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陽の昇る国  作者: とのぶんつ
はじまり編
2/7

第二話 何も考えない

 仄暗い虚空の中、どこまでも広がる灰色の地平線の上に陽出(ひので)は立っていた。

 無限に感じる一瞬を点になるように見つめてると、ふゎっと鼻先に巡るセピア色の香り。振り返ると、どこか見慣れたテーブルとヒノキでできたでこぼこの椅子。トン、トン、と人参を切り分ける音が心地よく辺りに響く。どことなくほろ苦いにおいが、目の奥に突き刺さる。

 紐のよれたエプロンを締め直しながら、音の源がコンロの火を止める様が瞬きの合間に映る。その側で見覚えのある幼子が目をきらめかせながら、カレールウの箱を握りしめている。

 エプロンを身に纏う女性は、少年を抱き上げ鍋の中にルウを入れさせる。うっすら白く染まった汁がエプロンに飛び散るが、二人はただケラケラと笑っていた。

「……っ。」

 どことなく懐かしい光景に陽出は手を伸ばすが、どれだけ手を伸ばしてもたどり着かない。それどころか足を踏み出せば踏み出すほど、掴もうとすればするほど、幸せな記憶は加速するように小さくなっていく。

「まって……っ!」


 ――


 気がつくと見慣れた壁と窓の外。辺りは茜色に乱反射しており、激しい心音だけが取り残されていた。

「……夢、か。」

 陽出は滝のように溢れる汗を震える肩で拭う。体は鉛のように重く、どことなく神経が己のものと反発しているようだった。

 頭の中に透明なフィルムが何重にも貼られている感覚を覚えながら壁を見つめる。徐々に木目の形がはっきりしてきたその時。

 「……っ!ヒノ、目を覚ましたのか。」

 お盆を持って、幼馴染が部屋の戸を開けた。その表情は驚いたような、悩ましいような、多様な感情がひしめき合っている。

「本当に…心配したよ。ずっと……、目を開けないから……。」

 皿をスツールの上に乗せて、倫吾(りんご)はぎこちない笑みを浮かべる。

 魔物との遭遇後、陽出は三日間眠りについていた。倫吾は、陽出が魔物に飲み込まれたことや浩宇によって退治されたこと、ずっと擦り林檎を食べさせていたことなどをゆっくり語る。

「……ごめん、よく覚えていなくて。なんだか頭がぼーっとするんだ。」

 小さく頭を下げ、陽出はそっと窓に目を向ける。少し背の伸びた緑の絨毯が、陽の光をあびて目一杯手を広げている。

「きっと、呪いの後遺症だよ。……直前の記憶が抜け落ちることもあるってじいさんが言ってた。」

 魔物の呪い。最近読んだ本に呪いの一説について記されていた気がする。魔物が操る術の一つ。病気や石化などいろいろあったはずなのに。

 陽出は鉛の混じった頭を掻き回してみるが、うまく思い出せない。

 倫吾は皿と木のスプーンを手に取り、ゆっくりと陽出の口元へ運ぶ。ほんのり甘酸っぱく、どこかに苦さが広がるのを感じた。

「……ごめんな。」

 皿を見つめながら、倫吾は戸棚から壺漬けを取り出すかのように言葉を並べる。

「俺が変なこと言ったから……。ヒノを……、危ない目に合わせちまった。」

 陽出は小さくしまわれた記憶から、ぼんやりと索引から調べるように首を捻る。

「……ほら。俺がじいさんにヒノの魔法をみてくれなんて言い出したからだろ。」

 ところどころ記憶が混ざっているが、ぼんやりと最後に囲んだ夕食の日のことを思い出す。

「あれは……っ。」

 陽出は開きかけた口をつぐみ、そっと目を逸らす。否定をするのはなんとなく、無粋に感じてしまった。陽出は代わりにそっと、倫吾の手を優しく両手で包み込む。

 震えるほどに小さな静寂は、一瞬よりも永く感じられた。……が。


 バタン!!


