第96話 ミノタウロスvsレベル1
これで何度目だろうか。
先師京介は、アバターの内部で虚無の空を見上げていた。
レベルは1。しかし、その中身は、数多の死線とバグと豆腐を乗り越えてきた、化け物じみた数値を維持している。
我らが狂戦士キョウは、そんな事情など露知らず、いつものように自信満々の足取りで、因縁の相手――ミノタウロスの元へと歩みを進めていた。
「待ってくださいませ、キョウ様ぁ!」
背後から、地響きのような足音と共に、ピンク色の巨星が迫ってくる。
魔法少女、ラブリーだ。
「レベル1のままミノタウロス様に挑むなんて、さすがに無謀が過ぎますわ! ここは、僭越ながら、私がキョウ様を援護して差し上げますわね☆」
ラブリーは、バチコーン! と音がしそうなウインクを飛ばすと、慌てて魔法のステッキを構え、詠唱を始めた。
「夜空を流れるお星さま☆ 乙女の願いを叶えて下さいな♪」
(なんだ!? 何を始めたんだ!? そのステッキ、鈍器じゃなくて魔法の発動体としても機能するのか!? ていうか、ロクでもないことになる予感しかしない!)
京介の警戒アラートが鳴り響く中、ラブリーが叫んだ。
「ラブリー魔法! 『初デートの緊張』!」
(ネーミングセンス!! どんな魔法だよ!!)
ピンク色の光がキョウを包み込む。
【キョウのDEFが1000上がりました】
(防御力強化魔法かよ! って、上がりすぎだろ! 初期値の何百倍だよ!)
京介が驚愕していると、ラブリーは「うふふっ」と満足げに微笑んだ。
「防御はこれで大丈夫ですわね☆ 次は……攻撃ですわ!」
ラブリーは、うっとりと目を閉じ、次の魔法の詠唱に入る。
その表情は真剣そのものだが、髭面である。
「トゥインクル トゥインクル、お月様のうさぎさん――」
(トゥインクルなら星だろ!! 月関係ないだろ!)
背後で繰り広げられるメルヘン地獄を完全に無視し、キョウはついにミノタウロスの目の前に到着した。
かつて、何度も京介を絶望の底に叩き落とした、巨大な牛頭の門番。
しかし、今日の彼は様子が違った。
「……スピ〜……」
巨大な鼻の穴から、風船のように巨大な鼻提灯を膨らませ、気持ちよさそうに居眠りをしていたのだ。
(寝てる……。チャンスだ!)
キョウが、その場で深く、大きく息を吸い込む。
(やめろ馬鹿! 起こすな! 寝てる間に殴れよ! 不意打ちすれば、多少はダメージを与えられるだろ!)
京介の必死の制止も虚しく、キョウは腹の底から、魂の咆哮を轟かせた。
「ウガガガァァァ!!!」
パチンッ!
キョウの声圧で鼻提灯が弾け飛び、ミノタウロスがビクッとして目を覚ました。
寝ぼけ眼の巨大な牛と、やる気満々の狂戦士。
二人の視線が交差する。
「ブモッ!?」
ミノタウロスが、キョウの顔を認識した、その瞬間だった。
その巨体が、あからさまに「ヒイッ!」と震え上がった。
そして、脱兎のごとく後ずさりし、ひしゃげた門の陰に身を隠すと、どこからか取り出した白い布を、棒の先に結んで必死に振り始めたのだ。
(まだ引きずってるのかよ! 前回のワンパンKOのトラウマ、効果絶大だな!)
戦意喪失した門番。
しかし、キョウの闘争本能は収まらない。彼は、ミノタウロスが慌てて逃げる際に落としていった、巨大なバトルアックスに目をつけた。
自分の身長よりも遥かに巨大な、鉄の塊。
キョウは、その柄に手をかける。
【装備レベルに達していません】
【装備不可】
(知ってた。レベル1だからな。そんな重い武器、持てるわけ……)
京介が呆れてため息をついた時、視界のシステムメッセージが、バグったように明滅した。
【装備出来ません。装備出来ません。装備できまerror. ……ピピッ。判定修正。対象のSTR値を参照……規格外です。仕方ないので装備を許可……不本意ですが、ATKに2000加算しま……す……】
ズンッ!
キョウは、いともたやすくその巨斧を持ち上げ、ブンと振り回した。
(えっ! 装備出来たぞ!? どんなガバガバ判定だよ!)
「レベル1にしては異常な程にSTRが上がってるからニャ。システムが『こいつレベル1詐欺だろ』って折れたのニャ」
ポヌルが冷静に解説する。
防御力はラブリーの魔法で+1000。攻撃力はバグ装備で+2000。
もはやレベル1という概念が崩壊している。
その時だった。
後方で詠唱を続けていたラブリーの声色が、急に変わった。
先ほどまでのメルヘンチックな声ではない。低く、重く、大地の底から響くような、本格的な詠唱の声だ。
「母なる大地よ……その無尽蔵なる活力を、愛する王子の足元へ注ぎたまえ!」
(……ん? なんだ、急に雰囲気が変わったぞ?)
「貧弱なるその肉体に、岩盤の如き硬度と、山をも砕く剛力を宿してっ!」
(貧弱って失礼な! ……でも、『剛力を宿す』? これは、まさか攻撃力アップのバフか!?)
ラブリーの周囲に、ピンク色の、しかしどこか禍々しいオーラが渦巻き始める。
「燃え上がる乙女の愛を力の源泉へと変えて。今こそ覚醒の時よ♪――受け取って、万物を粉砕する絶対的なる愛の形を☆」
(まだ詠唱してる! 長い! でも、もう攻撃力補助はいらないんだよ。ATKも上がったし……バフは一時的だろ?)
キョウは、斧を構えたまま、ミノタウロス(降伏中)に向かって踏み出そうとしていた。
その背中に向かって、ラブリーがカッと目を見開き、叫んだ!
「地殻穿つ巨神の拳!!!」
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………!!!
地響きと共に、キョウの足元の地面が隆起した。
(……え? 足元?)
京介が違和感を覚えた瞬間。
キョウが立っていた地面(元々ミノタウロスが立っていた場所)が爆発し、そこから、巨大な岩石でできた「拳」が、アッパーカットを放つように突き上げられた!
ドガアアアアアアアアン!!!
「ウガァッ!?」
「ニャアアアアアアアッ!?」
キョウとポヌルの体が、巨神の拳によって、空高く、遥か彼方へと打ち上げられた。
(補助じゃなくて攻撃魔法かよォォォォォォォッ!!!)
京介の絶叫が、空の彼方へ遠ざかっていく。
地面に残されたラブリーは、ポカーンと口を開けて上空を見上げていたが、すぐにハッとして、可愛らしく(?)自分の頭をコツンと叩いた。
「あらやだ! 敵がいなくなって、キョウ様に当たっちゃいましたわ! やっちゃった! てへっ☆」
舌をペロリと出す髭面の巨漢。
空の彼方、キョウのアバター内部で、京介は急速に小さくなっていくその姿を見下ろしながら、強烈な風圧の中で思った。
(死ぬかと思った……。でも……これで、あの変人から離れられる……!)
どこまで飛ばされるのかわからない不安。
落下ダメージで死ぬかもしれない恐怖。
そして、「ラブリーの愛」から物理的に距離を取れたという安堵感。
京介は、そんな様々な想いが入り混じった複雑な感情に包まれていた。
魔法少女(?)ラブリーは飛ばされて行くキョウを見つめながら、「待っていてください! またキョウ様に会いに行きますわ☆」と言うと、魔王城の内部に走り込んで行くのであった。




