。

「どうした、そんな唸って。」

 背後からひょっこり倫吾が顔を出す。ちらりと封筒に目をやり「あぁ」と封筒を受け取る。

「たぶん王宮からだ。」

 そう言って魔法陣をぐるりと指でなぞる。するとどうだろう、びくともしなかった魔法陣が光だし、封筒が消えて手紙が出てきた。

「前にじいさんから聞いたんだ、封筒の開け方。」

 倫吾は少し得意気になりながら、手紙に目を通す。読み進めていくうちに、倫吾の表情は分かりやすく曇り始める。手紙から目を離し、額に手を当てる

「……試験監督の依頼だって、じいさんに。」

 倫吾と陽出は顔を見合う。チラリと点滴まみれの浩宇の部屋に目をやる。

「……絶対無理だよね、それ。」

 分かりきった答えにため息と数秒の沈黙が続く。倫吾は手紙を丁寧に折りたたむ。新聞を開きそっと奥深くに挟み、畳んで隠した。


 ――


「状態は著変ありません。投薬量も少し減らして様子を見てみましょう。」

 キナリィの往診が始まって気がつけば1ヶ月。いまだに浩宇が目を覚ます様子はなかった。

「良かったです……。」

 陽出はそっと胸を撫で下ろす。

 当たり前のように眠り続けている祖父の姿に、陽出は心にもない安堵のため息をつく他なかった。

 ただ、以前のような土色の表情は薄れ、徐々に血色を取り戻しつつあるのは間違いなさそうだ。

「また何かあればご連絡ください、それでは。」

 キナリィは荷物をそそくさとまとめて、風のように去っていった。彼女を見送り、ふと陽出は郵便受けに目を向ける。

「あぁ……今日も届いてる。」

 恐る恐る蓋を開けると、そこには一通の赤い封筒。

 あれから毎日のように王宮から手紙が届いていた。しかも封筒の色は無機質な白から徐々に黄色、オレンジと変わりいつのまにか真っ赤な色へと変化していった。

「……うーん、本当にどうしたらいいんだろ。」

 リビングに戻り、陽出は頭を抱えていた。明らかにただ事ではなくなって来ている気がする。

「なんだ、また届いたのか?」

 ティーポットを持った倫吾がキッチンから顔を覗かせる。倫吾が魔法陣を解除すると、中から封筒より真っ赤な便箋が一枚現れる。

「『これより馳せ参じる』……って。」

 読み上げた瞬間、手紙から大きな魔法陣が現れ突風がその周りを吹き荒れる。テーブルクロスや皿、棚の小物まで宙を舞い二人は思わず両手で受け身を取る。

「な、なにっ!?」

 魔法陣から真っ黒な人影が悍ましく渦巻きながら現れる。咄嗟に倫吾は陽出の前に躍り出て横笛を構える。

 人影は徐々に輪郭を捉え、毛並みの黒いウサギ獣人へと変貌を遂げる。

「おやおや、これまた随分なもてなしですねぇ。」

 彼は左眼のモノクルをクイっと引き上げ、品よく冷たく笑う。深緑のロングコートに怪しく光る金色のボタン、どことなく格の高さを感じるが息の詰まるような立ち振る舞いに、陽出はそっと倫吾の背中に身を隠す。

「……土足で上がる不届きものを招待した覚えはねぇぞ。」

 倫吾は横笛を黒ウサギの喉笛に向ける。一切怯む様子のない黒ウサギはホコリでも払うように身を翻し、迷うことなく浩宇の部屋へ向かう。

「用があるのはこちらの部屋の住人でね、君たちに招待される筋合いなどないのですよ。」

 低く怪しい声で笑い、黒ウサギは背後手を振る。

「ま、まって……!」

 ガチャリと戸を開く黒ウサギを引き留めようと、陽出が咄嗟に叫ぶがもう遅い。

「おやおや、これはこれは。」

 規則的な呼吸とまだ冷たさの残る肌の色、ベッドの周りを浮遊する無数の薬たち、そして包帯に巻かれた浩宇の姿。第三者から見ても、一度に入る情報から事の重さは伝わるであろう。

 静かに眠る浩宇の側へ、黒ウサギはツカツカと這い寄る。黒ウサギはそっと小さな魔法陣を浩宇の胸元に召喚する。

「なるほど、そういうことでしたか。」

 緑色に光るそれをみて小さく頷き、人差し指を向けくるりとベッドを囲む。するとベッドが青白く光りだし、音も立てずに持ち上がる。

「それでは、さようなら。」

「いや何してんだよ!!」

 ベッドごと浮遊させ帰ろうとする黒ウサギに、倫吾は声を張り上げる。黒ウサギはポカンとした顔のまま、一旦ベッドを下ろす。

「お前突然来てなんなんだよ!そもそも誰だよ!」

 倫吾は茶葉の入った袋を取り出し、今にも飛びかかろうとしていた。

 黒ウサギとの対峙を倫吾に預け、陽出は急いで浩宇の元へ駆け寄る。これほど大きな物を持ち上げたにも関わらず、ベッドはチリ一つなく浩宇の姿勢も崩れていなかった。

「うーん、早く王宮へ戻りたいので退いてもらえるとありがたいのですが。」

 腕を組み唸る黒ウサギは、血のように赤黒い瞳を鋭く光らせる。

「王宮……?王宮の方なんですか?」

 陽出の耳がぴくりと動く。王宮といえば浩宇への試験監督の依頼をしてきた相手だ。

 黒ウサギはキョトンとした顔を陽出に向ける。

「おや、言ってませんでしたかね。」

「言ってねぇーよ!」

 緊迫した空気の中、倫吾の怒号が響いた。

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