「陽出…っ。」

 祖父、浩宇(こう)によって短い永遠はあっさりと打ち破られた。二人は咄嗟にお互いの手と別れ、明後日の方角に目をやる。

「結界に君の反応が現れたから……っ、飛んで帰ってきたよ……っ。無事……で?」

 汗を拭いながら、二人を交互に見渡す。陽出はやや顔を赤くし俯いている。倫吾はため息をひとつつき浩宇を睨む。

「少しは空気読めよ、じいさん。」

 じっとりとした目を向けられポカンとしつつ浩宇は、息を整え軽く咳払いをする。そして眉間に皺を寄せ陽出と向き合う。

「……陽出、今回は無事で良かったがな。あの時本当なら君は死んでいたんだぞ。」

 先ほどとは打って変わり、浩宇の瞳には冷たい炎が揺らいでいる。声色は深く穏やかではあるが、一切の隙を与えない強さがあった。

「魔法、使えるようになれるかも……って。」

 心の奥深くから引っ張り出すように、陽出は言葉を選ぶ。

 それ以上、それ以下でもなかった。魔法を使えたらという抽象的な希望だけを胸に行動したのだから。浩宇は表情一つ変えずに口を開く。

「言ったはずだよ。次の週末に私が君の能力をみると。魔法を使えるようになれと私は口にしたかね。」

 コツ、コツと踵を鳴らしながら、浩宇は陽出にじわじわと緊張を走らせる。

 浩宇は大きく手を振り上げ、陽出は思わず目を強く瞑る。

「君が怪我したら悲しむ人間がここには二人もいるんだ。考えなしに飛び込むのはこれで最後にしなさい。」

 そっと優しく、浩宇は陽出の頭を撫でる。

 ゆっくりと、目を開けるとそこにはいつもの乾いた笑顔を浮かべる祖父がいた。倫吾も力強く握っていたのだろう、拳の力を抜き陽出の肩をたたく。

「俺もいるから。また特訓付き合うし、な。」

「……君も一人で森へ飛び出して行ったこと、私は怒っているからね。」

 目の前で繰り広げられるいつものやりとりに、緊張の糸が弛むのを感じる。陽出はそっと胸を撫で下ろし、軽く頬をつねった。


 ほんの一瞬、温かな光に包まれる部屋の中、陽出の影が怪しく揺れる様子に誰も気がつくことはなかった。


 ――


 次の日曜日。ノーザンミュウダンの片隅で、陽出は祖父、幼馴染に見守られながら本と向かい合っていた。

 週末に陽出の魔法をみる、その約束を果たすためだ。

「……浮かべ!」

 物体浮遊術、基礎魔法の一つ。今回陽出が習得を目指しているものだ。陽出は緊張した面持ちで両手をかざす。

 目を瞑りゆっくりと深呼吸をする。陽出は目を瞑り、魔力の流れを心臓から送る事をイメージする。

 正直まだよく分からないが、今はとにかくイメージするしか方法がない。

 本は相変わらず、こちらの気などお構いなしに知らんぷりを続けている。風で小さく揺れるスピンが、あたかもこちらを馬鹿にしているかのようだ。

「うむ……、もしかしたら方法を変えてもいいかもしれないね。」

 ふと、顎を触りながら、浩宇がポツリとつぶやく。陽出は力んだ手を浩宇に向け、首を傾げる。

「心当たりがある、少しついておいで。」

 陽出が問いかける暇を与えず、浩宇は後ろ手を振りながらスタスタと歩き始める。陽出と倫吾はお互い目を合わせキョトンとしながら、浩宇の後を追いかけた。

 

「わぁ……。」

 思わず感嘆の声があがる。祖父に連れられてきたのは小さな森の中。

 目の前に綺麗に木が避けて真っ直ぐに陽の光が照らす広場が現れる。

「ここは木漏れ日の森、その中央に位置する場所だ。……ここが君の新たな修行場だよ。」

 陽出の肩に手を乗せ、浩宇はカラカラと笑う。

 森の中はところどころ木漏れ日が差し込み、緑色の香りが温かく溢れていた。広場に生える緑の絨毯はどれも若々しく、小さな手を精一杯空に向けて広げている。花はどれも目一杯光を受けており、ほんのりと朝露を輝かせている。近くの茂みからツノウサギが顔を出し、そっとしゃがみ目を瞑る。

