第97話 落下
ヒュオオオオオオオオオッ!!
耳元で風が唸りを上げている。
視界には、どんよりとした空と、急速に小さくなっていく地上の景色。
我らが狂戦士キョウは、魔法少女ラブリーの放った『地殻穿つ巨神の拳』とかいう、アッパーカットによって、成層圏に届かんばかりの勢いで打ち上げられていた。
(……高い。めちゃくちゃ高いな)
アバターの内部で、先師京介は、恐怖で縮み上がりそうになりながらも、どこか他人事のように感心していた。
眼下には、巨大な魔王城の全貌が見えている。遊園地の観覧車どころの騒ぎではない。
(怖いけど……ちょっと楽しいかも! なあポヌル! この高さから地面に叩きつけられたら、確実にゲームオーバーだよな!?)
京介が、風圧に耐えながら隣を見ると、妖精猫ポヌルが、器用に翼を畳んで空気抵抗を減らしながら並走(並飛?)していた。
「どうかニャ? キョウには、いま強力な防御力強化魔法『初デートの緊張』がかけられているからニャ。魔法の効果中なら、物理ダメージを極限までカットしてくれるはずだニャ。理論上は、隕石になっても耐えられる可能性があるニャ」
(う、その名前は思い出したくない……。でも確かにそうだな。防御力が上がってるなら助かるかも……。ってお前はいいよな。どうせ落ちる直前に、その翼でふわっと飛べば良いと思ってるんだろ?)
京介がそう言うと、ポヌルは悪びれもせずにヒゲを揺らした。
「そうだニャ。お主もようやく、このパーティにおける『自分の立ち位置』と『吾輩の立ち位置』が分かってきたみたいだニャ。成長したニャ」
(褒めてないだろそれ!)
そんな軽口を叩いている間に、上昇の勢いが衰えてきた。
風切り音が止む。
無重力の浮遊感。
それは、もうすぐ放物線の頂点に到達する事、すなわち――これから地獄の落下が始まる事を意味していた。
(……そろそろ、落ち始めるぞ)
一瞬の静寂の中、京介は努めて冷静に思考した。
(実は僕、昔からバンジージャンプに憧れてたんだよね。一度やってみたかったんだ)
「ゴムはないけどニャ」
ポヌルの容赦ないツッコミと共に。
内臓が浮き上がるような感覚が襲ってきた。
ヒュンッ……ゴオオオオオオオオオッ!!!
落下開始。
(うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!)
「ニャアアアアアアアァァァッ!!!」
キョウの巨体が、重力加速度に従って、猛烈なスピードで地上へ向かって落ちていく。
軌道から推測すると、着地点は魔王城の敷地内。
おそらく、城の中庭に見える、尖った塔のあたりだ。
(よし、このまま行けば城の中に着地できる! あとはこの強化魔法が仕事をしてくれれば……!)
京介が、恥ずかしい名前のバフに祈りを捧げた、その時だった。
視界の端に、無機質なシステムメッセージがポップアップした。
【防御力強化バフの効果終了まで、残り10秒】
(10秒!?)
京介の思考が凍りついた。
地面に激突する瞬間に、バフが切れる可能性がある。
【9】
「ギリギリアウトだニャ」
ポヌルが、落下しながら冷静に計算結果を告げる。
【8】
(他人事みたいに言うな! なんとかならないのか!? お前が持って飛ぶとか!)
【7】
「吾輩がキョウみたいな筋肉ダルマを掴んで飛べるわけないニャ! 物理法則を舐めてはいけないニャ! 翼がもげるニャ!」
(くそっ! じゃあどうすれば……!)
京介は必死に周囲を見回した。
このまま落ちれば、バフが切れた瞬間に、生身で地面とキスをすることになる。即死だ。
(何か、何かないか!?)
京介の視線が、落下地点より少し手前にそびえ立つ、一本の「塔」を捉えた。
【6】
(あそこだ!)
京介の脳内で、閃きが走る。
(地面まで落ちるから時間がかかるんだ! 地面じゃなくて、あの空中に突き出ている塔にぶつかれば、落下時間を短縮できる! バフが切れる前に衝突できるはずだ!)
交通事故を回避するために、別の壁に自ら突っ込むようなイカれた発想。
だが、今の京介にはそれしか道がない。
【5】
(飛行機も尾翼で軌道修正できるんだ! 尻尾でもできる可能性はある! 曲がれ! そっちに行け!)
京介は、唯一自由になる「尻尾」に全神経を集中させた。
尻尾なんかで軌道を修正できるか分からないが、これしか手段がないのである。
高速で流れる空気抵抗を感じながら、尻尾を上に突き上げて微妙に角度調整する。
【4】
(右だ! もっと右!)
空気の流れを読み、尻尾で風を掴む。
以前の京介なら不可能だった芸当だが、今の彼にはできる。
キョウの落下軌道が、物理法則に逆らうように、ググッ、と少しずつ塔の方向へカーブし始めた。
【3】
(よし! 曲がり始めた!)
ポヌルが、高度計でも見ているかのような目で地面を確認し、言った。
「そろそろ限界ニャ。吾輩は離脱するニャ。幸運を祈るニャ!」
言うが早いか、ポヌルはふわりと翼を広げ、空気抵抗を利用して減速し、キョウから離れていった。
(うん! 見てろよ!)
【2】
塔の外壁が、目の前に迫る。
黒い石造りの頑丈そうな壁だ。
普通なら激突死確定の壁だが、今のキョウは魔法の効果でダイヤモンド並みの硬度を誇っている!
(いっけぇぇぇぇぇぇっ!!!)
【1】
ドガアアアアアアアアアアン!!!!
凄まじい轟音と共に、キョウの体が塔の外壁にミサイルのように突き刺さった。
石壁が粉々に砕け散り、土煙が舞い上がる。
【0】
システムメッセージが、無情にも、しかしタイミングよく表示された。
【防御力強化バフの効果が切れました】
(あ、危なかった……!)
京介は、瓦礫に埋もれながら、安堵のため息をついた。
コンマ1秒の差で、防御力が戻るところだった。
(ふぅ……。なんとか魔王城内部への侵入、成功だな……)
京介が、瓦礫の中で一息つこうとした、その時だった。
すぐ目の前の、土煙の向こうから。
甲高い、女性の悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあああああああっ!?」