 途中ミニスライムやきりかぶの妖精など、他にも小さな魔物を見かけたが、襲ってくる気配はない。どうやら穏やかな性格の魔物ばかりが暮らしているようだ。

「森へ入るの時はちょっと怖かったけど…、こんな綺麗なところもあるんだね……。」

 陽出はそっと、広場に足を踏み入れる。靴を履いていてもわかる、緑の生命力や鼻先を駆け巡る新緑の甘さが渇いた心の中を癒してくれるかのようだ。

 広場の中央まで足を運び、徐に横になってみる。暖かな日光と肌を撫でる緑の風が、体の中にある何かを巡らせているような感覚が走る。

「これが君に必要な修行さ。」

 カラカラと笑いながら、浩宇は口を開く。陽出は咄嗟に体を起こし、目を丸くさせる。

「なぁに、難しい話じゃない。ここには癒しの力が溢れている。ただ、何も考えずに大地のきらめきに身を委ねればいいのさ。」

「あっ……、そういうことか。」

 倫吾はハッとした顔で口を覆う。陽出だけ理由がわからず二人の顔をキョロキョロする。寝て過ごすだけでできる修行なんて聞いたことがない。

 戸惑う陽出をよそに、浩宇は手の中から摩訶不思議に輝く箱を作り出し、陽出の手のひらの上に乗せる。

「魔除けのお守りみたいなものだ、この辺りの魔物程度であれば襲ってこれないだろう。」

 浩宇はそっと陽出の頭を撫で、ゆっくりと立ち上がる。

 そして、答える暇を与えず一人立ち去ってしまった。頭が真っ白になり、不安気に倫吾を見つめる。彼は己の服の裾を掴みながらゆっくりとしゃがむ。

「ごめんな、ヒノ。……たぶんじいさん、自分で気づいて欲しいんだと思う。」

 軽く肩をポンと叩き、倫吾も影を引きずりながら行ってしまった。

 ポツンと一人、取り残されてしまった陽出は再び草の上へ寝転がる。

「何も考えずに……か。」

 深呼吸をして、ゆっくりと目を瞑ってみる。

 草木の揺れる音、生まれたての風の香り、優しい木漏れ日のカーテン……。五感から伝わる全てが、己の情報として洪水のように溢れかえる。とても空っぽになんてできそうにない。

「……ちょっと歩こうかな。」

 そう呟いて、ゆっくりと立ち上がる。広場の周りを恐る恐る歩いてみる。すると、先ほど見かけたツノウサギがこちらを一瞥し、さっと茂みに隠れてしまう。

 …どうやら祖父のくれたお守りは本物のようだ。

「……、よし。」

 陽出は拳を握り、そっと、広場の外へ足を踏み出す。パキパキと落ちている枝が折れ、モコモコとした土が足の裏を優しく押し返してくる。周りを見れば過去に本で見つけた薬草や、名前の知らない可愛い花が朝露を飲み背伸びをしている。上を見上げれば鮮やかな色の小鳥が歌を歌い、宝石のようにきらめく果実が葉に包まれうたた寝をしている。

 まるで森の中が大きなコンサートホールに変わったかのようだ。

「なんか、……楽しい。」

 その日、陽出は時間を忘れて森の中を歩き回った。日々の鍛錬や劣等感、悩みも全て。初めて知らない世界に触れる幼子のように。

 日が暮れて倫吾が迎えに来る頃、陽出は葉っぱや泥に塗れて服までボロボロになっていた。

「へへ、ちょっとはしゃぎすぎちゃった。」

 頭をかきながら少し顔を赤らめら陽出。しかし、その表情はどことなく満足気で、明るさに満ち溢れていた。

 倫吾は何も言わず、優しく微笑み頷く。肩を並べて帰路につき、その日は食事もせず陽出は眠りについてしまった。

「……どうやら、うまくいったみたいだね。」

 様子を見にきた浩宇は、そっと孫に毛布をかける。そして、優しく頭を撫でた後、静かに部屋を後にした。


 ――


 あれから一ヶ月。陽出は毎日のように木漏れ日の森へ通うようになった。薬草のスケッチやきのみの採取、花冠を編んだり草笛を吹いたりすることもあった。どれも子どもの遊びではあったが、陽出は充実した日々を過ごしていた。難しいことは綺麗さっぱり忘れて。

 そんなある日の夕食のこと。

「明日、また陽出の魔法をみてみようと思うんだ。」

 浩宇はパンをちぎりながら口にする。陽出はキョトンとしながら祖父を見る。

 ここ最近の過ごし方といえば森で遊んでいたことぐらい。魔法の鍛錬については禁じられていたため、座学の本すら触っていなかった。

「ここ最近は今君に一番必要なことができていたからね。そろそろ試してみてもいい頃合いだ。」

 浩宇はカラカラと笑う。少しだけ表情が曇る陽出の肩を、倫吾が優しく持つ。

「大丈夫だよ、結果云々は後で考えればいい。」

「……そうかなぁ。」

 どんよりと重たくなる頭で、魔導書で得たはずの知識を張り巡らせる。しかし、思い出せるのは最近見つけた綺麗な川と水を飲みにきたピクシーをスケッチしていたことくらいで、簡単であったはずの賢者の一節ですら浮かんでこなかった。

「ちなみに……。夜な夜な魔導書を読み漁って、みんなが寝ている間に危ない場所へ行くのは禁止だ。」

 指を一本立て、浩宇は釘を刺す。倫吾も「そりゃそうだ。」と腕を組みうんうん頷いている。

「今日は“何も考えず”、ゆっくり体を休めるんだ。」


 ……翌日。


 陽出は再び、本の前に立ち両手をかざしていた。浩宇と倫吾は静かにその様を見守っている。

「いいかい、君の体の中には大きな魔力が眠っている。まずはゆっくりと全身に流れる感覚を掴むんだ。」

 浩宇の声かけを耳に、眼を瞑りながら体の中の血の巡りを意識する。さらさらと流れる川のように。上流から湧き出る水がゆっくりと、大地を濡らし柔らかな土を押し流すように。

「そう、その調子だ。次は一つ一つその流れを紡ぎとって指先に集めるんだ。」

 今度は指先に意識を集める。シロツメクサの茎を重ね合わせ、次の花をゆっくりと編み込んでいくように。葉を震わせ草笛の音色を奏でるように。

「あとは念じるんだ。本を浮かべるように。」

 陽出は深呼吸をして、ゆっくりと眼を開ける。あたたかな光が周囲を漂い、きらめくオーラが優しく身を包んでいる。

 しっかりと目標に眼を向け、叫ぶ。

「浮かべ……っ!」

 すると、今までピクリともしなかった本が震え出し、岩から小さな砂利が溢れ始める。

「いいぞヒノ!もう少しだ!」

 熱の入った声で倫吾が叫ぶ。浩宇も固唾をのんで見つめている。

 今までと明らかにちがう。心の奥底から何かが湧き出てくるかのようであった。


 間違いない、今度こそ上手くいく。

 

 高鳴る心臓を胸に、更に魔力を意識する。小鳥のさえずり、きりかぶの隙間から顔を出した新芽との出会い、きらめく記憶の中から少しずつ、幸せな記憶を取り出しながら。

 ふと、頭の片隅に先日見た夢を思い出す。トントンと心地よい野菜を刻む音、少しだけほろ苦いカレーの匂い、そしてセピア色のエプロン姿……。


 ――お前は何のために生きているの。


「……っ!あ゙ぁ゙!」

 突如、頭の中に真っ黒な声が鋭く響き、極端に全身が緊張する。

 

 ヒュンッッ


 目の前にあったはずの本は勢いよく空高く飛ぶ。飛ぶ…、というより、あたかも空の上へ“落ちて”いくかのようであった。見守っていた浩宇も倫吾も、あまりにも突然すぎる出来事に口を開けたまま空を見上げていた。

「はっ…は……っ、は………ぁ…っ。」

 陽出は全身の力が一気に抜け、その場に倒れ込む。鼓動が早く手足の震えが止まらない。まるで全身を縛られ、胸を抉られるかのようであった。

「……っ!ヒノっ!」

 我に帰った倫吾が一目散に飛んでくる。陽出の周りには黒いモヤのようなどんよりとした霧が、どこからともなく溢れて止まらなかった。まるで、あの毛むくじゃらの魔物と対峙した森の風景のように。

「はっ…ぁ…っ、だ…ぃじょ……ぶ…っ。ちょっと…、っ…力が抜けちゃっただけ……。」

 力なく答える陽出を震える手で抱き支える。大量の汗をかき、肌はどんどん青ざめていくその様に、倫吾は浩宇へ振り返る。

 慌てて浩宇も駆け寄り、陽出に手をかざし摩訶不思議に輝くオーラで包み込む。一瞬の沈黙の後、静かに頷き倫吾に目を向ける。

「……大丈夫、魔力の乱れはみられるが休めば良くなる。」

 そう言って、浩宇は陽出を背負い立ち上がる。ゆっくりと歩き出し、倫吾もすぐその後へと続く。

 小屋へと歩きながら、浩宇はポツリポツリと言葉を紡ぐ。

「……“何も考えない”、かなり上手くなってきたんだがな。」

 倫吾は小さく頷き、拳を握る。祖父の背中の上で陽出は徐々に息が落ち着きだし、すやすやと寝息を立て始める。

「なぁ、じいさん。さっきのって……。」

「あぁ、陽出の魔力に誘発されて呪いが強くなってきている。」

 不安げな倫吾をよそに、浩宇はいつになく静かな口調で言葉を紡ぐ。

 魔物の呪い。数ある中でも陽出にかけられた術はより凶悪なもので、深層心理の領域にまで入り込まれている形跡があった。まるで鍵をかけて隠した真っ暗な記憶を、乱暴にこじ開けたかのように。じわじわと陽出の精神を蝕んでいたのだ。

「……どうやら泉の魔物(あいつ)は思っていたよりも厄介そうだな。」

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